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2011年8月21日 - 2011年8月27日

2011/08/26

出口王仁三郎 と 『法華経』

005
すでに、ここ一週間ほど前から、どことなく秋っぽい気配が、漂う北海道です。
ナナカマドが「色づくぞ」と手ぐすねひいておりますね。


さて、出口氏のものを読んで、以前に調べていたことですが、『法華経』との関わりで
わかったことを、ここにあげておきましょう。

これは、人に頼まれて、以前に、ちょっと調べてみたものです。

あまりきちんとしていないので、ウソも混じっているかもしれませんが、
とりあえず、わかったことをまとめました。

ウソがいっぱいだったら、許してね。
間違っているところは、教えてもらえるとうれしいです。

何かの参考になるかもしれないので、研究ノートだと思ってみてください。
わたしの印象も、多大に入っています。

発端は、「『霊界物語』のサンスクリット語は、いったいどういうものだろうか、
正しいのだろうか、これはいったい何なのでしょう?」と尋ねられたことにはじまります。

★出口王仁三郎 と 『法華経』 の関わり★

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『霊界物語』にみられるサンスクリット語について、検討したところ、ほぼ『法華経』にとかれる用語に由来することがわかりました。

たんなる用語の表面的な理解にとどまらず、語用法やサンスクリット語の特徴などにも注意を払ったことばの使い方をしており、非常に仏教に関する素養も深いことが伺えます。
どこかで、『法華経』の梵本などについて、講釈を受けたことがあるような感じです。
型にはまった日本仏教や中国仏教の解釈による『法華経』の理解ではなく、インド大乗仏教としての『法華経』の意義や目的に通じているところがあります。

つまり、ブッダの法の意味するところを鋭く理解し、そこから派生して大乗仏教が生まれてくるその土壌や精神的な風土にも留意しつつ、『法華経』の経典としての意義を知った上で、それを、自身の宗教的な理論に取り入れているのではないか、という、そのような感じが漂います。

かなり多くのものを、『法華経』から得ているように思われてなりません。

まず、『法華経』との関わりを調べますと

村上重良『出口王仁三郎』(新人物往来社、昭和48年7月、p.32)に
 

 金剛寺の住職がひらいていた夜学にも、昼間の重労働に負けずに通いつづけ、漢籍や経文を学んだ。矢島某からは、『日本書紀』『日本外史』を教えてもらい、神道や日本歴史についての知識を身につけた。学費や本代は、私語のあい間に、村の共有林で青柿をとって渋をしぼり、町で売ってつくり出した。
 穴太寺の月例の通夜講では、念仏のあと説教が行われていたが、喜三郎は、法華経普門品と観音経の解説を、滔々とやってのけ、参会者を感心させた。この話を伝え聞いて、教徒に本部を置く法華系の新宗教・本門仏立講から、布教師になるようにと誘いが来たという。

とあります。およそ、喜三郎が十代から二十代にさしかかる頃、1890年以降のことではなかろうかと思われます。『法華経』には詳しかったようですが、このときは、まだ、サンスクリット語については情報は得ていないと思われます。

といいますのは、サンスクリット語の原典が知られるのは、我が国においては、1908-1912 年の、ケルン・南条文雄による出版が最初だからです。

* The SaddharmapuNDarIka. Ed.by H.Kern and B.Nnjio, St.Petersbourg,1908-1912.

この出版により、サンスクリット語の『法華経』原典が知られることになりました。そして、その翌年、1913(大正2)年に、梵漢対照の和訳が出版されて、一般の人にも、サンスクリット語が知られていくことになりました。

* 南条文雄・泉芳環 共訳『梵漢対照 新訳法華経』京都 大正2年(1913)

この書は、インターネット「国立国会図書館 近代デジタルライブラリー」で検索しますと、インターネット画面で本体を見ることができます。数頁コピーしてみました。

(コピーは、ここに出せないので省略です。)

このコピーによりますと、和訳のあとに、サンスクリット語がローマナイズで出てきますので、発音によるカタカナ書きは、どうやって得たのか、ちょっと疑問です。
 誰かに、習ったのかもしれませんし、自分でも読み方を習って、自分で読んでみたものもあるかもしれませんが、習った方が確率が高いように思います。表現が、ローマ字の読み方通りでないものもありますので、現地で習った日本人かインドの人に、聞いた可能性が大きいように思います。
 
『霊界物語』の口述は、1921年(大正10)からですので、それまでの間に、サンスクリット語についての知識も備わっていったのではないでしょうか。

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村上重良の書には、喜三郎の思想的な基盤としては、最初に古神道を基礎におくことが、説かれているように読めますが、実際の思想的な底流には、『法華経』があったのではないかと思われます。

これは、後に、人類愛を強く謳うスケールを大きな宗教思想へと変革していく基盤におかれているかもしれません。
神道系ではありますが、『霊界物語』の巻頭には、弥勒下生を述べ、苦集滅道の四聖諦を説くなど、仏教の影響が色濃く見られます。

また、バハイ教と交流して、万教同根を説いて、世界主義へと進むその行程の中にも、三乗が一仏乗に帰するという『法華経』の一切成仏を目指す理想があるように思います。

開祖である出口なおの説く、世直しの基本構想をさらに大きく理論的に確立する要素となった一つが『法華経』であるように思われますが、これは、もう少しよく調べて見る必要があると思います。

さて、『法華経』の影響を物語るもう一つの引用は、「陀羅尼品」からのものです。

iti me iti me iti me iti me iti me / nime nime nime nime nime /
ruhe ruhe ruhe ruhe ruhe / stuhe stuhe stuhe stuhe stuhe svAhA

イティ メー イティ メー イティ メー イティ メー イティ メー 
ニメー ニメー ニメー ニメー ニメー 
ルヘー ルヘー ルヘー ルヘー ルヘー 
ストゥヘー ストゥヘー ストゥヘー ストゥヘー ストゥヘー スヴァーハー

(『法華経』梵本、bibliotheca Buddhica 10,p.402)


呪文なので、意味はよくわかりませんが、『霊界物語』(第63巻、pp.56-8)の説明にあるとおりではないかと思われます。
鎌田茂雄『法華経を読む』(講談社学術文庫、p。392)には、訳してありますが、基本的には似たようであります。
おおざっぱですが、あげてみます。(同じ語は同じ訳になっていますね)

この人に。ここにおいて。この人に。この人びとに。この人に。無我よ。無我よ。無我よ。無我よ。無我よ。すでに興りぬ。すでに興りぬ。すでに興りぬ。すでに興りぬ。かくして立つ。かくして立つ。かくして立つ。害をくわうるものなし。害をくわうるものなし。

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以上、とつぜんですが、おわります。
研究ノートだから、ね、こんなもんでも許してよ(汗)。

011

コスモス、コスモス、宇宙を思う。。

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