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2011年4月24日 - 2011年4月30日

2011/04/24

神さま、神さま、神さまって何なの、教えてよ!

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薄暗がりの中で、何か小さな花のようなものが。

ぱちっ!

スイセンみたいですね。
まさか、去年の咲き残りじゃないよね。
って、いうくらい、目立ちません。
なので、めいっぱいアップです。

さて、っと、

昨日、土曜日、目覚めた時間が、なんと午前0時台。
晩ご飯の後、爆睡してしまい、変な時間に目覚めました。

キリもよいので、そのまま予習をはじめ、
ずっと、起きてて、そのまま朝に突入。
がんばって仕事にも行き、無事終えて、
午後の3時頃、地下街を歩いていました。

と、とつぜん、
歩くスピードが、いつもの半分くらいになってしまいました。

あれ?おかしいな?
エネルギーが切れた?

なんだろ?

はっ!

もう、わたし的には、夜なんだ。
15時間も働いてる!

帰ったら、即、寝る時間!ってことかぁ。
ま、まぎらわしい生活だわ、まったく。

でも、仕方ない。
1日24時間じゃ、足りないのよ。
寝る時間削って、勝手に変更してます、ハイ。

=====
さて、さて、
シャン坊さまとおちゃらけさまの宿題が、あったっけ。。
さっさと、宿題しなくちゃなっ!

>「神」についての、インドの論理と、王仁三郎の論理の違いを、もう少し、具体的に教えて頂けませんか。
>ちょっと気になっていましたし、とても重要な点のように思いますので。

へいへい、すんごくいい加減ですが、
口から出任せにやってみます。

気分だけ、王仁三郎のまね!っこだい。。。霊界物語口述をイメージしてね。

 ~~~
インドで神の存在証明を行ったのが、
ニヤーヤ学派。

また、他の学派では、ヨーガ学派が神を説きます。
(サーンキヤ学派は、神を説かないけどね)

いろいろ哲学的には言えるのですが、

そんなこたぁ、どうでもいいのです。。。
いや、
どうでもよくないかもしれないけど、でも、やっぱりどうでもいいのです。

なぜなら、インドの「神さま論」は、
しょせん仏教の無我論に対抗する役目しかないかのように
仏教の論理の枠組みをこえでるものではないからです。

はっきり言って、物足りないのです。

え?これが、神さま?
なんか、何にもしてないじゃん。。。みたいな。

たとえば、鉄を引きつける磁石の力のような、
そんな程度の影響力しか、神の力を認めないような。。。さびしいのです。

そもそも、神さま”目線”というのが、まるきりないのです。

いくら、人間が被造物であってもですよ、
神さまとはかけ離れているとしてもですよ、

神さまがいるなら、
神さまがいる、と感じ取れるような存在感が
わたしたちに向かって
醸し出されてしかるべきであります

が、

そういう感覚が、まるきり感じられません。

人間を超える創造主たる ”えらそうな神さまぶり”、ってのがないのです。

そういえば、

ヴェーダの頃から、神さまは肩身が狭かったっちゃ(しみじみ)。

バラモンの祭式の道具みたいなもんで、傀儡でした。
バラモンの唱えるヴェーダのことばは、呪力がありました。

神さまは、そのことばに操られるがごとく
招福除障にかかわる現世的な願いに応えてきたのです。

なんて、かわいそうなインドの神さま。。
神さまに代わって、力をもってきたのがブラフマン(ことばの力)
また、自己であるアートマン。

これらは、宇宙の原理とされていきます。
こうして、ウパニシャッドの世界が、広がっていきます。
神より、ダンゴ。。じゃなかった、人間を形作る要素が主役に。

たとえば、プラーナ、たとえば、アートマン、たとえば、プルシャなどなどなど。

この中で、最高のアートマンを、神(イーシュヴァラ)として
哲学的にとらえ、検討するようになりますが、

あくまで、論理的に、仏教の無我思想の枠(すなわち、因果)を
超えない力しか与えられてこないのです。

★バラモン教においても、神さまは、肩身が狭い
★仏教においては、もちろん、神さまは仏・菩薩の下

なんか、神さまに冷たいのが、インドなのです。
あんなにたくさんの神さまがいて、人気を博しているにもかかわらず。。

で、
=============
こんな神さまがいるインドは、やっぱり、人間が主役で中心の世界なのですね。
=============

さあて、

ところで、極東の島国、われらが日本。

八百万の神々が住まう山や川や田に暮らす人々。
『古事記』『日本書紀』の神話とともに生きてきました。。どうかな?

出口王仁三郎が、取り上げた
日本にあって、インドにない神さまの属性は、

★一つには 「言挙げしない」という点。
ことばで言い表せないことにより、人間と神の間には線引きがなされます。

一神教的な側面も持ちえますし、何にもしない邪魔にならない神さまにもなれます。

★もう一つは、神は意志をもつという点。
しかも、人間とは基本的に異なり、善という属性のみからなる、とするのです。

ここで、善悪を説き、倫理を説く神が出てきます。

これが大きいです!!!!

インドでは、神は、けっきょく倫理・道徳を説けないのです。
解脱を目標にする人間と、天界を目指す人間の補助の役目をするだけ。

王仁三郎の神論では、
すべての人間を平等に愛して、社会をよりよいものにすべし、
という社会性が出てくるのです。

神は主導的なのです。。。神さまっぽいわん。

しかし、だからといって、民を圧迫する神ではありません。

言挙げしない国の神は、ことばで押しつけるという苦しみを与えることはないのです。

すごいぞ!神さま

神さまらしい神さまでありながら
しかも
人間の暮らしに役に立って、彼らを支えます。
さらに
人間に、あるべき理想をも示し、苦や恐れを除くのです。
そのために
神は、神を生んで、多方面に能力を発揮するべく多神教を取ります。
こうして、
次第に人間っぽい神さまの事情も語られはじめます。
神の性格は微妙に変化しうるのですが、自然に無理なくなされます。

日本の神だけでなく、いろんな名前の神や仏が、縦横に結びつけられて、
霊的な世界と現実世界を行き交います。

人間は、神から影響を受けて、宣伝使となってはたらき
神と人とを結びつけます。
(なんか、いい加減な表現です、もうちょっと、よく調べなきゃね)

とにかく、なかなか、すごいです。

わたしの力では、まだまだ、語りきれてません。

未熟ものっ!

ははっ、もうしわけござんせんです。

以上、ぼろが出たところで終わります。

===
まだまだ、いろんな要素をあげられると思いますが、
検討不足のため、アバウトに述べてみました。


王仁三郎と、『法華経』や『大日経』などとの関係も調べると
おもしろいと思います。

読んでいますと、
かれがあらゆる思想・宗教を手中に収めようとしているさまが、
著作の行間から読み取れるようです。

聞いた話では、王仁三郎は、暇さえあれば辞書や辞典を
読んでいたそうです。

そんな王仁三郎の霊的な精神を、
著作や伝記の中から、わたしなりに
キャッチしようとして、悪戦苦闘中です。
002
最後は、妖しい花で、終わります。。暗がりに白い。。。こわっ!


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