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2011年2月27日 - 2011年3月5日

2011/03/04

3月3日は、ゆきまつり。。あら?

雪山です。
009
3月だと言うのに、真冬に逆戻り。。ふ~ぅ。。

007

1時間以上雪と格闘して、雪かきをしたら、
キーボード打つのも、きびしい~ぃ。。

へとへとです。ふぅ。
体力ないなぁ。

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さて、試験問題を採点しています。

例によって

「自己を一番愛している者は、他を害するな」という
ブッダのことばについて

どう思うか聞いたところ


多くの人が、こう答えてくれました。

人は、多くの場合、自分を一番愛しく思うものだ。
でも、それは、当然なのであって

自分を愛しく思えるからこそ、人も愛せるようになる。

自分を愛しく思わない人は、他人も愛せない。

自分を愛しく思わない人が、他人を害するのだと思う。

自分を大事にして、他人との関係を築いていきたい。

ほとんど、このような答えだったので、
考えてしまいました。


自分を愛しく思わなければ、他人も愛せないのだろうか。


自分を愛しく思わないと、「愛」ということがわからないから、
と説明してくれた人もいるのですが、
ほんとにそうなんだろうか。

こういう考えをもつ人は、
「誰でも自分が一番愛しい」という意見には
みな賛成してくれる。

ということは
「自分を愛しくない人」のことは考えなくてもいいはず。

「全員が自分を愛しく思ってる」、ってわかってるなら
「自分を愛しく思うからこそ、他人も愛しい」と言えるかどうか

やっぱり、もう一度考えることになるのではないだろうか。


ほとんどみんな、自分が大事で、自分が愛しいのに
他人を愛しく思わないような言動を起こして
他人を害してしまうのじゃなかろうか。

ほとんどみんな、自分が大事で、自分が愛しいから
他人を愛しく思わないような言動を起こして
他人を害してしまうのじゃなかろうか。

自分を愛しくない人が、他人を愛せるか、愛せないか、
自分を愛しく思っている人は、知らないのではないか。

  *****

ブッダの語りが、論理的である、という理由がわかります。
ブッダはウソをつかないのです。

知らないことは、語らないからです。

ブッダなら、4つの場合に分けて語るだろう。

自分を愛しく思う人で 他人も愛しい人
自分を愛しく思う人で 他人は愛しくない人
自分は愛しくないが 他人は愛しい人
自分は愛しくなくて 他人も愛しくない人

こう分けて、自分は、何を語れるか、考えるにちがいない。
こうして、体験して得たものだけを語るから

ブッダは、ウソをつかないと言えるのだけど

わたしたちは、このように、耳あたりのよい意見だけを求めて

知らないことを知ってるように語るので

ウソつきになってしまうのです。

   *****

『ウダーナ・ヴァルガ』より

愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。
愛するものを離れたならば憂いは存在しない。
どうして恐れることがあろうか。(5.1)

愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。
愛するものは変滅してしまうから、ついには狂乱に帰す。(5.2)

世間の憂いと悲しみ、また苦しみはいろいろである。
愛するものによって、ここにこの一切が存在しているのである。
愛するものが存在しないならば、このようなことは決してありえないであろう。
(5.3)

それ故に、愛するものがいかなるかたちでも決して存在しない人々は、
憂いを離れていて、楽しい。それ故に、憂いの無い境地を求めるならば、
命あるものどもの世に、愛するものをつくるな。(5.4)

(中村元訳『真理のことば・感興のことば』岩波文庫より)


ああ、なんて、ごもっともでしょうか。

自分にせよ、他人にせよ、愛するものから離れられないなら
どう生きたらよいか、やっぱり考えなくちゃいけないですね。

他を害するな

これは、よくよく考慮しなくちゃね。


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