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2012年9月9日 - 2012年9月15日

2012/09/15

闇をはらう、ろんりのコトバを語ろう

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ワンパターンのこのことば、暑いです。
ワンパターンのこのことば、忙しいです。

これから、明日の予習をしますが、その前に、日記でも書こうっと。
すごいよね!
昨日も書いたのだ、エッヘン。。って、いばるほどのことでもありませんが。
一週間に一度は更新したい、このブログ!

わたしは、昨日、山のように、『ビッグ・イシュー』を読みました。
それから、その前に、岡本法治さまのお書きになったエッセーなど、
たくさん読みました。

岡本さまとは、「マニカナ」お気楽掲示板に書き込んでいただきましたのが、
ご縁になりました。

で、少々、社会派になったかも。
で、少々、論理派になったかも。

そんなところを一つ。

岡本さまは、広島にいらっしゃる浄土真宗のお坊さまです。

広島の現実を語る一方、
東日本大震災後、現地に入って人々と対話するなど、
全国的に活動されています。

その活動の中で、
「第九条の会 ヒロシマ」の『会報』71号(2011年9月)に
載せられたエッセーがあります。

震災後から戦争前夜へ ~フクシマの闇と、ヒロシマの闇」
(16頁目にあります。)

その中に「ヒロシマの闇」について書かれた部分があります。
平和公園で語り部をなさっている三登浩成さまのお話の抜粋を
あげておられます。

これは、それを、さらに抜粋した、抜粋の抜粋です。
======
「8月6日は、月曜日。8時15分という、
みんなが外に出ている時間を狙って、アメリカは爆弾を落とした。」

「戦後の占領下ではABCCという研究所が作られ、
治療は一切せずに、研究対象とされた。」

「亡くなると解剖され、その内臓が抜き取られ標本にされた。」

「被爆手帳は、一部の人にしか渡されなかった。
しかもそれを受け取ることは、
結婚できないかもしれないということを意味していた。」

「今でも八割の人は、原爆の惨状を語ることができない。」
=====

「お話しの内容は、とても衝撃的なものでした」と綴られていますが、
ほんとに衝撃的なので、ブログにも書いておきます。

書かないと知られていきません。

「66年経っても、ヒロシマは、
まだ闇から解放されていないとのことでした」
と、岡本さまの文章にありますが、
それは、わかります。

このような事実を、被爆国日本に生まれたわたしは、はっきりと知りませんでした。

わたしだけが無知だったかもしれませんが、
しかし、
問題にされてきた様子が見えないのも、確かなことのような。。

フクシマでも、いろいろどうなっているのだろうとは、思ってましたが、
大事な情報が、知られずに闇に葬られている可能性はあるなあ、と
思っています。

『ビッグ・イシュー』には、
震災後のさまざまな人々のさまざまな活動や取り組みが、
今も、さかんに載っていて、わたしには、たいへん貴重な情報源になっています。
よかったら、見てください。

フクシマの子どもたちは、どうしているだろうか、とか、心配になりますね。
いろいろと知ってくださいませよ。
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         ◇◇◇


ヒロシマでも、フクシマでも、大事なことがあると思います。

事実をできるだけたくさん知らせることです。

事実は、認識を通して知られるほかはありません。

一つの事実は、一つの認識から生まれています。
数多くの事実を知らせることで、多面的にものごとが知られます。

情報を隠して、一面的にしか知らせないので、

差別や偏見や、が生まれ

特定の欲望や野望が、人々の心を操作しながら、うごめくことにもなります。


昨日の日記にも書きましたダライ・法王のおことばが、光ります。


「宗教を排して、精神的で、論理的なことについて考えるべき時」


そのときは、   今だ!!


では、最後に、岡本さまのエッセーより。

「ピカに遭った人は、
この世のものとは思えないきれいな光を見たと言われます。
原子の光は美しい。
しかし、それに群がり渦まく権力や欲望の渦は底なしの闇を作って、
やがてわたし達を戦争に導いていきます。
これをを超えていく道は、人間の尊厳を回復し、
誇りをもったコトバをかたりあうことしかないと痛感します。」


わかりました。語るコトバは、論理のコトバ。
論理のコトバを語りましょう。

人々に、あるがままの事実を伝えるコトバを、もちたいです。
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電車は走る。青空の下。。。事実どおりだな、うん。

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2012/09/14

論理的なことについて考えるべき時

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ひさ~しぶりに、『ビッグ・イシュー』を買いました。

しばらく、販売ブースにも行けませんでした。
H田さんとK野さんが、入院・通院中でお休みですので、
M田さん一人でがんばってます。

買いだめしました。6冊です。
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で、197号(2012,08.15)は、ダライ・ラマ14世の特集です。

写真の中のことばを読んでね!

「私は70億人のなかの一人にしかすぎない。
宗教を排して、精神的で、論理的なことについて考えるべき時」

とあります!

一瞬、「倫理的なこと」と読み間違ったかと思いました。

いいのよ、ちゃんと、「論理的」って書いてあります。


なんと!こう言っちゃなんですが、わたしと同じ意見です。
すみません、法王さま、ずうずうしかったですね。

法王さまと同じ意見です、って、直します。いえぃ~scissors


なかの記事を熟読。。

インタヴューの方がこう言っています。
「最近ご自身のツイートで、注目を集めたものがありますね。
『宗教を排して、精神的、論理的なことについて考えるべき時がきた。
ますます私はそう確信する』。そうお考えになる理由はなんでしょう?」


法王さま曰く
「多くの人にとって、宗教とはたんなる日々の儀式であって、
あまり大きな意味をもっていないのかもしれません。
……
 古くから伝えられている精神的な教えや、自然の法則は、
個人にとって計り知れないほど大きな恩恵です。
宗教を真剣にとらえない人々は、
このような知識が足りていないのではないでしょうか?」


なるほど。
単純に、宗教を否定しているわけではなくて、
たんなる儀式として漫然と宗教に寄りかかっている人々に
問題を提起しているのですね。

伝統的な古い精神的な教えや自然の法則とは、
きっと、縁起のことかなあ。。
それは、はっきり述べられませんが、
もう一度、宗教を、見直してみよう、という提言と捉えられますね。

「論理的」というのが、何か、法王さまらしいような。。
理屈に合ったものを、わたしたちは、求めていきましょう、と
70億人の一人として、
語りかけています。


ストレートに伝わりましたよ、わたしには。

法王さま、そうしましょう! そうしましょう!

70億人の二人目が、賛成します。

ちょっと、これから、三匹目も見つけてきます。
にゃんとな、こらこら、君たち、賛成しておくれ!
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にゃんだすか? ろんり。。それ、食べれるもんなの?

ちっ!しょうがないやつ、じゃ、こっちの4匹目は、どうかしら。
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ぐーこ、ぐーこ、ろごーす、ぐーす。。

も、もしかして、ロゴス、って言った?言ったの?

返事ないすね。。猫にロゴス、っていうからなぁ、無理かもね。

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でもね、

世の中に、「論理」ということばあるだけで、
なんとなく幸せな気持ちになる今日この頃。。いいね!ろごす。。

ごろごろすごす、もっといい。。


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2012/09/12

気づきのある毎日 であればなあ

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あっという間に、9月も11日。。9.11ですね。

あの同時多発テロ事件は、いつ、だったんだろう、って、ふと思いました。
2001年だったんだ!
もう11年も経つんですね、

その後、イラク戦争やアフガンとの紛争が起こってくるわけですね。

長い泥沼の紛争や闘争の苦しみが続いていくことになります。

月日だけが過ぎていきますね。

過ぎてくなぁ。。人間は、なんも変わらないけど。。

と、もうろうと考えながら、毎日を何とか生きてます。

9月に入って、ここ一週間、死にものぐるいで、
原稿書いて、採点を仕上げて、やれやれというところです。


ふにゃーーーーーーっ!
つ、つらかったよぉ~~~っ!

『サンガジャパン』と『文芸教育』の原稿は、
本気で
本気で、
つらかったでございます。

いずれも、お釈迦さまがらみ。

お釈迦さま、
お釈迦さまのおかげで、何とか毎日無事に生きていけます、

って、言いたいけど。。。それも、ま、事実なんだけど、
はっきり言えば、
わたしがおシャカになりそうです。

1日24時間しかないのに、1日30時間労働した気分です。

さすがに家族から同情の声があがるほど。。

なんか、いっそう、母が、キリッとしてきました。
介護してる側が、こんなボロボロじゃ、
あてにならないや、ってぇ、思われたかも。

「治れば、手伝ってあげられるんだけどねぇ」
って、言われて、
「おお、おお、治ってぇ~」
と、チョーまじで、期待するわたしです。

これも、逆説的には、一種の治療法??

=====

さて、なんの話をしようと思っていたかと言いますと!

Photo

この本を読んでいるところです。

バンテ・H・グナラタナ長老著 出村佳子氏訳
『マインドフルネス 気づきの瞑想』(サンガ)

瞑想の本は、今や、たくさん出版されていて、
誰でも気にいったものを読むことができます。

本の帯には、「西洋人に語りかけた」とありますので、
西洋の人々の疑問に、よく答えてあるのだと思います。

たしかに、その意味では、
現代人のニーズに応える
瞑想の本の中の一つ。。。

という、感じもするのですが、

しかし、それを乗り越えて、
上座部の仏教の基本姿勢がしっかりと書かれているのがいいです。

瞑想の本は、読んでるだけじゃダメだ
自分で瞑想しなければ意味がない、

というのも、実際だと思うのですが、
しかし、また、

読むだけで、瞑想になる!

という本が、何かほんとうに瞑想の本ではないか、

などと、図々しいことも思います。

そして、この書には、そんな要素も含まれているように思います。

===
ほとんどすべての瞑想法は、
本質的にリラックスすることを目的にしています。
心を集中させることを強調し、心を一つの対象や思考に
集中させるのです。鋭く徹底的に集中するなら、
深い幸福感に満ちたリラックスの状態に至るでしょう。
これが「禅定」(jhAna、ジャーナ)と呼ばれるものです。
===(p.38)

このように述べられ、禅定に到達したら、多くの人は、
これで目的が達成されたと、
残りの人生をその経験をくりかえすことだけに費やす、と説くのです。

ヴィパッサナーは、
このような禅定のリラックス感のためにあるのではなく
別に目的がある、といいます。

それは、気づきだと言います。
集中力とリラックスは、気付くための必要な付随物だとされます。

===
この二つは先駆となるものであり、便利な道具であり、
役に立つ補助物です。
しかし、集中力やリラックスを得ることが
ヴィパッサナーの目的ではありません。
目的は、智慧
 です。
===(p.39)


これですね!

ここが、しっかり述べられているだけでも、
この本は価値があります。

瞑想は、智慧を生む手段である

というのが、わたしも大事に思うところです。

そうそう、『ダンマパダ』にもありました。
=============
372 智慧のない者には、禅定はなく、禅定のない者には、智慧はない。
禅定と智慧のある人、かれにこそ、涅槃は近い。
=============

リラックスだけじゃない、
智慧を開発する瞑想

ここが、仏教の説くところ。

今日は、ここを強調して、終わろうっと。

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コスモスは、いいね。


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