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2009/07/11

ウソ。。それは、何?

わたしは、哲学の あやしい 教師でっす。

で、あやしい 授業をやって まっす。

どんな風に あやしいかって?

それは、こんな風に あやしいのですぅぅ。。。002

 
 
 
 
哲学の森は、暗くて 深くて
穴がある

ちょうど、この写真のようにぃ~~
 


だから、授業の最初に、こう言いました。

「みなさん、哲学で、いっちばん大事なことは!

ウソをつかないことです。

正直に自分の意見を書くことが

い~~っちばん、大事だからねっ!」

 

で、まじめな 学生さんたちは、
みんな、事あるごとに

「せんせ、ウソ書いちゃ、ダメなんだよね」

と、確かめながら、
正直で赤裸々な意見を書いてくれたのでした。。。
 


なに?
ぜんぜん、あやしくないジャン、って?


まあ、これからですよん。
 

さて、今日の問題は
「ウソをつくか、つかないか」
にかんする問題です。

刺客に追われた友人が、あなたのところに来ました。
あなたは、友人を逃がしてやると、刺客がやってきて
友人の居所を言え、と脅します。

====================
さあ、あなたは、
友人の居所を言わず、ウソをつきますか。
それとも
ウソをつかず、友人の居所を言いますか。
====================

ウソをつかず、正直に答えましょう???

さあ、困った。。。

友達は助けたい、自分の命も惜しい、ウソもいけない

どうする?どうする?
  


◆もちろん、ウソついて

だいじな友達を助ける。。。。

ついても良いウソもある! 
 
 
 
 
◆だが、

よく考えると

自分の命も惜しい。。。。

親しい友人は助けるけど、

それほどでもなかったら、正直に言う
 
 
 
  
◆だが、よく考えると
 
友達によって区別するのも問題だ!
 
友達逃げる時間稼ぎに

刺客と駆け引きしてやるぞ! 
 
 
 
  
◆だが、よく考えると

刺客に脅されてパニック。。。。

ウソなんかついてるゆとりはない!
 
ほんとのこと言っちゃうだろな。。
 
 
 
  
◆だが、よく考えると

ほんとのこと言っても

どのみち、自分も殺される。。

こうなったら、友人の一人くらい助けて

自己満足で死のう。ウソついてやるぅ!

  

 
 
◆だが、よく考えると
 
ほんとは、どうよ?

こんな風にしゃべってる自分って、本音なのか。。。

ただことばを組み合わせてるだけなんじゃ。。。
 
こう書いてる、自分に、ウソはないんだろうか? 
 
 


ああ、わからん

それに、ウソといっても

気づかぬ相手には、それが真実だ。。

 
 
ああ、わからん

それに、ウソがいやなら

言えない、というのもありだ

言えたら、だけど。。。うう。。 
  
 

 
ああ、わからん

人を殺そうとしている人間に
 
ほんとのこと言う必要があるのか?! 

 
 
 
ああ、わからん
 
生まれてきてから今まで

ウソつかなかった人はいないだろ?  
 
 

 
ああ、わからん
 
でも、ウソはつかないのが一番だ
 
ウソはかならずばれる。 
 
 
 
ああ、わからん
 
何がホントかわからんのに
 
何がウソかなんて、わかるんか?
 
 

 
ああ、ウソ、ウソ、ウソ、

ウソって何?

窓の中の風景が遠ざかるように
 
ウソも、ホントも、遠ざかる 
008
 
 
 
 
 
 
せんせ、正直に書きますっ!
ウソついちゃダメなんだよね!
 
どうなるか、わかりませんっ!!!
出たとこ勝負でっす。。。。
 
 
せんせ、何がホントか何がウソか
わからなくなりました。。。

 
 
みなさん!とってもいい答えですよん。
  
んでもって、 
 
何がウソかホントかわからない”ここ”

ここから
 
哲学が”始まる”んでっす。 
 
あら。。。時間ね。。。んじゃ
 
これで、哲学を”終わり”まっす。 
 
 
始まりと終わりが一つになる

あやしい 哲学の穴 でした。
 
 
 
わたしは、あやしい 哲学の 教師でっす ♪フフ 

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コメント

請問者さま

いや、ご教示だなんてそんな、たらっ sweat02

> 実際には、ご教示のような答えは、やや「忸怩」たる思いで、日常的に、「せざるを得ない」ところかもしれません

おっしゃるとおりなんです。日常的には、ホントに「ウソも方便」みたいに思われやすいので、学生さんにはなかなか言えません。

でも、一人だけ、ウソをつかないようにして、しかも友を助けるように、「たしかなことがわかったら知らせます」と刺客に言うと言った学生さんがいて、その誠実な人柄に、感心しました。

ほんとうに信厚き、真理に目覚めた者でないと、使えない方法かもしれませんね。。。

投稿: 管理人エム | 2009/07/12 18:30

なるほど、ごもっともなご教示、ありがとうございました。

実際には、ご教示のような答えは、やや「忸怩」たる思いで、日常的に、「せざるを得ない」ところかもしれません。
「内心に保留をつけた」答えということで、(今、ちょっと典拠は確認できませんが)西洋でなら「ジェズイット的」などと揶揄されることもあるようです。
ともあれ、「動機」が大切なことは確かで、「忸怩」たる思いをするのは、こちらに煩悩があるかならのでしょう。

どうも、早々に、管理人さまに「答え」をいわせてしまって、恐縮です。
とても勉強になりました。

投稿: 請問者 | 2009/07/12 15:54

請問者さま

>1.何も答えずに殺される。
>2.友人のために嘘をつく。

インド的には、これらの選択肢の他に、第三の選択肢もあるんです!
「よきバラモンはウソつかない」の実践です。
 
つまり、煩悩のちがいが、おのずから何がウソかを決めるんですね。

「おい!友人はどこに行った?」

「どこに行ったかは、わたしは見ていない」(うそじゃない、行った先は見えない)
「ここにはいないが、どこに行ったかわかったら、きみに連絡することはできる。その方が確実な情報を伝えられる」(うそじゃない、着いたときにはもういないと思うけどね)
 
こういう答えが、「ウソも方便」に聞こえてしまうのかもしれませんが。。。ほんとうに確実と言える「真実」を伝えようとする誠意(?)が、友人の命を救うのかもっ!
 
やっぱり、インド哲学の伝統は、「聖者(または、バラモン)はウソつかない」ですね。
日本ではちょっとピンとこないかもしれませんね。本音と建て前にわかれちゃう世界ですから。

インド哲学やっていくと、「ウソを言わない」ことが、どれほどすごいことか、ホントにしみじみ実感されます。
仏教の経典や論書、またバラモン教の教典は、ぜったい「ウソのない」本ですね。やっぱり、拝みたくなりますよね。

 

投稿: 管理人エム | 2009/07/12 14:03

管理人さま、「ブッダと龍樹の宣教師」が、「アポリアをふっかけるソクラテス」になりましたね。
まあ、こちらの方が、ヒートアップした議論を鎮める「涼風」には、なるかもしれません。〈笑〉

先のたとえ話で、仏教としては、たぶん、
1.何も答えずに殺される。
2.友人のために嘘をつく。
など、の答えがあるかもしれません。1は「戒律」を守る意味では無難かもしれませんが、自他ともに有意義なことをなし得る「受け難き人身」、粗末にすべきでもありません。
安易に考えてはいけませんが、特に大乗の立場では、2も本人の覚悟次第では、許されるでしょう(インドで、特に瑜伽行派の伝統において、詳しく明らかにされた「菩薩戒」では、戒律に「利他」を動機とする例外も認められます。それは密教の『大日経』でも、「方便を伴う学処」として継承されました)。
「虚実皮膜」もまた、仏法の味、なのかもしれませんね(つきつめていえば、ブッダの説法も、そうなのでしょうから……)。

0さま、私が「解釈学」について、津田先生のお名前を出さなかったのは、もちろん、意図があってのことです。少なくとも私には、必ずしも最善の例、とは思えなかったからです。
むしろ、当事者は「解釈学」という言葉は使いませんでしたが、たとえば、禅宗史研究において、文献学的実証性を第一とする胡適に対して、禅体験の必要性を説いた鈴木大拙の方がふさわしい例か、と考えます(この論争は、当時は、胡適に軍配が上がったようですが……)。
「解釈学」といっても、「恣意的な前提」から読む、ということではありません。平たくいえば、自身の立場(=前理解)をも批判的に自覚した上で、テキストが要請する読解の方向性を注意深く探し求める、謙虚な試み、とでもいえるでしょうか。

その場合、ちょっと意表をついたいい方かもしれませが、「述べて作らず」の立場から、純粋に伝統に従う「前理解」によって、テキストに接する、というのも、一つの見識かと思います。つまり、チベット仏教や日本密教の「伝統教学」における「伝授」の立場、です。
これはこれで、自身の「前理解」に無自覚な、「文献学的」素朴実在論とは一線を画する、ある意味での「批判的立場」といえるかもしれません。なぜなら、伝統にもとづく「前理解」の有無が、厳しく問われる訳ですから。

管理人さまの学問は、こうした「伝授」によるものではありませんが、「縁起」というブッダの立場を、ご自身の「前理解」の根本にすえられたものか、と拝察するものです。

(なお、ペンネーム末尾のin Tokyoは、わずらわしいので、やめました。)

投稿: 請問者 | 2009/07/12 10:59

ろんろんさま

> 沈黙しちゃうと、授業にならないか。

そうなんですよね。。。哲学の授業って、変な感じですよ。

みんな、集中すると、何にもしないでボケッとしちゃう(=考えてる)から、まるで、怠けてるようにみえるんです。

だいじょぶかなぁ。。。って、思って書かせると、ちゃんと書くから。。あ、怠けてなかったのね、って(笑)。

投稿: 管理人エム | 2009/07/11 20:22

どこかの誰かさんみたいに、「語り得ぬことについては沈黙する」ってのも一つの方法かもしれませんね。

ん?

沈黙しちゃうと、授業にならないか。

投稿: ろんろん | 2009/07/11 19:12

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