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2011年10月9日 - 2011年10月15日

2011/10/13

抜け道を探せ!智慧の道を。

012

病院の屋上から見た風景です。
山は、そろそろ色づいてきて、ずいぶん秋が進んできているようです。

=====
前回、「よだかの星」で、よだかが天上に輝く星になったことについて触れました。

これは、現実の回避とか、問題の提示とか、そういう意味合いではなくて、

書いてあるとおりに、

このような生き方があることを、賢治は示したのだろう、と

わたしは述べました。


ずっと考えているのですが、やっぱり、これでいいと思います。


空の星になる!

という、生き方が、あるのです。


世俗から離れる道 でもある
出離に向かう道 でもある

でも

完全に世俗を離れているわけではない
完全に出離した手の届かないところなのでもない

世俗によらず涅槃によらず

空の、微妙に中途半端な位置にかかったよだかの星は
そんな立場を示している

だから、悲しく寂しく瞬くのでしょうね。

菩薩の生き方ですね。

『法華経』ということを、念頭に置くと、
こんな考えが浮かんできます。


相対的な価値の中で揺れ動く人間社会。
善悪の諸相を示します。

しかし、それを見つめて、
善にもよらない
悪にもよらない

そういう生き方もある。

たしかに、そうだ。

人間の生き方として、
にっちもさっちもならなくなったとき、
抜け出す道があることを、
ブッダの法は示します。

どんなところにも、解決への道がある

ブッダの法は、実は、そういうことも示しているのかもしれません。

だから、誰もが、この世の中で生きられる!

ううん、やっぱり、すごいや。ブッダ。。。。

015

。。すごいけど、どれも、それなりに茨の道だよね、人生って。
ブッダのせいじゃないんだけどね。


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2011/10/09

よだかの星よ、輝け

010

お隣のおうちからいただいたお供えのお花。命日でした。
手紙も添えられて、花屋さんから届きました。

人の心が身に沁みる秋。
涙が出るので、お礼は電話にしました。

お隣同士なのに、何だかおかしいですね、お互いに。

===============
西郷竹彦氏の『宮沢賢治 「二相のゆらぎ」の世界』の中には

「よだかの星」についても、解説があります。

「よだかの星」は、有名な童話なので、ほとんどの人が知っているでしょう。

http://reception.aozora.gr.jp/aozora/cards/000081/files/473.html

「よだかは、実にみにくい鳥です」という書き出しではじまります。

よだかは、鷹の兄弟ではないのに、「よだか」と、「鷹」の名が入っています。

それで、あるとき、鷹がやってきて、むりやり改名をせまります。
そうしないと、「おまえを殺すぞ」と脅すのです。

よだかは、「殺すぞ」と言われて、自分もたくさんの羽虫を殺してきたことに気づきます。

=======
ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。
そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。
それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。
=======

そして、つらいこの状況から脱しようと、
幾たびも星の世界に飛び上がり、連れて行ってもらおうとしますが、
他の星たちは相手にもしてくれません。

しかし、よだかは、心に決めます。
とうとう星の世界へ何処までも何処までものぼっていくのです。

そして、よだかは、ついに天上に輝く星になるのです。

~~~~
西郷氏の本の中に、こんな風なことが書いてありました。

===
ついに「ヨダカ」は、天上に輝く星になります。
ところが、この結末に対して、ある論者は、それは問題の回避であって、
提示された矛盾の何らの解決にもなっていない、と批判しました。
(p.52)
===

「提示された矛盾」とは、
自分の命が鷹に奪われる理不尽さに対して、
自分もまた、多くの羽虫の命を理不尽に奪ってきた
という事実です。

殺される自分は、殺すものでもあったのだ!

この矛盾に対して、宮沢賢治のこの作品は、
「問いにとどまって、答えになっていない」と一部の論者は批判するようです。

これに対して、
西郷氏は、いくらか他の論者たちにも理解を示しながら、

===
人間にとってこのように悲しい「問い」があることを
まざまざと見せてくれているのです。(p。53)
===

と、述べます。
そして、

=====
この問いは賢治が、その生い立ちからはじまって、
生涯いだきつづけた問いであったということなのです。(p。53)
=====

と締めくくっています。


うーーーん、「問い」だけなんだろうか。
そうなのかしら。

「問い」に対して、「答え」がちゃんとあるように見えるな、わたしには。。


よだかは、何処までも何処までものぼって行くことによって、
もはや、殺し・殺される世界から
逃れています。

空の星になって輝くことによって、

もう、何ものに危害を加えることもなく
もう、何ものからも害されることもない

そんな境涯を得ているのじゃないでしょか。

自分のからだが燐の火のような青い美しい光になって
燃えているのを見るのです。

お話しは

===
いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています。
===

と、いう文章で終わっています。
永遠の命を得たように見えます。

殺すものにもならず、殺されるものにもならない、
そんな永遠なる命の輝かせ方が、あるのだ!

と、宮沢賢治は、語っているようです。

ですが、

その道は、寂しくも悲しい一人行く世界のようですね。

青く凛と輝く夜空の星のように

美しいけれど

どこか切なく悲しい結末が、胸を打ちます。


殺し殺される世界も、悲しく
そこを離れる世界も、また、悲しい。。
003

どっちに転んでも、人の世は悲しい。

これが、『法華経』の世界かな?


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