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2010年12月5日 - 2010年12月11日

2010/12/05

一粒の麦っこと一粒の豆っこ

005_2
いつ見ても、仲むつまじいっすね。

題して 「 語らい 」 なんて、どうでしょう。

いいすね。骨になっても、語り合えるなんて。

いつもは、ここから、学生さんが首を出して
「せんせ~」と叫ぶが
今日は、おとなしいです。

しばし、密やかに、語らっててくださいニャン。

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さて、今、一生懸命日記を書いていたら
二度も、途中で、ブチッと消えてしまいました。

焦って操作を間違えたのと、なんかのトラブルと
二度の悲劇に、ほとんどめげそうです。

でも、三度目の正直だ。。根性で書きます、予習もせずに(ぐす)

最近、聖書を読んでいます。

☆★☆★
よくよくあなたがたに言っておく。
一粒の麦が地に落ちて死ななければ、
それはただ一粒のままである。
しかし、もし死んだなら、
豊かに実を結ぶようになる。
(ヨハネ福音書12.24)
☆★☆★

わたしは、昔、この詩の意味がわからなかった。
どうして、死んだら実を結ぶのだろう、って。

最近、よくわかってきました。

一粒の麦が、麦として死ななければ
それは、いつまでも、一粒の麦である。

もし、麦として「死んで」壊れて
そこから、新しい芽が生ずるなら
大きく育って実を結ぶ。

こういうことだね。
麦が、麦の自性をもったままで
そのまま死なずにあるなら、
永遠に麦でしかない。

いったん、麦としては死んで、壊れるなら、
そこから、新たな誕生がある。

なるほどぉぉ!!

イエスは、十字架にかけられて
人の子として、死んだのです。

だから、そこから、復活があるのです!

神の子イエスが、復活したのでしょう。
きっと、そうでしょうね。

*************
死んだら、復活できる
*************

これは、キリスト教の思想として、おぼえておこう。

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では、次です。
わたしは、こんなのも読んでました。
『菩提資糧論』です。

☆★☆★
菩薩は煩悩を性とし、涅槃を性としない。
諸煩悩を焼くことはない。
菩提の種子を生ずるから。(四・四三)
☆★☆★

こちらの方が、なじみがあります。
菩薩は、煩悩を焼いて滅してしまうことはない!

なぜなら、そこから、菩提(悟り)の芽が生まれてくるから。

煩悩が滅して、死んでしまうなら、どうして、
「悟りたい、ブッダになりたい」という
「願」が生まれるだろうか。

*************
生ずる性質のものは滅する性質である
*************

煩悩が滅してしまったなら、そこは
涅槃である、寂静の境地である

菩薩は、こうして、涅槃の証をとらず
煩悩を残すのです。

だから、声聞乗や縁覚乗に入って
悟ってしまうならば、

菩薩の死

といわれるのです。
阿羅漢、縁覚となって
ブッダになれないからです。
衆生を救えないのです。

煩悩の炎は、吹き消してはならない
滅してしまえば、生じません。

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ちがいますね。

死んだからこそ、復活した神の子イエス
麦っ子イエスは、たくさんの実を結んだ

菩薩よ、死せるな、煩悩は菩提の種。
まめっ子菩薩は、種を育てて今日もいく


生と死は、思想によって、その意味を変えていきます。
001
この前降ったこの雪も、今は滅してしまいました。
でも
また、また、復活するだろな。。雪っ子だもんね。

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