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2011年11月13日 - 2011年11月19日

2011/11/19

幸せであれ!アラン『幸福論』

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お、観光地札幌。

たまたま通りかかって、写真に撮ってみたら、
案外、それっぽいですね。

まるきり、時計台ですね、どう見ても。

雪の札幌
時計台が二時をが知らせします、の図です。
016_2

====
最近、読んでるもの。

アラン『幸福論』

アラン研究者で訳者の神谷幹夫先生が、

三万人のための情報誌 『選択』 11月号掲載の

こんなコラムをわたしに教えてくださった。

「アラン「幸福論」が静かなブーム」
         ↓
http://www.sentaku.co.jp/category/culture/post-1963.php

そこで、さっそく、通勤時間に読んでいます。

神谷幹夫先生訳アラン『幸福論』(岩波文庫)

哲学者らしくない 哲学者

といわれるアラン。

そんなことはない! です。

土性骨の坐った、生粋の(?) 哲学者だあ!

何しろ、他の哲学者たちとは、ちょっとちがって、

なんと
なんと
なんとぉ

★人々の役に立つ★ という 希有な人なのです。

ふつう、「何の役にも立たないのが、哲学者」、
ってことになってると思うんだけど、

かれは、シンプルで力強いメッセージを手に、
人々に、役立つことを、語りかけてくれるのです。

かれは、ウソをつかない。

63節「雨の中で」で、哲学者について、こんな風に書いてあります。

====
世話(せわ)にもよく言われているとおり、
哲学者とは、どんなことがらにおいても、
いちばんぴったりして最も人を元気づけることばを選ぶこと、
すなわち、真理の的を射抜くことのできる人間である。
====

オーライ!
その通りです。アラン先生。

おっしゃるとおりです。

なぜなら、
『幸福論』に書いてあることは、
真実のことであって、
読むと、その通りになっていく
そんなことが書いてあるからです。

92節「幸福にならねばならない」 と、
書いてあります。

そして、『幸福論』を読み終わると、

たしかに 言われたとおり、

「幸福にならねば」と思って、幸福になっている自分が、います。

読み終わって、
この本は、真実の哲学者の書いたものであることが、
はっきりとわかる仕組みになっているのです。

すごいぞ、アランせんせ!

こういう書は、めったにありません。

わたしの知っているのでは、他にあるのは、
ブッダのことばを綴る 『阿含経典』 です。


ブッダの説くことばと共通する たくさんのことばを
『幸福論』の中に見つけましたよ。

人はみな、幸福に生きねばならない。そうだ。そのはずだ。

ブッダも、言ってるではありませんか。
===
他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、
決してしてはならない。
生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

いかなる生き物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、
長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、
微細なものでも、粗大なものでも、

目に見えるものでも、目に見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
すでに生まれたものでも、これjから生まれようと欲するものでも、

一切の生きとし生けるは、幸せであれ。
(『スッタニパータ』145~147)
===

ブッダの、このメッセージにあわせて、
アランせんせっ!
どうか、コラボレーションしてください。
幸福のメッセージを最後に、どうぞ。

=====
最初はどんなにおかしな考えに見えようとも、
幸福になることを誓わねばならない。

主人の鞭によって、あの犬どものうなり声をすべてやめさせねばならない。
最後に、用心のために言っておく。

憂鬱な思考はすべて、自分をだます魂胆だと思ってさしつかえない。
そう考えてよいのだ。

なぜなら、われわれは何もしないでいると、
すぐに自ずと不幸をつくり出してしまうものだから。
(94節「誓わねばならない」)
=====

それでは、わたしも、ちょっと早いけど、
幸福であれ、と、こんな写真で、締めてみよ、っと。

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よよ、ツリーにも、ちゃんとメッセージがありました。
よおし~ぃ!


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