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2009年6月21日 - 2009年6月27日

2009/06/26

三浦俊彦氏の、石飛批判に答えて(ぼく、龍樹が語る)

004007


 
  

 
 
おもしろい木ですねぇ。。

何でこんな木なんでしょ、ね。。。

 
 
さて、今日は、この木を見てもわかるとおり(?)
フツーのカレー日記ではありません。
 


今日の主役は、管理人ではないのです。
管理人は、どっかに行っちゃった。。

んで、もって

今日の主役は
仏教界の風雲児

イケメン菩薩

その名も龍樹!

そう、ぼくが、

みなさまのお相手を務めさせていただきます。

え?なに?イケメンぶりが見たい。。
なはは、困るなぁ。。。
では、ご要望に応えて、ちょっくらね。。
Sryuuju
 
 
  

 
 
 
やあ、いつ見ても、カッコええ。。。
あ、どうも失礼しました。


さて、ぼく龍樹は、amazonの O殿の書評に
感銘を受けて、登場したのであります。

長文の大作です。管理人、褒められてるね。
管理人の過去の著作にも触れていて、熟読の上の評論です!
http://www.amazon.co.jp/gp/forum/cd/discussion.html/ref=cm_cd_ef_rt_tft_tp?ie=UTF8&cdForum=FxWV1FUKIL37CX&asin=4804612858&cdThread=Tx32FF2JPSUCN1F

ぼくとしては
管理人のこと、褒めすぎだと思うけどなぁ。。。

ま、しかし、O殿の意向を大いに生かして

いつも管理人いじめてるぼくだけど、
たまには、
管理人弁護でもしてみようかと、
思うんであります。

★それじゃ、はじめてみるよ★


現代西洋論理学の立場 と ブッダ論理学の立場 

まずは、『龍樹と、語れ!』に関して

冒頭にありますO殿の
============================ 
インド学者の常識的インド論理学の主要な論点を覆すだけでなく、
現代論理学の盲点を突く驚くべき内容です。
============================
という、文に注目したいと思います。
ここが、論点になります。

あらためて、
ブッダ論理学が、現代論理学の語れない因果律を語れることを
はっきり述べましょう。

今まで、いろいろ議論をしてきましたが
イマイチ、そのことは理解されていないようです。

今回は、その点をはっきりさせましょう。

しかし、その前に、現代西洋論理学とブッダ論理学とをめぐる

一連の動きがありますので、それをなぞっておきましょう。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
■1.西洋論理学の動き■

●1994年 野矢茂樹氏
『論理学』(東大出版会)
●2000年 三浦俊彦氏
『論理学入門 推論のセンスとテクニックのために』(NHKブックス)

これらの二冊は、現代(西洋)論理学の立場から書かれた本です。

■2.ブッダ論理学の誕生■

管理人石飛は、
これら二冊を含めて現代論理学書を読み、
ぼくの書『方便心論』も読んで

○2005年 石飛道子
『ブッダ論理学五つの難問』(講談社選書メチエ)

を上梓し、世界ではじめて、
西洋の論理学とはまったく相容れぬ論理学

ブッダ論理学

を提唱しました。


■3.西洋論理学からの非難■

これに対して、三浦氏は、石飛本を読んで、激怒のあまり(?)

2006年 
●論理学に関する無理解のサンプルについて 68 の指摘●

http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/murikai-logic.pdf

を自身のHPに公表しました。

かれは、ただただ、
『ブッダ論理学五つの難問』を、
現代論理学を不当に批判する書と認識して
いかに、石飛がバカであるかを、
68の項目にわたって
立証しようとしました。


■4.ブッダ論理学の完成■

さて、ブッダ論理学に命を救われた石飛は、馬耳東風、
非難の嵐もなんのその

○2007年
『ブッダと龍樹の論理学』(サンガ)
○2009年
『龍樹と、語れ 『方便心論』の言語戦略』(大法輪閣)

を上梓。
前書で、ブッダ論理学の完成した姿を示しました。
後書では、ブッダの言語論を展開し、
さらにブッダ論理学の深層を示したのであります。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

このような経緯をふまえて

三浦氏の
「論理学に関する無理解のサンプルについて 68 の指摘」を

検討すべき良い時期にきていると思いますので、
検討したいと思います。


ぼく龍樹の注目するところは、以下の二点です。

(1)倫理的な観点
(2)論理的な観点

■(1)倫理的観点から■

三浦氏は、石飛の『ブッダ論理学五つの難問』を、冒頭で

「現代論理学への無理解というだけでなく、端的に、
〈非論理的な作文のサンプル〉と
して、素朴なわかりやすい例と言えます」

と述べて、単に現代論理学の無理解のサンプルとしてのみ
扱いました。

「ブッダ論理学の提唱」という石飛の提言は、
まるきり、無視されています。

また、68の項目をつぶさに見ますと、
強い口調で非難を重ね
現代論理学について無理解であることが、
いかに無知蒙昧で、非人間的な行為であるかを
強調しています。


誰でも、これを読んだ人は、恐くてブルブルふるえるでしょう。
ちょっと現代論理学を批判しただけで、こんなにボロクソに言われるのです。
みなさん、自分じゃなくて良かったと、心から思うことでしょう。

現代論理学に逆らうことが、なぜいけないのでしょうか。
学問であれば、さまざまな検討がなされてしかるべきではないでしょうか。

一つには、こういう理由が考えられます。

現代論理学の学者であれば、批判もいいかもしれないが、
素人みたいなヤツに口だしされたくない。。論理学は、専門家のものである。
かれらのエリート意識に満ちたプライドを傷つけたようです。

プライドは、かれらの論理学の基本におかれる原理の一つです。
『龍樹と、語れ』の中でも出てきます。

O殿も、ぼくの陥った苦境と、管理人石飛の陥った状況を重ね合わせています。
以下は、『龍樹と、語れ』の書評からの引用です。
==========================

<当時の世の中で、もっとも論理的考察にすぐれ
もっともプライドの高い人々に、
完全に敵対的な雰囲気の中で、
かれらに見下されている龍樹が、説法をし、
かれらを納得させるのである。ぜったい不可能だと誰でも思うだろう>(p.95)

 このような無謀な試みを著者も実践しているのです。
 現代で「もっとも論理的考察にすぐれもっともプライドの高い人々に、
完全に敵対的な雰囲気の中で、かれらに見下されている」著者が、
著述し「かれらを納得させる」ことに挑戦したのですから。

 このことは著者が自覚的に行っているのです。
==========================
よく読んでるなぁ。。。と、感心していないで、三浦氏にもどりましょう。

このように、プライド高き三浦氏は
現代論理学に逆らうことが、いかに極悪非道なことかを、
論理をそっちのけで語るのです。

では、そのように述べる三浦氏は、
どのような 倫理観 に基づいているのでしょう。

真剣に真理を追及するが故の、怒りなのでしょうか。
真理に目覚めて
’非論理’の石飛論を排除しようとしているのでしょうか。

さあ、さあ、どうなんでしょうか。

三浦氏のことばを
二個所引用します。

まずは、冒頭にありますところです。

「なお、ところどころで担当編集者への批判も書いてしまいました。
著者が真面目に書いた本であればあるほど、
明らかな矛盾や混乱について制作レベルでチェックが働かないと、
向学心ある読者の福利に深刻な影響が及ぶことに鑑み、
あえて一言させていただいた次第です。」

と、述べています。

著者石飛がまじめに書いていることは、
読みとってくれたようですね。
しかし、なんとなく話が変です。

何でしょうか。
石飛批判ならぬ編集者批判までしていることです。

ここで、疑問があります。

論理学や論理的な問題について、
いわば、専門家といえない編集者に責任を
追わせるのは、どうなのだろうか

という点です。

本は、誰が書くのでしょうか。著者でしょう。。それしかないでしょう。

だが、

三浦氏の、著作においては、

編集者が本の内容に立ち入るのだろうか

と、大きな疑問があります。

専門家であれば、著者の名で書いたものは
著者が、全面的に責任を負うものでしょう。

かれらのプライドに賭けて!

真理として得たものを書くのに、
編集者が手を入れて
覆すこともありうる

ということでしょうか。。。ありえないことだ!

三浦氏のプライドやいずこに!

たしかに、
編集上の細かなチェックや校正など、さまざまな点において、
編集者の力は偉大です。

著者の能力を引き出してくれるのも、編集者の力量です。

だから、本は、編集者と著者の合作とも言えるのです。

だがしかし、書かれた専門的な内容は、
著者にかかわり、著者の責任です。

管理人石飛も、全部自分で書いて
自分で責任を負っています。。。ぼく見てたけど。

編集者に責任を押しつけて、どうするのでしょう。

自分のことばには、三浦氏は責任をもたないのでしょうか。
それについては、かれの論文の39をご覧ください。

「現代論理学の専門家」として野矢茂樹とか私が挙げられているが、
これは勘違い。
野矢さんも私も、論理学を使って哲学をやっているだけ。
ちょうど、物理学者を「数学の専門家」と呼んだり、
小説家を「タイピスト」と呼んだりするようなもの。
論理学の専門家というのは、ちゃんといます。
「論理学(者)とは何か」の認識程度を示す例と
して、案外深刻な勘違いかも。【事実の誤り】。」

何でしょうか、これ!
自分は論理学者ではないと、こんなに自慢げに述べるものでしょうか。

すなわち、かれは、ホンモノの論理学者ではなく、
論理学を用いて哲学をしているだけである、

ということは、

論理学的な発言の責任は、自分ではとるつもりがない

ということなのでしょうか。

ここにいたって、三浦氏の、自身の著作に対する姿勢を推測するのです。

論理学の学者の立場ではなく、小説として、哲学として
書いた論理学の入門書だったようですね。

読者はかれの書を信じて、真に受けても、
ぼくは専門家じゃないから
責任とれない、というように読めますね。

ちがうんでしょうか?どうなんでしょう。

では、ブッダ論理学について

ここで、はっきりさせておこう!!

ぼく龍樹の本を著す動機は

自己の得た真理と思うところを
聞いてもらいたい読者のために
読者の資質にあわせて
自分のことばで
真剣に語る

というものです。
『方便心論』は、そのようにして書かれた本です。

しかし、三浦氏には
そのような態度はありません。

編集者のことばにしたがい、
いざとなったら責任をとらずにすむように
あらかじめ、論理学者でないと述べておく
その上で、
相手の真剣な議論に耳も貸さずに、非難で罵倒する。。。

と、なってるようにみえます。

倫理的観点からみると、

三浦氏は、学問的に問題があるようです。
また、読者に対しても、責任のある態度とは言えないでしょう。

では次です。

■論理的観点から■

三浦氏は

「本書(石飛の書)は、「現代論理学を超える論理学」を掲げたわりには、
相変わらず因果や時間など、
現代論理学自身がすでに俎上に載せて反省している事柄だけを
取り上げており、
しかも形式化が成されていないので、魅力に乏しい」

と述べています。

時間や因果については、現代論理学は反省しているとありますが、
「解決している」とはありません。

ブッダ論理学は、現代論理学が反省’だけ’している因果律(縁起)を
見事に形式に乗せた画期的な論理学です。

他に縁って起こる 

という関係を、「縁起」と名づけ

他に縁って、(自らが)起こる関係を、流動的にダイナミックに語るものです。

仏教においては、あらゆるところにこの関係を見ます。

この関係は、時間と共にあり、変化する場面では常に成り立ちます。

したがって、

三浦氏もまた、この関係から逃れることはできません。

いかに、「縁起」を否定し現代論理学を賞讃しようとも

自ら、この関係なくして、自説を語ることも相手を否定することもできないのです。

では、どうしてそう言えるか、論理的に見ていきましょう。

今までの経緯を見てください。

■1で、三浦氏の本が出版され、現代論理学が説かれました。
■2で、現代論理学批判とブッダ論理学の提唱がなされました。

■1を縁として、■2が生まれてきます。ここに縁起が成り立ちます。
ブッダ論理ではそうなります。石飛は、■1の本を引用して、■2を書いています。

これに対して、三浦氏は、■2の本を、
現代論理学を批判するとして、否定したいかもしれません(▲1)。

また、

三浦氏は、現代論理学に抵触する「縁起」そのものも、
否定したいかもしれません(▲2)。

▲1と▲2のあいだには、矛盾があり、葛藤が起こります。
が、
三浦氏は、興奮しているので、わかりません。

で、過ちを犯します。

縁起を否定したい(▲2)なら、■2の石飛本を非難してはならないのです。
なぜなら、非難すると、「縁起」が成り立ってしまうからです。

しかし、三浦氏は、とうとうやってしまいました。

■2の石飛本に対して、■3の68項目の非難が著されるのです。
■2を縁として、■3が生ずるのです。
もし、■2を書かなければ、■3も生まれないでしょうから、
■3は、縁起によって、生じています。

興奮して書いた


●論理学に関する無理解のサンプルについて 68 の指摘●


は、興奮して罵倒すればするほど、石飛の書を縁としてきたことが
明らかになるだけであって、

それは、

とりもなおさず

三浦氏が、否定したがっていた「縁起」の理法に
自らがしたがっていることを、
日の本にさらしていることになるだけなのです。

以上によって

(1)倫理的観点からも
(2)論理的観点からも


現代論理学は、現実的に問題があり

ブッダ論理学は、現実を記述するよい手段であることが

明らかにされました。


ブッダ論理学の書は

どこまでも、ブッダとぼく龍樹が、責任をもって語り、
ついでに、管理人石飛も責任をもって語るからです。


ふう!書いた書いた。。ぼくも、けっこうやるなぁ。。

なに?

おまえも、現代論理学を非難しているじゃないか、って?


それは、あたっていない。

まず、現代論理学が、先にあり、
人々はそれを押しつけられることになった。

この論理学は、ぼくたちには合わない。

だから、

それを受けとるのを拒否して、代わりに
ブッダ論理学を提唱したんだよ。

現代論理学批判を目的とするのではなく、
これを受けとらないと述べているだけなんだ。

代わりに、ブッダ論理学を提唱したんだから、
別に、批判だけしているわけじゃない。


このように、いやなら、論理を用いて
拒否できる。

これも、ブッダ論理学の特徴なのさ。

これを

戯論寂滅

というんだよ。


さあ、三浦氏も、少しは納得してくれたかな。
怒らず、対話する道を模索したいもんだね。。

龍樹のカレーな日記でした。。

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2009/06/25

ブログの更新ブログの昂進ブログの行進

002






今日は、暑かったです。。30度いったかもしれない。

ちょっと、前に撮った写真だけど

噴水でも見る? 
013
 
 
 
 
 
涼まなくちゃね。。ふう~~。。

最近、勉強不足なもんだから

いろいろ不都合が生まれてきて

ほんと、イライラしてきました。


管理人は、情けないことに

べんきょが足らんと

禁断症状が出て、すごくイライラしてくる、っちゅー

べんきょ中毒という、病気もちなんです。


そろそろ、本格的に足りなくなってきたので

なんとかしなくちゃな。。。


龍樹のべんきょするか
ブッダのべんきょするか
ニヤーヤのべんきょするか

イライラ、ウロウロ、イライラ、ウロウロ

サンスクリットやるか
チベットやるか
パーリやるか
漢訳やるか

イライラ、ウロウロ、イライラ、ウロウロ

哲学の予習やったら
少し、西哲もやった方がいいような気がしてきた。。
カントかヴィトゲンシュタインか、何でもいいから
ちょっと、仏教用語の入ってないもんが
読んでみたいな。。

などと


あれこれ、多方面に気が行く今日この頃です。

それより何より

そうだ!

その前に


まず、このブログをきちんと書かなくちゃ、ね。

毎日、いろんなことが考えてるのに

書こうと思いながら、そのままだから

全部忘れてきちゃってるんだわね。。。

もったいない。。


ここに、決意を宣言しておこう。。。

ブログの更新を昂進させるぞ!!


はぁ、なかなか、ええですね。。

決意しただけでも

すっかり、一仕事した気分。


もしネタに困っても
毎日決意表明してれば
ブログは更新できるし
ストレス解消するし


いいわね!

もしかして


わたしって、頭いいかも。。。

(それはいいけど。。中身ないかも、ブログの)003


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