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2009年8月16日 - 2009年8月22日

2009/08/21

ことばを捨てる!(「智慧の仏教」と「方便の仏教」)

さぁ、がんばるぞ!っと。

昨日の続きです。

昨日、わたしは、ゴミ箱に

「小乗」ということばを、ぽいっと捨てました。
 
 
今日の話題は、まず、

1.ことばを捨てること

2.なぜ「小乗」と言ったか

3.捨てたら、それから、どうする

の三つです。

 
★1,ことばを捨てること★
 
「小乗」ということばを捨てたのは、

直接的には、「蔑称である」という

コメントをいただいたからです。
 
 
歴史的にいろいろな執着や煩悩によって
手垢のついたことばではありますから、
 
このようなコメントが来るということは、

このことばに新しい意味を盛り込んで用いても
うまく機能しないと思い、

ぽいっと捨てました。
 
 
捨てることには、意義があります。
 
 
これは、ブッダの重要な教えの一つです。
 
 
「言い争ってはいけない」という教えに通じます。
 
たしかに

ことばに執着せず、それを捨てることが

言い争いに至らない道だとわかるでしょう。
 
 
しかし、

ことばをそんなに簡単に捨ててだいじょうぶ?
 
 
だいじょうぶです。
 
生じて滅する仏教の世界では、

ことばもまた生じて滅するからです。 
 
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拙著『龍樹と、語れ』の第三章
「龍樹、『言い争わない論法』を開く」

では、ことばは捨ててもだいじょうぶ、

という

お話が書いてあります。
 
 

 
『大智度論』の中に、「最高の定説(第一義悉壇)」

という項目がありますが、

それが

「ことばを捨ててもだいじょうぶ」という

保証書になっています。
 
 
ブッダと龍樹は、ことばの世界のお掃除屋さん!
 
 
ほんとに全部捨てても問題ない、というのです。
 
捨てると 
 
さわやかです。どれだけさわやかかというと
 
一切の言語表現の道を超えて、心の行いは滅して、
どこにもよりどころがなく、さまざまな存在に言及することがない。
諸々の存在の実際のすがたは、初めなく、中なく、後もなく、
尽きることもなく壊滅することもないものである。

(『大智度論』「大正蔵」25,p.61中)
 

と、このようにさわやかなのです。

これを戯論寂滅といいます。
 
 
ことばで語られるさまざまなことが、すっかり止んで
静かになってしまっているからです。
 

==================
 
さて、捨ててすっきりしたのはいいのですが

今回は、もう少し問題があります。
 
もう少し、はっきりさせたいこともあるからです。 
 
 
いずれ戯論寂滅に至るにせよ、
 
その前の段階で
 
まだウロウロしているところだからです。 

そこで、ちょっと困ったのです。


★2,なぜ「小乗仏教」と言ったか★
 

困ったのはわたしです。
 
捨てたことば「小乗」には、

わたしは
 
新しい意味を詰め込んで、

新しいことばとして使いたかったのです。

でも、

このことばを捨てたら、

意味が宙ぶらりんになってしまいました。
 
 
 
 
これは、とても大事です。
 
新しい意味は、

仏教をどうとらえるか、という観点を

含むことになるからです。
 
 
とりあえず

わたしが言い表したい仏教は、
 
▼▲ブッダの言行録である『阿含経典』を基本におく仏教▼▲

のことです。


そのような仏教を表す呼び名としては

現在のところ
 
1.部派仏教

2.初期仏教

3.原始仏教

などの呼び名があります。

しかし、これらは、いずれも

仏教の歴史的な変遷に注目して

出てきた呼び名です。
 

歴史的な解釈が入っています。
 
部派仏教は、ブッダの滅後さまざまに分裂した仏教を指します。

初期仏教も、同じような意味です。

原始仏教は、ブッダの直接の説法により近いところにある仏教
という印象を与える呼び名ですが、上の二つとそう変わりません。

 
いずれも、その思想内容を伝える呼び名ではありません。
 
 
で、わたしが指し示したいのは、

歴史的にどう変遷してきたか

という観点での仏教ではなく


思想的にどう変遷してきたか

という観点での仏教です。
 
 
およそ2500年前、ゴータマ・ブッダが、世に現れ

法を人々に説きました。

その教えは、仏弟子たちによって編集され

経(教え)と律(戒律)

として保存されています。
 
 
歴史的に変化はしますが、

これらは、”思想的に”一つのまとまりをもっています。

大きな枠の中に入れることができるでしょう。
 
 
紀元前後に活発になる大乗仏教と名づけられる仏教運動に対比して見ると、

大きな特徴をもっているのです。

 
この大乗と呼ばれる仏教が、いかなるものか、によって

それ以前の既存の仏教は、名前がつけられてきたのでした。


それが「小乗」という呼び名だったわけです。
 
したがって、今、「小乗」という呼び名を捨てると

この「大乗」という呼び名も、なんとなく居心地悪く

浮いてしまいます。
 
 
思想的な変遷、という観点から見た、仏教の呼び名を

見つけなければならないでしょう。

いわゆる、

小乗仏教といわれた仏教の位置にくる仏教

大乗仏教といわれた仏教の位置にくる仏教

を何と名づけたらよいでしょうか。

 
小と大が、対比的であることによって
それぞれの思想的な特徴を示していたのですが

それも今「小乗」を捨てたことで、
特徴も目立たなくなってしまいました。

 
まあ、仕方ありません。
 
当面の課題としては
============== 
もう一度、思想的に

これら二つの仏教を、

解釈し直す

という使命が与えられたものと

考えます。
 
==============

これは、しばし時間をかけて検討していきます!
 


★3 捨てたら、それから、どうなる★
 
では、わたしの仏教に対する見方をはっきりさせます。

 
わたしの研究の方法は、

仏教を
 
歴史的な観点から

思想的な観点から

これらの二つを組み合わせて
 
思想を探るというものです。 
 
  
◆1 歴史的な観点は、従来どおり

時間的な経緯にそって、思想・活動などの変遷を

客観的にトレースしていく作業です。
 
 
◆2 思想的な観点は、ブッダの論理から
 
仏教思想の多様なヴァリエーションの中に

論理的一貫性を明らかにしていくものです。
 
 
◆1により、仏教の変遷が知られ

◆2によって、仏教の本質が知られます。
 
仏教思想がいかに変容しようとも

それを、「仏教」という名の下におけるかどうか

この◆2によって判定できると思います。

 

実際には、

ブッダの論理を抜き出すという目的で

まず、パーリ語経典を用いました。

 
ここで問題になるのが

なぜ、パーリ語聖典を用いたかです。

まず、大事なことは
 
■1 経典が、完全な論理体系をもつもこと■

 
条件を満たせば、上座部にかぎらず、どのようなものでも、

ブッダ論理を抜き出すことは可能です。
 
  
しかし、

もう一つ条件があります。
 


■2 ブッダのことばにかかわること■
 


この二つの条件を満たすのが、
 
上座部の守るパーリ語聖典なのです。

だから、わたしは、これを用いました。
 

この場合思想の一貫性・完全性を問題にしますから
歴史的な新古は、とりあえず問題になりません。 

そして、

完全な体系から抜き出されたブッダ論理によって
 
とくに、漢訳阿含などの資料を用いなくても
 
論理的には、龍樹の論法まで簡単にわかります。
 

 
 
北伝の漢訳阿含やその他の資料は、

歴史的変遷を
探る上では重要ですが

たとえなくても、

龍樹の論理を知る上では問題ありません。
 
 

 
 
ここに、パーリ語聖典と龍樹論書のあいだの

論理的整合性が、得られます。
 
 
これは
 
拙著『ブッダと龍樹の論理学』(サンガ)で

明らかにするとおりです。
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これによって、

龍樹以後

龍樹に影響を受けたすべての仏教が、

仏教として、

論理的に保証される最低限の基準を満たすことになります。
 

 
龍樹とつながることが、のちの仏教にとって

いかに大事であるか

これでおわかりでしょう。
 
 
 
論理を明らかにし、論法をもつのは
 
龍樹です。
 
 
このような思想的な基軸が

パーリ語聖典→龍樹論法→各宗派
 
とつながっていくのであれば、

仏教は
 
一つの壮大な思想文化へと

広がっていくことが可能です。

 
こういうスタンスで、わたしは研究しています。 
 
 
 
スケールはでっかいのが、よろしいです。 
 
 
それで、問題なのですが
 
これまでの
「小乗」の位置にくる仏教を何と呼び

「大乗」の位置にくる仏教を何と呼ぶか。。。
 
 
 
仮の名前ですが
 
わたしは、
 
前者を智慧の仏教
 
後者を方便の仏教
 
 
と名づけておきたいと思います。。。
 
 
どうでしょうか?仮ですからね。

いい呼び名はないでしょうか。。。 

 


 


 


 
 

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2009/08/20

お詫びと訂正

2009年8月18日づけで

「わたしが上座部を仏教の核にするわけ」と題して

記事を書き

その中で、上座部がもつ特徴をあげました。


その中で説いた 「小さい乗り物(小乗)」ということばについて

naagitaさまより、クレームをいただきました。

 
 
「小乗」は蔑称であり、差別語である

 
というご意見です。
 
 
そのように感じられる方が、たくさんいるうちは
 
このことばは、使うことができません。
 
 
それでは、ここで訂正したいと思います。

あわせて、naagitaさまの不快のお気持ちに
お詫びしたいと思います。
申し訳ありませんでした。
 
=========================
 
では、もう一度、部派の特徴を、あらためて
 
あげてみようと思います。

 
ことばは捨てますが、
 
その大事な特徴まで

捨ててはなりません。

 
では、昨日の記事より、少し抜粋して、
 
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

なぜなら、部派は、文字通り、小さな乗り物 だからです。
  
 
なぜなら、部派は、個(個人)の救済を謳うからです。 
 


そこに、ブッダの教えの特徴があり、重要性があります。
 
 
五蘊(身体と心)からなるものではありますが

わたしたちが一人一人が

悟りをめざすには

どうしたらよいかを
 
個人のレベルで

説いたものだからです。
 

基本は、「個」なのです。

だから、「個」の乗り物なのです。
 
 
 
だから、「個」を導くものなのです。 
 
 
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


このように訂正したいと思います。

あと、まだ、記事の中に残っているところがありましたら、

適宜「個を導くもの」と言い直してください。
 
 
 
なぜ、わたしが、ここを強調したいかというと
 
 
ブッダが、膨大な人々をすくい上げてきたのは、 
 
 
一度にたくさんの人を救おうとしたのではない
 
 
ということを言いたいからです。 
 
 
 
ブッダは、求めてくる人、その人ひとりのために

教えを説いたのです。 
 
 
その人と向きあって、
 
その人のためだけの教えを 
 
その人のために
 
 
その人の心に語りかけたのです。
 
 
 
たった一人のための宗教なのです。
 
人と向きあうということは 
 
ただそれだけで
 
世界を変えていくと 
 
ということを 
 
ブッダは教えてくれるのです。 
 
 
009
部派の教えは、
 
そのブッダの基本姿勢を
 
守り抜いていくものだと、

わたしは

思っています。 
 

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2009/08/18

わたしが、上座部を仏法の核にするわけ

004

 
 
 
 
 
ケナフと言うんだそうです、これ。

6月の終わり頃、
小さい双葉の鉢をもらったのですが、

庭に植えたら

こんなに大きくなりました。

==========
 
小さいものは


大きくなります。。

==========

今日は、これをテーマにしようと思います。


 
★1★  部派仏教は、小さい乗り物です。

やっぱり、ここを言わなきゃダメだ!

って、気がしてくるのです。

 
 
わたしが、上座部の仏教を、

いちおうの基礎におく

理由のひとつです。
 


 
もう一つの理由は、

★2★ 上座部は一切経を保存しているからです。 

上座部が、ただ古いからではありません。
 
 
★2★ は何でしょうか?

一切経をもつということは、

ブッダの一切智に

言及する資格を得ているように思われます。

一切智者としてのブッダを、示しうるでしょう。

 
もう一つの理由は

★3★ 上座部は、経典の語順を大事にしているからです。

それは、ブッダの論理を保存していることを意味します。

上座部が、たんに整っているからではありません。

 
★3★ は何でしょうか?

語順を保持することは

ブッダの論理を保持すると同時に

ブッダの語りを保持してもいますから

倫理も示しうると思います。 
 
 
 
ではでは、最初にもどって
 
★1★ は何でしょうか?


今や、蔑称として顧みられない 「小乗」ということば。

しかし、仏教をよく知る人は

これはおかしいと気づくでしょう。

 
無我を説く仏教に、「蔑称」のことばはないはず。。。
 
 
       ならば
 
 
このことばは、復活させてもいいのでは?
 

 
 
なぜなら、部派は、文字通り、小さな乗り物 だからです。

そこに、ブッダの教えの特徴があり、重要性があります。
 
 
五蘊(身体と心)からなるものではありますが

わたしたちが一人一人が

悟りをめざすには

どうしたらよいかを
 
個人のレベルで

説いたものだからです。
 

基本は、「個」なのです。

だから、「個」の乗り物なのです。
 

サンガ(僧団)がある、というかもしれません。

でも、これも、個の集まりにすぎず
基本は、個人の悟り、を補佐するためのものです。
 


『スッタニパータ』「犀の角」の章64には

葉の落ちたパーリチャッタ樹のように、
在家者の諸々のしるしを除き去って、
出家して袈裟の衣をまとい、
犀の角のようにただ独り歩め

と、説かれています。


犀の角のごとくに一人歩む修行者は
 
一人で悟るのです。

 
ここに、小乗の、厳格なる教えが成り立ちます。
 


 
これは、核なのです。
仏教の核は、個なのです。
 


龍樹が、マンゴーの実に喩えたものです。

======================
十二因縁、苦集滅道、三十七品、四沙門果のような

このような教説を仏の正義という
======================
(『方便心論』一・三・七・一)

と龍樹は『方便心論』で語ります。


 
とりあえず、ここをキチンと説いているものを

仏教の基本としよう

ということなのです。

小乗(個)が、しっかりとしていれば
 
 
いくらでも


大きくなることができる
 
 
 
大乗仏教は、小乗仏教から生まれてくるのです。
 
 
小乗仏教(タネ)が、しっかりしていると


大乗仏教(樹木)は、迷わず成長できるのです。  


どんどん生い茂ることができるのです。
 

 
龍樹が、マンゴー樹林であるブッダの法の外側に

荊棘の林をめぐらせて

その実を守ったのは、

小乗を守るだけではなく
大乗をも守る目的をもっていたからだろうと思います。


 
小型船をしっかり運転できるものが

大型船の運転手になれるのです。
 
 
 
こういうわけで、

わたしは、

上座部の仏教を
小乗仏教として
仮に
仏法の核において

見ているのです。
 
 
 
こうすれば、大乗仏教も

とてもよくわかります。

密教もよくわかります。


それは、
小乗仏教をよくよく知ることによって
自然と知られてくるのです。

急がば、回るのが

輪廻人生の

基本の技なのです、ワン。。。。

 
 
あらゆることが無常なのですから
 
どこかに、しっかり足場を作らなくちゃね。。。
そうすると
007
 
 
 
 
 
こんな実がなるかもね!

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2009/08/16

業(カルマ)を語れ!輪廻を語れ!『ブッダの実践心理学』第五巻

002

 




今、大きなお鍋でジャガイモをゆでて
いもサラダを作ったとこです。。。
 
それだけで、疲れました。。。。
 

息子が帰ってくると、一気に食べ物がなくなる。。

胃袋が、底なし沼のようだわ 
 
==================== 
 
などと、言ってないで、

今日は、やっと、やっとですが

この書をご紹介したいと思います。 
 

 
   ジャン!
 

****************************
 
スマナサーラ長老・藤本晃氏 『ブッダの実践心理学』 第五巻(サンガ)

                  ― 業(カルマ)と輪廻の分析 ―

****************************
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もっとはやくご紹介したかったですが、
読むのに時間がかかってしまいました。

もう、何回か、読まなければ、
ほんとはいけないと思うけど、

とりあえず

 
渾身の力を込めて、この本を、ご推薦しておきます!!!!!
 
 
 
一言で言って これが     仏教     です!
 
 
 
仏教は、何を説くか? 
 
 
人々を救済するために、何を説いたかと言いますと
 
 
    輪廻  (わたしたちの生きてる世界について) 
 
    解脱  (そこからの脱出について)
 
 
この二つに、尽きるのです。
 
 
たくさんのことが説かれているように見えますが
 
わたしたちの苦しみをはらうために、説かれたことは
 
 
 輪廻 と 解脱    の この二つなのです。
 
 
 
現代人のもっとも苦手とするところです。
もっとも、理解しにくいところです。 
 
 
空の思想は、あんがいわかるような気がするのに

なぜか、この縁起を根幹にもつ 輪廻と解脱 が

わからないのが、現代人の欠陥なのです。
  
 
業(カルマ)とは何か?

輪廻の仕組みと心のあり方の関係はどうなっているのか? 
 
 
 
このような問題に、ずばっと切り込んだのが

本書です。
 
 
精緻な心の分析に、圧倒されるかもしれません。

心の生滅の連続を解明するメカニズムに、
頭がくらくらするかもしれません。

輪廻の行き先(趣)、地獄から天界までの本当の意味を
知ろうと眼を凝らしてしまうかもしれません。
 
わたしたちのいる世界(欲界)のほかにある
禅定の進んだ人たちの行く色界と無色界の不思議な世界に
幻惑させられるかもしれません。 
 
 
こんな輪廻なんて、あるもんかぁ~~!
とっても、しんじらんな~~~い!
 
 
と思っているあなた、そう、あなたですよ! 
  
 
そう、とりあえずは、それでいいのです。
はじめて、読むことがらなんですからね。
 
とっても、ついてけませんよね。。 
そうそう、わかる、わかる。。
 
 

 
あれ?
 
意外と管理人、話わかるんじゃ。。。
 
輪廻だ、輪廻だ、ってわめかないのか。。。
 
へぇ~、管理人も、オトナになったなぁ~。。。
 

 
 
でしょ!

でもでも、ま、それも甘いのよ。
 
ここまで、管理人が余裕もっちゃうのはね、

本書の内容が、輪廻・業にかんしては

最高だからなのだ!
 
どんな人も、この理論を否定できないと思う。

それだけ、論理的に詰めてあります。。。そこが、ミソ! 
 
 
だから、
 
だから?

そう!だから、
 
熟読したら、あなたは、いちころ。。輪廻のとりこなのです。 
 

 
ほんと、まじめに言うとね
 
 
 
ここに書いてあることがらは、  
 
よくよくものを考える人にとっては
 
心の中に残って、けっして!忘れられないでしょう。。。 
 
 
なぜって 
 
 
読んでいるうちに、自分が、実際、
 
本に書いてあるとおりではないか
 
本のとおりになってきてるんじゃと
  
ということに気づきはじめるからです。 
 
 
ここが、仏教の醍醐味であります。 
 
 
こんなことを、こんな風に、これだけ緻密に
解説したものは、ほかにはありません。
 
 
これは、一般の人にもわかるように書かれていますが
 
これは、アビダルマというむずかしい論書なのです。

部派の専門のお坊さんがブッダの法を研究したものなのです。
 
 
スマ長老さまと藤本先生だから、

これだけ論理を駆使して、
これだけわかりやすく
これだけ臨場感を伴って

語れるのです。  
 
 
死ぬことがこわくなくりますよ。
生きることの真実を知るでしょう。
 
 
そして、なにより大事なこと
 
それは何でしょうか。
 
 
本書の目的です。
 
はい!きみ、答えてみてよ。

 
 
ええ。。。そりゃ、

みんなの知らない

業や輪廻を説明して
 
仏教理解を深める、

ということなんじゃないですか。。 
 
 

 
あっさり言うと、ちがいます。 
 


ありゃ! 
 

 
たしかに、業と輪廻の分析とあるので

 
それらの説明は、詳しくなされています。 
 
 
 
しかし 
 
 
スマ長老さまが、ほんとに言いたいことは
 
 
これだと、思います。
 
 
心から叫んでいることは、これですね。熱いよ、スマちゃま!
 
 
善悪(道徳)を知って、より善く生きる

 
 
ここが、説かれている 
 
 
と、読まねばならない と思いました。  
 

 
 
たとえば、「仏教に病気治癒を期待する浅ましさ」という節では
 
 
スマ長老さまは、現代人が宗教に対して現世利益のお願いしかもたないことを

「結局みんな、宗教というのはヒーリングだと思っているのです」(p.196)
 
と、嘆いています。

 
そして、こう述べます。
 
======================
「癌が治ってほしい」とか「病気が治ってほしい」とか、
考えること自体情けないのです。
 
そうではなくて
「そんなもので宗教に行くな。
病院があるのはそのためでしょう。 
仏教は心を直すためにあるものです」
と考えてほしい。
======================
(p.197)
 
 
正論です。
 
病気を治すのは、病院なのです。

心を直すのは、仏教なのです。 
 
 
いま、ここで
 
「癌で死にそうなのに、なんてことを言うんだ
何てひどいことを言うんだ」
 
と、思った方、

それなら、さっそく読むべし!
 
病とは何か?死とは何か?
 
詳細に説明してくれます。
 
 
根底からくつがえされます。
死をおそれるな、より善く心を育てなさい! 

病気なんかで宗教に行くな! です。
 
心を直すために宗教に行きなさい! です。
 

 
だから、”本当の”仏教者の心は、清らかなのです。
(”本当の”、って、ところが、ちょっと、何ですが。。。汗)
 
 
心を直すところだからです。
 

さあ、読もう!
 
きみの心のために
 
『ブッダの実践心理学』第五巻!
 

================
このように 
 
仏教の、業と輪廻思想は、
 
人の心を直すために
 
ブッダが探り出し構造を明らかにした
 
倫理思想なのです。 
================ 
 
ここを読まないと
 
何のための輪廻か、何のための業なのか
 
わからなくなります。
 
 
奇妙なおかしな思想としてだけ

輪廻や業をとらえないでくださいね、って
 
言ってるのが、本書なのです。 
 

    ****** 
 
はぁ、力入っちゃったぁ。。。。
こんなに力込めたら、三回分くらい輪廻増えちゃうわ。。 
 
 
何言ってんだい。。
管理人の輪廻なんて、永遠に続くんだから
三回増えても、何も変わらんでしょ。。。

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