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2010年2月28日 - 2010年3月6日

2010/03/04

輪廻は長い長い道 泣き!

015


先日、朝カルで、

輪廻のお話しました。


輪廻は、縁起を知らないと、理解できません。

    「縁起を知る」

これがどういうことか、ここも、またむずかしいのです。
 
ブッダは、こういっているからです。

============================
(アーナンダがブッダに語ります)
「不可思議なほど、尊師よ、未曾有なほど、尊師よ、深遠なる、この縁起は、
尊師よ、深遠であるように見えます。
しかし、
わたしには明らかな上にも明らかであるように思われるのです。」

(ブッダは答えます)
「アーナンダよ、そのように言ってはいけない。
アーナンダよ、そのように言ってはいけない。
アーナンダよ、深遠である、この縁起は、深遠に見えるのだ。
アーナンダよ、この法を悟らず理解しない、このような人々は、
糸のもつれから生まれてきて、腫れ物に覆われた中から生まれてきて、
ムンジャ草やバッバジャ(燈心草)草の中で生存しており、
苦界や悪趣や地獄や輪廻を超えでることがないのである。」
=============================

ブッダのことばをしみじみ読んでみましょう。
わかるでしょうか。

簡単にいっちゃうと

★★★★★★★★★★★★

縁起を悟らず理解しない人は

輪廻するのです。

★★★★★★★★★★★★

こうなのです。

ですから、
縁起の理法を理解しないことと
輪廻をすることは

同じことなのです。

逆に
縁起の理法を理解すると
輪廻しない道も選べるのです。


わたしたちが、「縁起」ということを

ほんとうに理解しているかどうかは

輪廻ということがわかるかどうかに

かかっているとも言えそうです。

輪廻がわかれば、そこから

縁起を用いて抜け出せるのですから。


ですから、
縁起は認めるけど
輪廻はありえない

という人は、
縁起もきっとわかっていないのです。


それで、朝カルのみなさんと

縁起の勉強を、また、一からやりながら

延々とブッダの論理を語り続けました。

昔、二つ書いたエッセーを用いて、

脳みそを爆発させながら、勉強したのであります。
http://homepage1.nifty.com/manikana/essay/reincarnation.html

http://homepage1.nifty.com/manikana/essay/reincarnation2.html

「わたしたちが生きる」ということは、どういうことか
という問題と同じことだと思います。。


あなたが、どうやって生きてきたのか
それを、もう一度考えてみなさい
ということだと思います。


両親から、生まれ、
いろんなことをおぼえながら人とかかわって、
いろんなことをしながら社会とかかわって、
いろんなことに苦しみながら
死んでいくのです。
 
未練を残すから、死にきれないのです。
納得して死ぬ人は、少ないのです。
死は、恐怖であり、避けるべきものになるのです。
ほとんどの人は、「死にたくない」といって
死ぬのです。

ですから、
死にたくないのに死ぬので
また、
生まれてこざるをえないのです。

心が、求めるからです。

こうして、煩悩→行為→苦→煩悩→行為→‥‥

この三つの輪の中に人は居続けるのです。

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ブッダのことばを聞きましょう。

「比丘たちよ、輪廻はその始めもなきものであって、
生きとし生けるものが、無智におおわれ、貪欲に縛せられて、
流転し、輪廻したるその始源は知ることをえない。

 比丘たちよ、これを汝らは、どのように考えるであろうか。
四つの大海の水と、汝らが、
怨憎する者と会い、
愛する者と別離して、
ながいながい歳月にわたり、
流転し、輪廻して、悲しみ歎いた時に流し注いだ涙と、いずれが多いであろうか」

弟子たちは、四海の水より多いと答えます。
ブッダはそれ受けて、こう言います。

「比丘たちよ、汝らが、
怨憎する者と会い、
愛する者と別離して、
ながいながい歳月にわたり、
流転し、輪廻して、悲しみ歎いた時に流し注いだ涙は
はなはだ多くして、
四つの大海の水といえどもその比ではないのである。
 比丘たちよ、汝らは、ながいながい歳月にわたって、
母の死に逢ったのである。
 比丘たちよ、汝らは、ながいながい歳月にわたって、
息子の死に逢ったのである。
比丘たちよ、汝らは、ながいながい歳月にわたって、
娘の死に逢ったのである。
比丘たちよ、汝らは、ながいながい歳月にわたって、
眷属の死に逢ってきたのである。
比丘たちよ、汝らは、ながいながい歳月にわたって、
財宝を失う悲しみに逢ってきたのである。
比丘たちよ、汝らは、ながいながい歳月にわたって、
病気の苦しみに逢ってきたのである。

比丘たちよ、そのようにして、汝らが、
怨憎する者と会い、
愛する者と別離して、
ながいながい歳月にわたり、
流転し、輪廻して、悲しみ歎いた時に流し注いだ涙ははなはだ多くして、
四つの大海の水といえどもその比ではないのである。

それは、何故であろうか。
比丘たちよ、この輪廻はその始めも知られざるものであって、
生きとし生けるものが、無智におおわれ、貪欲に縛せられて、流転し、
輪廻したるその始源は知ることをえないのである。

だから、比丘たちよ、この世におけるもろもろの営みは厭うがよく、
厭い離れるがよく、したがって、そこより解脱するのがよいというのである」

(増谷文雄訳 『阿含経典』「涙」より)
 
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あなたが流した涙は、四海の海よりも多いのです。
どうして、輪廻しないと言えるでしょうか。


朝カルのみなさまの!今回の講義は、「泣き!」でございました。

では、ブログのみなさまにも、泣いてもらいましょう。

生と死を見つめて
涙にくれない人はいないでしょう。

何度も何度も、別離をくりかえし、出会いをくりかえして
わたしたちは、ここにいるのです。

縁起を知ることは、そのまま、輪廻を知ることなのです。
これも、輪廻の長い道   005

雪解けや 涙の果てに知る涅槃

(なんだか、俳句ができたっち!)

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