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2010/10/01

『サンガジャパン』Vol.3です

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表紙が、なんとなくおシャレですね。

「心と仏教」という特集記事でいっぱいです。

表紙の、アイボリーというか薄い壁の色というか、
そういう色は、なぜか、「心の色」という気がします。

パラパラと眺めて、思わず読んでしまったのが、

田口ランディさんの
「あなたは病んでいる。私も病んでいる。だからそれで大丈夫。」

というエッセーです。

ものすごく悲惨なのに、不幸なはずなのに、
なぜか、
どこか幸せ感のただようような書きぶりが印象に残ります。

どこかで、この感じ、味わったことがあるぞ、。。どこだろう?


あ、わかった。ブッダの苦行のお話だ。

まだ悟りを得ない菩薩の頃、ゴータマは、6年間も
苦行に励みます。

凄まじい苦行の様子に、
ものすごく悲惨なのに、苦しいはずなのに
なぜか、
どこか幸せ感がただようような語りが、印象深いのです。


苦しみを苦しみながら、なおかつ、それをジッとあるがままに見つめられる人は、
ブッダの眼をもっているようですね。

=====

さてっと、ところで、管理人は、何を書いたの?

はは、例によって例のごとく、脱力系のコラム。。。
いっそう、他の記事から遊離してきて、浮遊しはじめてる感が。。

でも、すんごく悩んで、悩みすぎて、
最後は、締めきりぎりぎりのところで、
半日で書いたという 苦行ものなんすよ。

ウパニシャッドを活用する癖がついたかも。

「食べられて、食べる者は、食べる」

という題です。

食欲の秋を思わせる題だ、ですって?

そんなこと言ってたら、「おや、栗が落ちてる!」
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コメント

スズメ
スズメ

親どのはどこだ ・・・・eye

チュッチュッチュッ
チュッチュッチュッ

こちらで お猿 ・・・・eye

エッサエッサ
エッサ
ほい
サッサッ

投稿: 春間 則廣 | 2010/10/11 08:47

> 食べてみるのが、

うっ!
食べてみるんですか?

スズメにたべてもらおっと。

投稿: 管理人エム | 2010/10/11 02:40

> 食べれるかしら ?

食べてみるのが、
snail のように見えて wink
手っ取り早いことです

投稿: 春間 則廣 | 2010/10/10 10:14

ええーっ、おちゃらけさま、やだわっ。

過去をのぞき見しちゃ。。。

って、おいおい。
ブログが、一番、このサイトの中じゃ新しいんですよ。
つい、この前、はじめたばっかだっちゅーのに、もう6年も経ったのね。

ところで、さりげなく、白くしましたねっ!
お茶飲み飲み、さりげなさすぎるぞぉ。

昨日は、真っ黒になって、家の大掃除してましたのだ。
家の中には、大切にゴミがしまわれていたことに気づいて愕然。

ブログが、その間、真っ白になってるなんて。。ムム。

ところで、平成8年の新米、ってのが出てきたんだけど、食べれるかしら?????

投稿: 管理人エム | 2010/10/10 09:38

ハフ・・・、エム先生

ずずずとお茶を一服しながらしみじみと秋です。
うんうん、ほんとにほんとに、そうですねぇ。
やだやだぁ、むずかしぃですううぅ!と言っても
他に道はなく。。。のたのたとうちまわりながら
あっちにつんつん、こっちにつんつん、
コロンコロンとまろ(転または丸)がりあいつつ、
気がつくと虫の音、気がつくと秋の空。
いつのまにかすべてが変わっていますぅ。

いてもたっても変わっちゃうなら、しばしこのまま
ゴロンゴロンしてよぉ~っと。

リリリリリ・・・

============
って、静かにこっそりいかないですぅ。
いやんいやん、白くなっちゃぅ~

ところで!です。
ぬぁんと、エム先生のブログ、10月11日で6周年目っすよ!
たまたまバックナンバーに検索かけたらはっけーん。
石の上に三年が二回分!!@_@
さざれ石が千代に八千代にまるまるまでよろしくたのんます!

投稿: おちゃらけ | 2010/10/09 12:12

おちゃらけさま

こっちにも反応してみます。あっち、こっち、あっち、こっち、とな。

>「ほとんどの(問題の)場合」、「ほとんどの人(←もち含む私)」が「気がつかないで」かつ「やっちゃってる」ことが起因してるんじゃないでしょか。これがトホホだなぁ、、、って

たしかに、これはありうる!オホン!
凡夫ですから。。。

でも、いいじゃん!(ッと、軽いノリでいってみよー)

自分で気づいたら、直せます。
気づかないときには、誰かが指摘してくれます。
誰も指摘してくれなくて、自分も気づかないとき、迷いっぱなしかもしれないけど、あんまり他の人には迷惑かかってないかもしれない、って、楽天的に考えてみてもいいのかな?ダメかな。

迷惑だったら、ぜったい、他人が指摘してくれると思うから。
「あなた、自意識過剰ですよ」って。

「見えても見る必要がないとき」は、もう、気持ちが軽いでしょうね。
ほんとに自由な気分なんだろうと思いますね。悩みも何もない!って、ことですよね。

自意識過剰のときは、自分の身や気持ちが、ずんと重たい感じでしょうね。


投稿: 管理人エム | 2010/10/08 19:26

その二

エム先生

> 本人が気づいているかどうかは別にして。

「気づいていて」かつ(自分を含まない自分以外のものに向けて)「やっている」なら、それはもぅ「確信的」。そういうお方は「気づいている」という覚悟があるので、それはそれで認めるしかないかもです。(自分を含まない自分以外のものが)「これは私のものです」、「これは私です」、「これは私の我です」、「という境地」ですから。ガクブル。。。

「その上」で(自分ではない、自分以外の)「誰かが」「気がついてくれる」と思ってやっているのかもしれないですし、「誰かが」「気がつくまで」やるのかもしれないですし、「誰かが」「気がついても」やり続けるのかもしれないけれど、それは確かに「別の話」、別の文脈で語られることですもんね。

「ほとんどの(問題の)場合」、「ほとんどの人(←もち含む私)」が「気がつかないで」かつ「やっちゃってる」ことが起因してるんじゃないでしょか。これがトホホだなぁ、、、って。

「何かを語るとき」それは常に喩えで示されますよね。だって「直接」表現するのは「不可能」ですもん。言語を使うことは、「何か」が「何か」に喩えられるということで、その「喩え」というのは、「常に」何か・誰かが語った・行ったことからの引用(コピー)なわけですが、その「喩え」に「オレ・オリジナル」という自・意識が「気づかずに」入り込んでいるのが見えると、「見えるとき」がトホホです。

「見てないとき」に、自分を含めたことがらを語れるかも。んー、もっと正確に言うと「見えても見る必要がないとき」というか。それは「気づいていない」ところと全く違うかもです。ちょうどそのとき、見えて・ても、見えて・なくても、その言葉(=喩え)がオリジナルとかコピーである・ないに一切関係なく、ことばは空である、と思います。

それが『あるように見えても「空」という』と、云われるところ、かしらん・・・?

投稿: おちゃらけ | 2010/10/07 19:57

おちゃらけさま

>形而上な非言語な抽象的な「何か」を「思考の力」によって具現化し言語化するとき、(喩えとして表すことができる)具体的な場面に落とし込んだ場合でも無機物を扱うような感覚で論理を使えるんでしょうか?

もし、そういうことをする人がいるとしたら、それは、その人にある「欲」によって行われているでしょう。
本人が気づいているかどうかは別にして。

そこに、利他の心があるとき、論理は「無機物」ではなく、豊かな具体性を花開かせる珠玉の素材となります。

一方、自分の欲を満たすために、論理を用いるなら、それは、「無機的に」人を苦しめ混乱させるものとなると思います。

喩えの中に、語る自分が含まれないとき、多くの人は、用心するでしょう。
危ぶむのじゃないでしょうか。

真実を語るかどうかは、そこにかかっているのですから。

ブッダは、つねに実語を語った、と龍樹が述べている意味は、そこにあります。

つねにブッダは自分のしていることを語っていたのです。ですから、どんなことを語ろうとも、それを人は聞くのだと思います。

投稿: 管理人エム | 2010/10/07 03:55

九里四里うまい十三理
        delicious
半 分 ワカッタ 菩薩舞も あるでよ~ !
(判分に割った、いもも あるよ)
    heart03

投稿: 春間 則廣 | 2010/10/05 22:19

(ひとりごとモードでぇす)

圧倒的な「力」を前にして平安で平静でいられるのか、これが「いつの時」でも「今」を生きるボサツ道への試練かしらん、と。
ひとりどこかに籠もって静かにしてるんじゃなく、衆生の争乱の中で心動かされることなく、(閉じきって)動かさないのでもなく。
(てか、「どこにいて」も「同じ」かも)

力というものは、人間と人間の間では暴力(オレ権力の強制)という形で現れる・表現される・具現化される・ことが多いなぁ、という気がするんですが、「思考力」と、「思考力を使える・持っている」と思う・思い込むのは違うんじゃないかと。形而上な非言語な抽象的な「何か」を「思考の力」によって具現化し言語化するとき、(喩えとして表すことができる)具体的な場面に落とし込んだ場合でも無機物を扱うような感覚で論理を使えるんでしょうか?喩えの中に「生身に対する」暴力(他を排除しようとする比喩、つまり自分が含まれていない比喩)が潜んでいたらどうしたらいいんでしょか。

圧倒的な「力」、人知を超えた(人のものではない、誰にも属さない)「力」の前でヘヘ~ッとひざまずくことなく、ヘナヘナとひざをつくことなく、平安で平静でいられるかどうか。そこでイタタタタタな感覚をイタタタタタとだけ観察できるのか。

> 龍樹とブッダのところに帰ろう。。ふるさとへ。。ボサツの里。
へぃ、らっしゃい、らっしゃいっ!みんなでらっしゃいっ!
ボサツの里のクリはうまいよっ!
(ですって・・・)

投稿: おちゃらけ | 2010/10/05 21:56

おちゃらけさま

はぁ~~、チャオ!

ちょっと、おちゃらけさまのトホホ気分が移ってきちゃった感も、なきにしもあらずです。。

四苦八苦ウィルスって、あるんでしょうか?

> ゆえに『いつでも』話のスジがちゃーんと立ってる、つまり論理的であるからわかりやすい(路が通ってる)、そこに区別も差別も共感も反感も潜むスキがない、って感じ。

ここは、最近、ぐっと感じるところ。
どうして、こんなに話がわかりにくくなったんだろう、って、思うこともしばしば、しばしば。。。しばしば、バシバシ。

龍樹とブッダがなつかしい。
龍樹とブッダのところに帰ろう。。ふるさとへ。。ボサツの里。

投稿: 管理人エム | 2010/10/05 18:17

エム先生

だってぇ~、どこからかキンモクセイが香りだしてこちらは本格的に秋なんですぅ。
だってぇ~、右を向いても、左を向いても、四方八方が苦なんですもん。
シンドくないっすか?これ。

そんなこんなで、月の満ち欠けと同じくウダウダシーズンが必要なんですぅ。(私には)
だって秋なんだも~ん。

で、苦ってのは、あっちが軽いとかそっちが大変とかってのじゃなくって、どれもが一様に重い、ってのがときどきみょ~にチョーしんどいです。「悟れば問題解決しまっせ!」と言ってるお方の言葉が「どのような文脈で語られても重い」から、トホホです。逃げようがないから、その都度その都度、毎回毎回、とぼとぼ歩むしかないってのがトホホです。仏教(智慧の教え)を知ると善(智慧)に進むしか道が残されてないのがトホホです。

で、対機って一境性かなぁ、って前に書いたの、も少し付け足すと、すんごい精神力必要だなぁ、と。平安でいるためのもんのすごい精神力が必要じゃないかと。いうのは簡単だけど、行うはガッタガタ。だって、こーゆーことって外に向かって言っちゃうと、言うそばからすべるんだもの。ことばを語るためにはすんごい智慧が必要で、そのためにはすんごい精神力が必要で、ゆえに『いつでも』話のスジがちゃーんと立ってる、つまり論理的であるからわかりやすい(路が通ってる)、そこに区別も差別も共感も反感も潜むスキがない、って感じ。そーじゃないのはどっかニオイますです。プンプン!という音がしてます。それ、トホホです。だからトホホです。

で、菩薩さまって、涅槃一歩手前で行かないように留まっているっていうより、世俗と勝義の間に立つ人、ゆえに人ならず、ってなイメージです。中に立つゆえ、空に立つゆえ、ボーディのサットヴァさんでぇ~す、みたいな。すんごい精神力。も~ぅ、あのくたらさんみゃく3トホホ!

トホホな私はアハハ~ン♪って脱力するしかない秋なんですよぅ。
(みょーに自ツボにはまってウケてます。アハハ~ン)

投稿: おちゃらけ | 2010/10/04 15:48

おちゃらけさまぁ

何か、本格的にトホホみたいですね。。

苦離は、ええよ。苦から離れるんだから、ねっ!

あはん あすみ 苦離!

新しいマハーヴァーキヤ(大文章)かも。唱えるとよかよ。。

それより、トホホな気分、とんでけぇ~~~
って、言った方がいいかな。

投稿: 管理人エム | 2010/10/04 03:23

エムセンセぃ・・・

そーですか、そーですか、、、トホホ。
秋の味覚は意我異我の仲に苦離なのよっ!ですか。
苦離よりうまいネ’ハン味?
あはんあすみ、はまーすみ、ハッまぁすみ、ません?
すんでないのにすみませ~ん。
アハハ~ン♪

ハッ・・・・
どーしてこーなちゃうんでしょ?
どーしてもこーなっちゃうんですよぅ!
クスンクスン、ひとりでトホホしてますですよぅ・・・>_<


そぅそぅ、秋モノネタつづきで
春魔さまへ

Summer has come and passed
the innocent can never last
Wake me up when september ends
数年前にこんな歌が流行りました。

無知ってイノセント?
ひとりひとりは、多分、みんないい人。
でも、オトナはわかってくれない、のかな。
オトナになるのとどっちが早い、かな?
国破れてもサンガ(教誡)は残る、かな?
When september ends?

9月が終わると神無月。
師が走り去るまでウグイス啼く春は先、、、ですねぇ。

投稿: おちゃらけ | 2010/10/03 15:10

おちゃらけさま

こんばんは!

トホホとオ~ホッホホ~って、順序ついてますよねぇ。。

逆もあり?

オ~ホッホホ~の後にトホホの方が、いっそうトホホな気分になりそ

これはね、おちゃらけさま、きっと秋だからよ、そうよ、そうに決まってる。。

秋が過ぎれば冬が来て、トホホな気分は、やがてオトソな気分になっていくのかなぁ。。

え?ぶるっ!

まずいこと考えちゃった、いっそう、トホホ。

そういえば、本屋さんに来年のカレンダーや手帳が並んでテテ、本とにトホホでした。

投稿: 管理人エム | 2010/10/03 02:55

おちゃらけ 様

ほー ほー  杜甫ーホー 
法  法華経

今日は「ガフールの伝説」を観てきました
      movie 
3D が、お勧めだったそうです
      slate 
ABCD
E絵 フ ジー U

投稿: 春間 則廣 | 2010/10/02 19:21

エム・センセィ~
最近なんか、トホホな毎日です。
秋になっちゃったからですかぁ?

あんなに暑かったのもすっかり過ぎ去って、トホホ。
プラスマイナスで選ぶとすれば、トホホ。
どっちかっていうと、トホホ。
どっちにせよ、トホホ。

私のノーミソは出来事の瞬間の全く同じ時を全く同時に認識する生理的な機能が全くないんですけど、回想すると多分、トホホ。
謙虚に時間を組み込んで表現するなら、トホホ。
いずれにしても、トホホ。
どーしても、トホホ。
やっぱ、どーにも、こーにもトホホですよぅ!

って、オ~ホッホホ~!と笑って過ごす日々って感じっす。

投稿: おちゃらけ | 2010/10/02 14:27

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