« 2011年10月9日 - 2011年10月15日 | トップページ | 2011年10月23日 - 2011年10月29日 »

2011年10月16日 - 2011年10月22日

2011/10/16

秋は空(くう)なり、山は空なり

005

001

山と建物。

季節がちょっと変化するだけで、風景は変わります。
病院の屋上からの眺めは、見るたびに新しい。

このような様をなんと言うでしょう?

はい!どうぞ。

「無常」ですっ。

そうですねぇ。
「諸行無常」って、わたしたちにはなじみ深いことばです。


何の話をしようとしているかと言いますと

スマナサーラ長老さまの著作『ブッダの質問箱』(サンガ新書)の

ある質問についてなのです。


25頁に、

「無常」「空」とはなんですか?

という質問があって、それには、このような答えがあります。

=======
すべてのものは現れては消えます。
世界は「現れては消える」ことの連続です。
実体的なものはなにもないということを
「無常」といいます。
「空」「無我」も同じ意味です。
世界は蜃気楼のようなものだということです。
=======

なるほど!
上の二枚の写真も、少しアングルがずれてますけど、
「現れては消える」いろいろなものを写し出していますね。

雲は、現れて消えてます。
緑も、現れて消えてます。
山もくっきり現れて消えてます。
建物は現れて。。。消えてないみたいです。
でも、形や色が少し異なって見えます。

実体的なものはなにもない、というのは、
見ている眼には、納得されるでしょう。

ここまではいいのです。

ちょっと疑問が出てくるのは、「空」や「無我」についてです。
「無常」と同じ意味でいいのかもしれませんが、
少し引っかかります。
だって、やっぱり、ちがうことばだからです。

=======
世界は蜃気楼のようなものだということです。
=======

この文は、「空」「無我」の説明になっているのでしょうね。
もう少し説明を読みましょう。

=======
「空」とは「空っぽ」ではなく、蜃気楼です。
蜃気楼は、光の屈折により作られている現象ですが、
私たちの肉眼には、ほんとうにそこに山や木や湖があるように見えます。
=======

う~~~むむ。。「空」は「空っぽ」ではなく蜃気楼。。
引っかかりました。
ここから、動きません。

もう少し読みましょうか。
========
しかも、「なんてきれいなんだ」と思うなど、私たちの感情まで、
実体のない蜃気楼によって変化します。
ところが実際に行ってみると何もありません。
しかしそれは、「本当になにもない(虚空)」という意味ではありません。
原因によって一時的に現れている現象なのです。
========

う~~むむ。。何が、どう引っかかるんでしょうか。

わかった!
長老さまが、
「空」を「空っぽ」でない、というのは、
「空」を「虚空」と見るな、ということでしょう。

一時的に現れている現象なのだから、
実体がない蜃気楼のようなものだけど、
何もない、ということではない

ということを、言わんとしているのでしょうね。

でも、それなら、やっぱり!
これは「無常」ということばがふさわしい
と思います。

わざわざ「空」という意味がでないような気がします。

なぜって、「空」というのは、
素直に読めば、やっぱり「空っぽ」ということだからです。

*****

「空」というのは、「虚空」でもなく「蜃気楼」でもなく、
「空っぽ」と採る方が、有益です。

★「無常」というのは、一つの「ものの見方」です。
ものごと(諸行)がたえず変化するさまを言い表すことばです。

★「空」というのも、また、一つの「ものの見方」です。
(ものごとをで言い表す)ことばが実体をもたず、
意味については空っぽだ、空虚だ、ということを
言い表すことばです。

ブッダが、「世界を空なりと見よ」というとき、
「世界」ということばで示されたものを、「空である」と見なさい、
ということになるかもしれませんね。

その場合、それは

あなたが「世界」ということばで示されていると思っているもの、

それを、「空虚だ」「空っぽだ」と見なさいって、ことでしょうね。

ということは、

「世界」と言ったって、
人それぞれに、示されると思うものはちがうでしょうから、
けっきょく、

「世界」ということばについて、
それを「空っぽ」「空虚」と見なさい、

ということと変わりませんよね。


上の写真で言えば、
「山」「建物」「雲」と名指して、
何となく、
それらのことばで示されるものが、写真に写っているように思っている
そのような見方や言い方に
注意をうながしていると思います。

**たとえば**
「無常」を見るのは、二枚の写真を比べれば、わかりやすいです。
有った雲がなくなっていたり、なかった山が有ったりします。
色も変わり、形も変わります。変化のさまが見てとれます。

**一方**
「空」を見るのは、写真を一枚見るだけで、OKです。
「これは秋の景色だね」
「これは山の景色だね」
見る人によって説明のことばが変わります。
「秋の景色」が実体に即していれば、「山の景色」は間違いになるでしょう。
逆もまたありえます。

でも、
実際は「秋の景色」も「山の景色」も、どちらもおかしくないでしょう。
説明している人の見方によって、ことばは変化するのです。

それは、ことばは意味の上では「空っぽ」だからに他なりません。

「秋の景色だね」「きれいだね」
「山の景色はいいね」「そうだね」

「秋」と言い、「山」と言い、そう言いながら
二人で一枚の写真を見るならば、

ことばは空であって、

ただなにかしら心が通じあうのを互いに実感するでしょう。

それぞれが、空(くう)のことば「秋」や「山」に、
それぞれの思いをつめて、肯くのです。
空っぽだから、詰められるんだよね、そうでしょ。

「空」というのは、心の中の想いと関わるのです。
だから、「ことば」が対象になるのだと思います。

やっぱり、「空(くう)」は、大乗のものかなぁ。

008
「紫の花と白い花の二色カラーだね」
「ちがうよぉぉ、とんがった花と円い花の二種の形だよ」

おいおい!けんかしないで。ことばは空だよ。
空っぽだから、いろんな言い方ができるんだからね。
「空(くう)」を知れば、けんかしないよ、ねっ!

| | コメント (7) | トラックバック (0)

« 2011年10月9日 - 2011年10月15日 | トップページ | 2011年10月23日 - 2011年10月29日 »