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2011年5月22日 - 2011年5月28日

2011/05/27

花とことば

前の日記では、レンギョウの花盛りをごらんいただきましたが、
あわれ、レンギョウも、散りゆく頃となりました。。。001

ああ、さびし。

なので、次の花!
奥に見えまするは、八重桜かな。
ここに大きく写します、どかんと。
002
おお、うるわし。

この盛りをのがしては、二度とチャンスはない。
アップして撮って、アップしなくちゃ。
003
わわっ!ちょっと大きすぎ。
もうちょっと、控えめにしてほしい?

はい、はい。
004

こんなところでどうでっしゃろ。
あんまり変わらん?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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花にちなんで
=====

うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りのないものがあるように、
善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない。


うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りのあるものがあるように、
善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りがある。
(『ダンマ・パダ』51,52)

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うるわしい花で、香りのない花というのもあるんですね。
善いことばで、実行されないことば、というのは、あるのがわかるけど。

しかし、
花よりダンゴ。。ではなく
花よりことば。。ことばの方に

気が引かれます。。

花を見ながら、しみじみ、ことばも観察しちゃおう。

ことばは、不思議なものだと思う。

よく「ことばで言い表せないものがある」とか言われるけど、
昔、そんなことはあるはずがないと思っていました。

どうにかすれば、絶対ことばで表して、
相手に伝えることができるだろう

そう信じていた頃もありました。


今でも、そう思う気持ちは、ないわけではありません。
ことばに対する信頼、というのか、
そういうものが、どこかに残り香のように残っています。

ことばが自由であれば、なんでも伝えられるのではないか
と、思ったりもするのです。

ことばが自由である、とは
思惟が自由であることです。

思惟が自由である、とは
ことばにとらわれずに
ことばが出てくるということです。

そのとき、ことばはことばであることを忘れている。

そうであれば、ことばは、なんでも伝えられるのだろう、
と思います。


ことばを信頼したので、
龍樹は、「空」と言ったのでしょう。

ことばは自由だと知ったので
龍樹は、「空」と言ったのでしょう。

ことばは、ことばを打ち消すことができるし、
ことばは、ことばを生み出すこともできる。

ことばによって、思想が生まれる。
ことばによって、思想が消える。

ことばが心のままであれば、
心はことばのままである。

こうして、ことばによって、
世界が動いていくのです。
人の心が動いていくのです。

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はじめにことばありき。
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このことばによって、まさしく、
世界がはじまったのでしょう。

だって、そう書いてある。
書いてあるなら、そうなる。

ことばの真実において、
ことばはことばを実行する。。そうなれ!

だから、いっそ

仏教でよく言う、「ことばで言い表せない境地」は
ほんとうは
ものすごく多種多様なことばの花開いた世界を示している。。んだろ。

ことばで言い表せないものなど、

やっぱり

ほんとうは

一つもないのだ

って、いう気が

どうしてもしてくる。。なぁ、花を見ていると、ね。

花開くなら、ことばも開くだろ。。
言い表せないことばが、花開くのだろうね。

こうして、ことばは、真実の花となる。
こうして、真実のことばは、花となる。

だから、集めてください、真実の花とことば。

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わざに巧みな人が花を摘むように、学びつとめる人々こそ
善く説かれた真理のことばを摘み集めるであろう。
(『ダンマパダ』45)
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(うーーむ、管理人
新境地か、はたまた、でたらめか。。
ことばのおもむくままです、はい)

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