論理、それは語順である
朝日に光るステンレス! まばゆいわ!
それにしても、ほんと、ありがたい!
スイッチ一つで火がつくわ!
14年の長い間、使ってたガステーブルは
最近、スイッチを押しても押しても押しても押しても押しても押しても
火がつかなくて
やっとついたと思ったら
知らないうちに立ち消えてる
という、
気まぐれな仕事ぶり。。。
調理というのは、大半、スイッチを押し続けてるようなもんでした。
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さて、朝飯前にひと日記、
っと。
昨日の
「論理は、呼吸である」
というメッセージ。。。
どうかなぁ、って思ってね。
わたしには、まるきりの
真実なんですが
みなさまは、どうすか?
語っているときには
呼吸はしていない。
語りと語りの合間に
息を継いでいる。
だから、語りは
呼吸と二人三脚なのだ。
ふつう、考えているときも
ことばを用いているので
この場合も、同じく
呼吸と二人三脚なのだ。
ことばは、前のことばを原因として
生まれてくる。
こうして
思考には流れができる。
思考の流れは、語順に反映される。
語順は、思考の道筋を示しながら
結論へと向かう道しるべである。
そこには、自分の納得した
思考の因果関係が表れている。
こうして、語順は、その人の論理を示すのである。
故に
じゃん!
論理、それは、また、語順である。
新しいメッセージが、作れたわ。。
今日の仕事は、終わった、
じゃなくて
これからだけど
このメッセージ、まずまずじゃないかしらね。
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というのはね、
最近、ヴァスバンドゥのものを読んでいるだけど
なかなかすばらしいわ。
やっぱり、すごい人物なんだ、って
文章読んでると、よくわかってくる。
ことばに力がある。
表現に配慮がある。
そして
語順にかれの独特の息づかいがある。
かなり長い文を書く人なんですが、
長考の人らしい
論理の流れが、文の中に息づいて
呼吸が伝わってくる。
その呼吸は、微細に長く平坦に流れて
流れるような論理の展開を支えている。
かれは、瞑想していることがわかる。
文章を読むということは
著者の息づかいを聞くということである。
朝飯前に、二つ目のメッセージができたっ!
今日はついてるなぁ。。。
よし!はりきって、ヴァスバンドゥでも読もうかな。。
あ、その前に
新式ガステーブルで、お湯を沸かしてみますか。
何たって、
ワンタッチだからね。。。ムフフ
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