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2011年2月13日 - 2011年2月19日

2011/02/18

空って、何だろね?

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雪だるまがいっぱい。
ドカ雪祭りの、なごりが残る、岩見沢の駅前風景。
だいぶ、雪も融けてきましたね。

==================

「空って、さ、中味がないこと、実体がないこと、って説明されるけど、
これって、いったい何だろね?」

とつぜん、聞かれて、瞬時に反応しちゃうわたし。

たとえば、空(くう)の文、って言ったら、

『善い人は、善いことをする』 とか
『善いことをするのが、善い人だ』とか

こんな感じかな。

これって、あたりまえだけど、そして、誰も否定しないけど、
でも、いったい何を言っているのか、聞きたくなるよね。

中味が、あるようで、ないもんね。空っぽだよね。
『それで、どんな人が善い人なの?』と、聞きたくなるでしょ。

そういうとき、たいてい、答えてくれた人がどういう人かで、
その中味が決まってくると思う。

いつも、悪いことばかりしてる人なら、
何か、嫌みな内容を含んでいるような気もしてくるし、

ふつうの人なら、
『だったら何?』『善いことって、どんなこと?』って、聞きたくなっちゃう。

で、そのとき、ブッダだったら。。。

この空の文は、人々の心にすんなり入っていくでしょう。

「ああ、ほんとだ、ブッダのように行動していれば、
たしかに、善いことをする人は、善い人なんだ!!」

「ああ、わたしも、ブッダみたいに、善い人に、なりたいなあ」

とか、しみじみ心に思うかもしれない。


ここからわかるように、ことばは、そもそも中味がない、のです。

だから、

空っぽのことばを語って、納得させることのできる人は、

それなりに一貫した生き方をしていて、そのことばに意味を与えられる人なのです。


ことばには、中身がなく、実体がない


このような想いをもつなら、その人は、ことばの使い方を知るのです。

ことばに中身をもたせるためには、ことばを語る人の行動が大事なるとね。


空っぽのことばを、「空っぽです」と言ってるだけじゃ、
そう言ってる人が、空っぽに見えちまうのです。

だから、むずかしいのです。

これまで、「空とは、中身のないことである、実体のないことである」
という説明が、イマイチ、ピンとこなかったのは、

語る人が、そもそも、そのことばどおり、空っぽだったからなのです。

おっとっと。。言いすぎたかな。

でも、みなさまが、なんか、わかったようなわからないような気持ちが
してくるのは、もっともなのでありますよ。

「空とは、中身のないことである、実体のないことである」

という、この文、そのまま『空』で、空っぽの内容です。

「善い人は、善いことをする」と同じでしょ?


ですから、このような空の説明をするなら、その人自身が

どのようなことばの使い方をしているのか、問われることになるのです。


空を語りうる人、それは、空を実践できる人なのです。
なぜなら、空っぽは、どう使うかで意味が出てくるから。

空を実践できる人、それは、己を虚しゅうして人の為に生きる人なのです。
自分が空っぽになると、人の為に生きることになるから。

己を虚しゅうして人の為に生きる人、それは、菩薩なのです。
空を知る人は一切智を求めて努力する人だから。

だからね、

空は、菩薩のものなんだよ。


ことばの上で、ただ、空が説明できても、何もならない、ってわかったでしょう。

「空」を知る人は、実践を大事にする人で、
人の為に一切智を得て働く人なんです。

菩薩。。。。。 いいねぇ。。。


仏教って、いいよね。

「ことばは、空だ」と言ってるってことは、

ことばは、行為なのだ

って、言ってるってことだから。

行為をともなって、ことばは、はじめて意味が出てくる、ってことさ!


空は、奥深い思想だよ。
なかなか、誰でも言える思想じゃないからね。

ブッダって、すごいよね。

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2011/02/14

ヨーガによーがある方のために 伊藤武氏『図説 ヨーガ大全』

Photo

こんな大著が、出版されました。
伊藤武著 『図説 ヨーガ大全』 佼正出版社

ヨーガの研究史に、名前を残す本となりましょう。


我が国では、佐保田鶴治博士の

『ヨーガ根本教典』 (平河出版社)
『続・ヨーガ根本教典』(平河出版社)

が知られています。
古い書ですが、
これまでは、我が国でこれ以上の研究は、
望むことができませんでした。

わたしは、実践的にも、学問的にも、
これらを超える書は、なかなか顕れまい、と思ってきました。

しかし、まったく異なるバックグラウンドから、
これほどの大著が、惜しげもなくあっさり顕れるとは!

=====
前置きは、このくらいで、
伊藤武氏について、ちょっぴり、わたしの知っていることを。

ものすごく多彩な人なので、一言で、「何の人」かを言うことはできません。

ご本人いわく、    「作家」
って、ありましたが、
エンターテナーたる作家だけではない。

なぜなら、
サンスクリット文献に詳しく、   「学者」
も真っ青だから。

インド事情に詳しく、   「旅行家」
みたいだが、
事情通という域をとっくに越えてる。

実践修行にも励む姿は、   「ヨーギン」
らしくもあるが、
ふつうの人(ヴァイシャ)の感覚もあわせもつ。

絵画や建築アートにも造詣がある   「アーティスト」
っていうなら、それも狭い。

インドの精神的な風土を飲み込む   「宗教家」
のふところももつから。

クシャトリアのごとく、医術も詳しい   「武闘家」
ってのは、ほんとうかどうかわからない。

清浄なるバラモン出身のように、   「料理家」
っていうジャンルもものにしているから。

ウパニシャッドに出てくるサッティヤカーマのように
いろんな人(動物?)から、教えを受ける姿は
忍耐のシュードラ。

という。。。
バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラの
全部にあてはまる。。オールマイティな人なのです。

困っちゃうわ。

で、そんなオールマイティなオールラウンダーが著す書なのだから

その名も

『 図説 ヨーガ大全 』!!

ほとんど、我が国では知られていなかったヨーガの地平を
開拓者のごとく、分け入り、探り当て、極めつつ
紹介してくれているのです。

ありがたい!! の一言です。

伊藤武氏を逆さにして、ふったら

このような書ができあがりました

という感じがします。
====
さて
伊藤武氏と大著の前置きは、このくらいで
ようやく、本の中味。。って言っても
「前置き」のぶぶんだけど  sweat01

まずは、「ハタ・ヨーガ」に対する
「ラージャ・ヨーガ」という意味から、入ります。

これは、わたしもびっくりです。
しかし、思いあたる節が、多々あるのです。

ラージャ・ヨーガは、サンスクリット辞書に
「王さまでもできる簡単ヨーガ」 とあるが、なのに、なのに

現今、ちまたの外国人を受け入れるバラモンのヨーガの先生は、
「ヨーガの中のラージャ」の意味で、
「スピリチュアルなヨーガ」のことを言っている。。

と、この点に、疑問を投げかけます。

わかります、わかります、わたしも、なんか変、って思ってました。
ただ、わたしの場合、思ってただけですが。。。sweat02

しかし、伊藤武氏の場合には

ここから、インド中の地域や文献を漁る
ヨーガ探検の旅が、はじまるのです。

で、インドのちまたでは

☆ ラージャ・ヨーガの根底にあるのが、ヴェーダーンタ思想

☆ ハタ・ヨーガの根底にあるのが、タントラ思想

と、なっているらしい、との現況報告です。

この枠は、大事だと思うけど、ここでわたしも、伊藤さまに 勝手に現況報告。

     ***
外国人相手の「ヨーガ・アーシュラム」は、
思想のわかりやすさもあって、ヴェーダーンタの不二一元論を採用している
のではないかと思います。

(この点、第2章15「王さまのヨーガ?ヨーガの王道?」(p.89)に、
ヴィヴェーカーナンダに言及しているのも、正鵠を得ていると合点、ガッテン)

その上に、さらに、権威づけとして、真のラージャとして
サーンキヤ思想による『ヨーガ・スートラ』をおいているかも。。。
     ***

とりあえず、ま、これらはおいておいて

伊藤武氏は、自身のフィールドである、ハタ・ヨーガの密林へと

分け入っていくのであります。

12世紀の、ゴーラクシャなる人物が集大成したハタ・ヨーガ

仏教タントラの中から生まれ、ヒンドゥー教のふところで育った
ハタ・ヨーガに、インドのすべての思想を内部に秘めながら
せまります。


いや、もう、ほんとにたいへんです。
何が、って、読むのがです。
とりあえず読むだけで、丸三日かかりました。

ですから、書くのは、どれだけたいへんだったのでしょう!

知識篇  基礎知識・思想・宇宙観・身体観・生理学
実践編  医学・呼吸・体位・儀礼

伊藤武氏の、インド的実践・知識の集大成でもあります。
全部で、九章にわかれていますが、

伊藤氏の独自の視点と深奥の秘義とが出会う (と言っても、どれもそうだけど)

第3章 ヨーガの宇宙観
第4章 ヨーガの身体観
第5章 ヨーガの生理学

このあたりは、独壇場ではないでしょうか。

★錬金術やマルマンの外科医術とプラーナの生理学

龍樹とも絡むので、興味しんしんです。

★性ヨーガからハタ・ヨーガへの道筋

仏教とくに密教が絡むので、興味しんしんです。

ハタ・ヨーガと後期密教とを結びつける資料の中で
杉木恒彦氏の『八十四人の密教行者』を
参考にしたとあります。

そうなんですか。。

サンスクリット文献の扱いにも慣れていて
いわゆる文献学者というのではありませんが、
知識の多さと造詣の深さで、読みも精密です。

学者のスタンスですよね。。

実践については、わかりやすくシンプルで
出し惜しみなく、教示してくれるので、
信頼感と安心感と実践の体感があります。

師の握り拳(秘義)をもたないのは、ブッダのよう。。


現在の時点で

世界の中でも、これだけのヨーガの知識を、
整理して示すものは、他にはないと思います。


まさに、伊藤武氏の観想する
ヨーガのマンダラ を

覗かせてもらう、そんな趣です。


圧倒されちゃうボリュームと内容。。


しかし、何とか、めげずに、自分も一言。。ぜぇぜぇ

あと、自分的には、伊藤さまが比重をかけなかった
『ヨーガ・スートラ』関係の思想と、
仏教思想やダルシャナ(インド哲学)との
関連をさぐっていくと、
ヨーガの思想的な側面でも、
ヨーガ全体を見渡せそうな気がしています。

仏教とバラモン思想の、ヨーガにおける差異を
もう少し明瞭にしたい感じです。


さまざまな文献の資料的な扱いにも、示唆をいただいて

身体的な実践の側面でも、思想との繋がりをいただいて

いろいろ感謝にたえません。


ただ読後感想を書くだけでも
こんなに疲れるんですから

これだけの挿絵と文章を仕上げるのに
どれだけの労力を費やしたのか、想像するだに恐ろしいです。


一言でいって、精神と心と身体において

真に インド的な天文学的スケールの 

本です。


おわります。。。ふう

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