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2011年11月27日 - 2011年12月3日

2011/12/03

風のまにまに、マニカナまにまに。

ものを考えない日はないのだから、
毎日、ブログを書こうと思えば、書けるんだなぁ、と思う。

理屈としては!

しか~し、いつも、書く時間がない。

「つぶやき」みたいのにすればいいのかもしれないけど、
わたしって、つぶやき出すと、「つぶやく」だけじゃすまなくなる。

常時、ブツブツ、ブツブツ、…

そのうち、仏仏、仏仏、

仏ばかりになっちゃうし。

    ***

アランの『幸福論』(岩波文庫)のあとがきに、
神谷氏が、「プロポ」について、説明してくれます。

「プロポ」というのは、アランがつくり出した文学形式で、
紙葉一枚二ページに書かれた断章のこと、だそうです。

アランの『幸福論』は、原題を

Propos sur le bonheur
幸福についてのプロポ

というのです。

印象深く思ったのは、アランは、このプロポを

毎日書いた、

というところです。
書きたい日も、書きたくない日も、毎日!
二時間で一気に書き上げた、とあります。

すごい。。
1日二時間、そこに費やせるというのが贅沢といえば贅沢。。

なんて、言ってはいかん!です。

「書く」ということの意味を、そこに見出します。
毎日書くから、リズムができる、自然なリズムが。

このように神谷氏は、説明してくれます。
たしかに、リズムがあります。

それと同時に、
思考の自然な流れの中に、
アランの志向(意志)も自然に流れます。

恣意によらずに意志する人 アラン

アランは、行者です。

行為が、ことばを生み、ことばが行為となりますね。

   ***

知行合一の姿をアランに見て、

わたしも、毎日、プロポ、書きたいなと思うのです。

二時間も、どうやって、時間を作り出したらいいのでしょう。。

   ***

後先考えず、毎日書く。。。残りをてきとーに生きる。

やって、みよーかな。

仕事、なくなるかも。。

え、なに?


今と変わらないんじゃない、って。

かもね。。。
なんせ、わたしのやることだしね。

揺れる心は、二つの葉のように対称的に。
022
一陣の風が吹いて、大きな二枚の葉は、定められたように向き合いました。
しかも、裏と表に。


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2011/11/30

マッチ売りには、マッチ売りの小さな考えがある

011
おや、なんだろ?
大通りの一画にこんなものが。。

へえ、サッポロとは思えないおしゃれなものがいっぱい!
013

お菓子のおうち!

だれだい?わたしの家をかりかり食べるのは。

風です、風ですよ。。ぽりぽり。。

って、ありましたね。
ヘンゼルとグレーテル。
014
こんなおうちに住めたら。。

まずいかも。。すぐ、おうちがなくなってしまう。。

みんなが訪ねてきては、
ドアや窓枠なんか食べてったりしたら、
そのうち、土台だけになっちまうな。

どれどれ?
他にはどんなものがあるのかしらね。
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窓に貼られたレースの飾り。。
美しい~! お値段も、なかなか。
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クリスマス用のつるす飾りも。
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ヴァイオリンの飾りもある。ちょっとピンぼけだ。
020

こんなにきれいなものを見ていると
我が身をふりかえって

マッチ売りの少女になった気分だなぁ。
寝不足で仕事いっぱいのあわれな身分。

ま、少女ってのが、問題あるけど、

「マッチ売り」ってところは、当たってそう。。

====
でも、湿っぽい話は、ちょっとがっかりだよね。

さ~て、ちょっと、元気出しますか。マッチ売りは。

マッチ売りのわたしには、元気になる秘訣があ~る。

この前から、玩味熟読しているアランの『幸福論』。
何度読み返したかわからないほど読みました。

ブッダの教えにも似ているところがある。
ブッダの教えに似ていいないところがある。

どっちにしても、これは、元気の出る本だ。
以下は、神谷氏訳、アラン『幸福論』88「詩人たち」(岩波文庫)より。

    ***

「ところで、人を益するわざというのはみな、それ自身美しい、
また人間の顔を美しくするものだ。
美しい顔というのは人に不安をあたえない。
これは普遍的真理だ。」

なるほど。ほんとだ!

「そこからぼくは、あえて考える。
完全性[真理]の間にはどんな対立もないだろう、
衝突し合うのは不完全なものどうし、
あるいは悪徳どうしではないか、と。」

なるほど、ほんとだ!
ブッダも、言ってる。争うな、って。

「恐怖心はそのことの顕著な例である。
したがって、人に考えを強いるやり方、
暴君や臆病なものはいつもそのやり方をするが、
それはつねに御しがたい愚かさであり、狂気の温床である、
とぼくは思った。」

ぼくも、思ったよ。

「人に考えを強いるな、自由にさせてやりたまえ、
怖がるのはやめたまえ。
自由な人間は柔和な者で、武器など持たない。」

   ***

そうだ。強い者は柔和な者である。
武器を持たず、何ものからも自由である。

あらゆるものから自由になれば、恐れはないし、
いつも幸せである。

そんな人を、一人だけ知っているね。

いつも、マッチ売りのマッチに火をともしてくれる人。
いつも、どんなときにも強いることをしない人。

それは、経典の中で、肌で感じる。

かれは、けっして押しつけない。
にもかかわらず、心配してくれる。

わたしのためにある人。

それは、ね!

みんなのものでもある人、 ブッダ!

   ***

ほんとなら、ここで終わるんだけど、もうちょっと。


いつも、アランを読むと、アランは、ブッダのことを

賞賛しているんじゃないかと思ってしまう。

出会ったことはないだろうけど
知らないだろうけど

アランは、きっと、ブッダ(理想の人)を心の中に描いていたと思う。

84「楽しませること」というエッセーの最後を読んで、
すごくそう思った。

「ほんとうの礼儀作法とは、むしろよろこびが伝わって行って、
すべての摩擦がやわらぐところにあるのだ。 
ところが、このような礼儀作法を教えていおるところは
ほとんどどこにもない。
いわゆる礼儀正しい社交界のなかで、
ぼくは腰の低い人をたくさん見たが、
本当に礼儀正しい人間には今まで一人も出会ったことがない。」

ほらね。
ほんとうに礼儀正しい人は、洗練された社交界にもいない。
知性と教養が重んじられる西欧社会において、
社交界の中にいなければ、おそらく、そんな人はどこにもいないだろう。

つまり、西欧にはいない、って、ことだと思う。

かれの理想とする人は、
西欧にはいないレベルの礼儀正しさをそなえた人なのです。

そんな人で、現実に思いつくのは、やっぱ、ブッダでしょ?!

アランは、
きっと、

ブッダが好きだよね。

って、マッチ売りは思うのだ!

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