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2011年9月18日 - 2011年9月24日

2011/09/19

「人」ってね、なんだろね。

002
いろいろな煩雑な手続きのために、事務処理に終われていると、
父がいるような気がします。

「お茶を入れてくれ」と言われているような気がして

お茶を入れてお供えしてると、

ひとり家族がやってきて、

「じったん(父のこと)が砂糖を入れたコーヒーが飲みたい」

って、言ってる、と言います。

他の家族は

「ケーキもいいな」

って、言ってる、と言います。


なんかなあ。。
自分の欲しいもの言ってるんじゃなかろうね。

しかし、そんな感じで、

家族全員、いたるところに父の気配を感じる毎日。


めちゃくちゃさびしくなったので、
難病の母を病院から自宅に引き取ろうと、
考えはじめました。


なぜかというと、

なぜだかわかりませんが、
人間は土とともに生きるのが自然だ、
という気がするからです。

病院のコンクリートの部屋に囲まれているのではなく、
地面に近いところにいなくちゃいけないような気がするのです。


また、

生きているときの行いの総決算は

死んだ後にやってくる

ということもわかりました。


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その人自身は、

その人の死の後、

日のもとに

明らかになる。
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それは、人々の心の中に自然に浮かぶので

消えることはありません。


ブッダにも、龍樹にも

「人の死」というものがあったとすれば、

人々の心の中に

けっして消えない明らかな何か生まれているでしょう。


社会の評価や思想の解釈とはまったく別に、

「人」としての生き方に

共感や感銘をもつ人がたくさんいる。。。


ここも、大事なことだよね。
ここが、大事なことだよね、って言った方がいいかな。


ブッダや龍樹が、

いつも、現在形で語られる理由がわかった気がします。

その人の死とともに、
一生涯の行為すべてが、
いったん完了して
決済され

次の生がある場合には、
そちらへと引き継がれます。

輪廻を認める考え方では、そうなります。

006

自分の死には、どうしても、自分で責任もたなくちゃいけない

って、気がしてくるよね。

生きて死ぬのが、「人」ならね。。。


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