久馬栄道氏の、石飛非難に答えて(ぼく、龍樹が語る)
みなさん、おはようございます。
一昨日に引き続き、龍樹です。
きりっとしてるぼくって、
あんまり見ることできないと思います。
いっつも、管理人に好きなように書かれてるぼくだから。。
でも、
ぼくは、いざとなると、このように
きりっ!
と、するのです。
きりっとしてるうちに、お話しすることをしてしまおう。。
いつなんどき、
管理人が戻ってくるかもしれないからな。。。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
さて、6月26日の日記
「三浦俊彦氏の、石飛批判に答えて(ぼく、龍樹が語る)」
の最後の方で、
「ぼくたちは、現代論理学を拒否した」
と述べました。
そして、この理由を、
「この論理学は、ぼくたちには合わない」
と述べたのですが、もう少し詳しくしましょう。
なぜ、合わないか? ですね。
これは、現代の人に合わせて言うと
ぼくらはプライドをもたないことを
ぼくらの守るべき原則(法)としよう
としているからなんです。
プライドは、ぼくらのことばで 我執 というんです。
ぼくらには、
無我(自己ならざるもの)
という法(ことば)が、あります。
また、
空(くう)
という法もあります。
これによって、ブッダ論理学は作られているのです。
そこで、
ブッダ論理学を知ってもらうために
もう一歩、進めましょう。
「マジカナ道場」での
久馬栄道氏の NO.6064の発言から
====================
> 龍樹が、すべてに当てはまる比喩と、
> 部分的に当てはまる比喩といった意味が、
> よくわかります。
> やっぱ龍樹は、別格ですね。
> 面白いことに、現代論理学では、様相論理学で、
> http://ja.wikipedia.org/wiki/様相論理学
> これは「必然」と「可能」という言葉で、
> 語られる事柄なんですねえ。
====================
久馬氏の意見は、論拠がほとんど示されず
何を言いたいのか、内容がはっきりしません。
ただ、何か「文句は言いたい」という
気持ちだけ伝わってきます。
学問的には取りあげるまでもないでしょうが
「気持ち」 的に、何を言いたいかをくみ上げつつ
ブッダの説くところを、少し説明しておきましょう。
というのは
~~~~~~~~~~~~~~
ブッダ論理学では、様相論理学 は、
まったく
こんりんざい、 扱わないからです。
~~~~~~~~~~~~~~
ここに、仏教の根本があり
そして、また、
ここは、ブッダ論理学が、
非常に注意してきたところだからです。
様相論理学(モーダル・ロジック)というのは、
簡単に言いますと
義務・妥当・可能・必然というような
いわば、人間の「判断」を、
論理的に示そうという試みです。
ヴァリエーションとして、
時制を扱うものもあります。
実際に、様相論理学を勉強した人はわかるでしょうが、
自分で、意味論的に検討しようとすると、
非常に錯綜し混乱することが多く、
「判断」について判断できないことも多いのです。
たとえば、
真理様相・認識様相の区別の「判断」で
論理学的な「判断」が分かれてきたりします。
つまり
様相論理学によって
論理的にどう表されるのか
それによって何がわかるのか
ぼくとしては(石飛も含む)
様相論理学を、
「使える論理学」として
了解できません。
哲学的な基盤が危うい論理学
と思います。
学問の目的と方法が、まだあいまいです。
そういう点から見ると
ブッダ論理学的には
今のところ
様相論理学は
ひと言で言えば
戯論(けろん)の産物
なのです。
「戯論」 というのは
思惟や言語が際限なく広がって
錯綜していくことを言います。
別のことばで言えば
「妄想」という意味です。
ブッダの法では、現実を離れて思惟の世界に
おぼれていくことは、妄想であると考えます。
こういうわけで
様相論理学を捨てるのですが
しかし、
それでは、あまりに身も蓋もないとするなら
次のように言えるでしょう。
様相論理学が、論理学的な基盤をもつ
と解釈できるとすれば
それは、けっきょくのところ、命題論理学の方法である
★1 二値による
からでではないかと思います。
また、
様相論理学が、論理的な基盤が危うい
と解釈するのは
★2 人間の「判断」を論理的に解明するのも
人間の「判断」による
ということではないかと思います。
★1に、救いを見いだすなら、二値を追及する命題論理に
立ち返ることは、意味があります。
ここに、ぼくたちは、けっきょく認識の根拠を求めていくのです。
★2に、錯綜・矛盾の原因を見いだすなら、様相論理を妄想として
捨てることは、意味があります。
ここに、ぼくたちは、けっきょく、論理学者のプライドを見るのです。
人間の「判断」をさらに「判断」しうるのは、論理学者のみだからです。
プライドのないぼくらには、捨てることには意味があるのです。
★1 は、認識の地平です。
認識論を基礎とする世界が広がります。
ぼくたちは、あるがままに見る、というこの観点に
立ち返って、論理学を組み立てていこうとしているのです。
ここが、まず、ブッダの基本的立場となるのです。
常にここに立ち返ることによって
★2の、人間の「判断」を、妄想として捨てようと
努力してきたのが、仏教のあり方なのです。
したがって、
錯綜する様相論理学の思惟や言語世界は
ブッダ論理学とは、関係しないと
思ってもらうと、混乱がありません。
●1 ブッダ論理学が、用いるのは、
命題論理学で、基本的に用いられている
真と偽にかかわる、真理表という表なのです。
それと
●2 「ブッダの公式」という真理表の三番目を、
わかりやすく、使える公式にしたものを用いるのです。
これは、「縁起」を表します。
この他にも、さまざまな論理の公式が
ないわけではありません。
しかし、どれも、上の●1と●2から
生まれてきます。
これを、論理学的には
「生まれる」と言わず
「演繹する」
というのです。
ブッダの論理学は、演繹論理学です。
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コメント
久馬さま
おはようございます。
>そうじゃなくって、あまりにも管理人エムさまが現代論理学に対して無知かを理解してもらいたいだけです。
ちょうど、ここが、水と油の関係にある、ブッダ論理学と西洋論理学のおかれている立場がきれいに現れるところですね。
どのくらい無知かを全部詳細にあげていただければ、それでブッダ論理学をマスターできていると思います。
無知をひっくり返せば、いいんですから。
ここがスタート地点になるでしょう。
投稿: 管理人エム | 2009/07/04 08:30
久馬さま、
それ両舌は人の親愛を離れしむるによって、別離の苦の故に地獄の苦を受く
と弘法大師は仰られています。
また論争を仕掛けたのは無自覚でしょうが久馬さまのように私には見受けられます。
お二人が菩薩道を歩んで実り多い対話をなさることを望んでおります。
投稿: o | 2009/07/03 20:22
管理人さま、久馬です。
> でも、わたしも、久馬さまと同じように論争する気はぜんぜんありません。
> ただ、ブッダ論理学が様相論理学を含まないということをわかっていただければいいだけです。
そうじゃなくって、あまりにも管理人エムさまが現代論理学に対して無知かを理解してもらいたいだけです。
ええっと、様相論理って、理解してますか?
(ウィキペディアのレベルでなくって。)
ちなみに、宮本啓一さんも、管理人さんに、批判的に述べているように読めます。
http://hpcgi1.nifty.com/manikana/fantasy/fantasy.cgi
の[1250] 紫陽花ペンギン亭主
投稿: 久馬栄道 | 2009/07/03 00:19
久馬さま
こんばんは。
ご丁寧にわざわざ投稿する場所を作っていただいてすみません。
でも、わたしも、久馬さまと同じように論争する気はぜんぜんありません。
ただ、ブッダ論理学が様相論理学を含まないということをわかっていただければいいだけです。
投稿: 管理人エム | 2009/07/01 00:19
久馬栄道です。
以後は
http://blogs.yahoo.co.jp/eidokyuma/28335807.html
に投稿してください。
では、また。
投稿: 久馬栄道 | 2009/06/30 22:57
ああ、みなさま、久馬栄道です。
私は釈尊と龍樹が大好きです。
だから、論争したくないです。
分かりますよね。
こんな無意味な論争は、やめましょうよ。
チャンとした質問なら、答えます。
H@B.G のメルアドで、
H が kyuma
B が eido
G が jp
です。
では、また。
投稿: 久馬栄道 | 2009/06/30 22:37
石飛さま、久馬栄道です。
>> これらの本は、西洋論理学の専門家によって書かれた本ではありません。
>
>わたしを非難しようとして、自分で墓穴を掘っているような感じですけど、こんなことを書いていいんでしょうか。
>
>論理学の入門書は、専門家が書いてなければ信用するな、ということでしょうか。
だから、そういうコトじゃなくって、専門家だから偉いとか、専門家ではないから偉くないからとか、そんな話じゃないのです。
ただし、石飛さんが現代論理学を批判する範疇では、これらの本は、物足りなさすぎます。
石飛さんの非難に、ガッチリ答える現代論理学も、あるんです。
(ワタシャア、めんどくさいので、やりたくないんですがね。)
だいたい野矢さんと三浦さん、この2冊、20世紀はじめのゲンチェンのシステムから、一歩も出ていなくって、それから80年以上たっているのに、そんな昔のシステムで、非難されてもなあ。。。
>ご本人が言うならまだしも、関係のない方が、こんなことを書くのはちょっと失礼かと思いますが。。。
三浦さんは、ご本人が、専門家ではないと言ってますが。。。
>それに、一般向けの入門書だからこそ、あげてあるんです。読者が、よく読んでいるものでなければ、論理のちがいを明らかにすることはできませんから。
一般的な入門書が悪いのではなく、それから論理学の世界が広がっているのに、それを引用しないのはなぜ。
私の答えは、石飛さんが無知だからです。
そこまで偉そうなコトを言うのであれば、もうちょっと勉強してください。
それで、ここで論争していても、私には狭すぎます。
http://blogs.yahoo.co.jp/eidokyuma
に1週間以内に場所と作りますので、場所が出来ましたら、以後はソコで投稿してください。
では、また。
投稿: 久馬栄道 | 2009/06/30 22:28
ミトモリさま、久馬栄道です。
>> これらの本は、西洋論理学の専門家によって書かれた本ではありません。
>
> このように、西洋論理学の専門家は、部外者を、規定します
> (素人が、口をはさんでも、(私の)取り上げるところではありません)
そうじゃあ、ないんです。
野矢茂樹さまと三浦俊彦さまが、論理学の専門家ではないコトは、ご本人たちが認めている所なんです。
(三浦さんは、ハッキリそう書いています。)
で、そういう、現代論理学を研究してる私たちから見ると、(ある意味、普通の人を対象としているような)専門書としては物足りない本を例に出して、現代論理学を批判する石飛さんの態度を、問題視しているだけなんです。
(では、何を読んだら良いのかは、現在、私は準備中ですが、あらためて考えるのに、それって、意味あるかいなあ。。。
ハードなリストになりますよ。
たぶん、このリストを見ても、石飛さんも含めて、あんまり読まないんだよなあ。。。)
で、けっして、素人さんを排除しているわけではないのです。
というか、素人さんの参加は、大いに賛成なんですよ。
(個人的には、メルアドも公開しているので、どしどし素朴な質問をして欲しいです。)
ただ、あまりにも石飛さんの態度は、この2冊だけで、現代論理学を批判しているので、チョットでもこの分野を、まじめに勉強している人間は、あきれているだけです。
コンナ、トコロ、デスカ。。。。。。
投稿: 久馬栄道 | 2009/06/30 22:16
独りよがりの 強い !
久馬栄道 様 は、
あなたの警告を理解しないと思います
思い上がりの身には(耳には)、
届きにくいからです
> これらの本は、西洋論理学の専門家によって書かれた本ではありません。
このように、西洋論理学の専門家は、部外者を、規定します
(素人が、口をはさんでも、(私の)取り上げるところではありません)
「論理学」の「入門書」は、「専門家」 “ の、もの ” 堕(!)からです
この書きようで、管理人 エム 様 以外に(!)、
わかるかな ?
投稿: みともり | 2009/06/30 21:31
久馬さま
> これらの本は、西洋論理学の専門家によって書かれた本ではありません。
わたしを非難しようとして、自分で墓穴を掘っているような感じですけど、こんなことを書いていいんでしょうか。
論理学の入門書は、専門家が書いてなければ信用するな、ということでしょうか。
ご本人が言うならまだしも、関係のない方が、こんなことを書くのはちょっと失礼かと思いますが。。。
それに、一般向けの入門書だからこそ、あげてあるんです。読者が、よく読んでいるものでなければ、論理のちがいを明らかにすることはできませんから。
> なんか書いている方が、馬鹿馬鹿しくなってくるし、まじめに書いている私が疲れる一方です。
まだ、久馬さま、何にも書いてないと思いますけど??
理由もあげてもらえてませんしね。
どうなってるんでしょうか??
投稿: 管理人エム | 2009/06/30 01:49
ええっと、久馬です。
とにかく、ここで議論するには、あまりにも狭すぎるんで、ここでのコメントは、最後にさしてもらいます。
まず石飛さんは、矢野さんの本と、三浦さんの本を引用されていますが、
ttp://manikana.cocolog-nifty.com/main/2009/06/post-1.html
> ■1.西洋論理学の動き■
>
> ●1994年 野矢茂樹氏
> 『論理学』(東大出版会)
> ●2000年 三浦俊彦氏
> 『論理学入門 推論のセンスとテクニックのために』(NHKブックス)
>
> これらの二冊は、現代(西洋)論理学の立場から書かれた本です。
これらの本は、西洋論理学の専門家によって書かれた本ではありません。
三浦さん自身も言っていますが、彼らは哲学者であって、西洋論理学の当事者ではではないんです。
三浦さんの言葉で言えば、正確には覚えていませんが、西洋論理学で遊んでいる哲学者、そんな感じの人々です。
(私は、この言葉が好きですが。。。)
西洋論理学を専門にやっている人々は、もうちょっと違うニュアンスで書いています。
次、
様相論理学に付いては、もう、あまり、石飛さんは、コメントしない方が良いです。
ちょっと石飛さんの勉強不足が、露呈しすぎてますから。
石飛さんこそ、ちゃんと論理的に反論してください。
なんか書いている方が、馬鹿馬鹿しくなってくるし、まじめに書いている私が疲れる一方です。
とにかく、石飛さん、思い出してください。
釈尊も龍樹も、論争しない論理学を、構築したんでしょ!
私は石飛さんとは、論争しないことにします。
益がないですから。
投稿: 久馬栄道 | 2009/06/30 01:02
久馬さま
入れ違いになってしまいました。
> 「方便心論」で龍樹が喩えに、「すべてに当てはまる喩え」というのは、様相論理では、「必然」つまり、あるコトが常に起きる、と言ってるのに対応し、「部分的に当てはまる喩え」というのは、様相論理では「可能」つまり、あるコトが起きる可能性がある、というのに対応していて、面白いなあ、と思っただけですよ。
これは、わたしのことばでは、「思いつき」と言います。
「必然」「可能」というような様相についても論理計算ができるということを検討しているのが様相論理学だと思いますが、その成立の過程や記号の意味など十分吟味し、また、龍樹の説くことばの意味も十分吟味した上で、二つを結びつける作業にいくのが、本来かと思います。
「すべてに当てはまる喩え」にも「部分的に当てはまる喩え」にも、「必然」も「可能」も何ら関係していないことは、ただ文章を読んでいけばわかるのではないでしょうか。
これらは、認識を基本として生まれてきます。
人間の思惟にかかわる要素をできるだけ排除してかかるのが、仏教的な考え方と思います。
わたしは、様相論理学を用いない理由を説明しました。
久馬さまは、理由の説明がありません。
投稿: 管理人エム | 2009/06/29 23:35
>>実は桂さまから連絡があって、
この文に興味を引かれました。
投稿: o | 2009/06/29 23:08
久馬さま
こんばんは。
かなり問題を感じましたので、若干補足を行いました。
> そうは言っても、私だって、チョコッと知ってるだけなんですが、石飛さんよりは多分、詳しいです
それは、どうでしょうか。。。などと言っては失礼かもしれませんが、
様相論理学、って、本気であげたのでしょうか
ほとんど、絶句してました。ウィキペディア程度の知識で、じゅうぶんわかることではないでしょうか。
どう転んでも、字が読めるなら、それはありえないと思うと思います、ほんと!
『龍樹と、語れ!』の本しか読んでいないとしても、五分作法の二つの論証は、様相論理学の素材なるとは、誰も思わないと思います。
第一章で、チャラカに関して、認識根拠を説明してありますし、内容を読めば、とうぜん当時の思想状況もわかるようになっています。
で、チャラカ以外の論者は、感覚器官でとらえられる、と述べています。
どうやったら、様相論理学にいくのか、教えてもらいたいです。
表層的な論理学の知識は、本を読めば誰でも得られるんですよね。
文化系は知識がないとか、こんなことも知らないなどと、いくらでも言うことは可能です。
わたしもたくさん言われております。
でも、そう言った人が、何をどうわからないのか説明してくれたことは一度もありません。
ものごとの本質にせまる人は、けっして、そんな言葉尻でお茶を濁さないんです。ことばなど、なんとでもなるからです。
わたしは、久馬さまに、龍樹について、サンスクリット語について、仏典について、聞かれたことは知りうるかぎり何でもお話ししました。
それでは、今度は、詳しい論理学をご教示いただければうれしく思います。知識の切り売りではない論理学をお願いします。
前にもお話ししましたように、バトルはいたしませんので、よろしくお願いします。
投稿: 管理人エム | 2009/06/29 23:08
再度、再度、久馬です。
あまりにもつまらないミスです。
「ひょっとして、自分の理解できないことを、すべて相手が論理的と非難してるのじゃありませんか?」
もちろん
「ひょっとして、自分の理解できないことを、すべて相手が「非」論理的と非難してるのじゃありませんか?」
の間違いです。
しかし、こんなコト、だらだら書いていても、釈尊と龍樹のためになっていないと思うんだけどね。
投稿: 久馬栄道 | 2009/06/29 22:56
再度、久馬です。
http://blogs.yahoo.co.jp/eidokyuma/27866135.html
に石飛さんが書かれた
> 様相論理学では、ブッダの法は表現できないということを
> 明らかにしました。
もちろん、様相論理学でブッダの法は表現できませんよ。
だいたい、私も単なる思いつきで書いたわけで、そんな重要なコトだと思って書いたわけではないんで、そんな過剰に反応されてもなあ。。。
しかし、ちょっと
> 「マジカナ道場」での
> 久馬栄道氏の NO.6064の発言から
> ====================
> > 龍樹が、すべてに当てはまる比喩と、
> > 部分的に当てはまる比喩といった意味が、
> > よくわかります。
> > やっぱ龍樹は、別格ですね。
>
> > 面白いことに、現代論理学では、様相論理学で、
> > http://ja.wikipedia.org/wiki/様相論理学
> > これは「必然」と「可能」という言葉で、
> > 語られる事柄なんですねえ。
> ====================
>
> 久馬氏の意見は、論拠がほとんど示されず
> 何を言いたいのか、内容がはっきりしません。
てのは、失礼じゃあありませんか。
ひょっとして、自分の理解できないことを、すべて相手が論理的と非難してるのじゃありませんか?
では、論理的に説明しましょう。
「方便心論」で龍樹が喩えに、「すべてに当てはまる喩え」というのは、様相論理では、「必然」つまり、あるコトが常に起きる、と言ってるのに対応し、「部分的に当てはまる喩え」というのは、様相論理では「可能」つまり、あるコトが起きる可能性がある、というのに対応していて、面白いなあ、と思っただけですよ。
だから、その対応を述べただけです。
様相論理で龍樹をすべて説明できるなんてコトは、コレッポッチも思っていません。
というか、釈尊や龍樹の論理学(と言って良いのやら分かりませんが)は、現代論理学とは相性は悪いんじゃないか、というのが、私の意見です。
では、また。
投稿: 久馬栄道 | 2009/06/29 22:53
久馬栄道本人です。
まさか私の名前で、「カレーな一日」の表題になってるなんて。。。
実は桂さまから連絡があって、私が三浦さんと同列になって反論されている、とな。
そりゃないぜ、という気分なんですがね。
三浦さんはともかくとして、私は少なくとも、愛情をもって書いていたんですが。
石飛さんは、私が思うに、(桂さまも同意見ですが)龍樹と釈尊に付いて、けっこう良いところを突いているんです。
(ここが三浦さんと根本的に違うところでしょう。)
ただ、あまりにも、あまりにも石飛さんは、現代に展開されている論理学に付いて無知なんで、そこだけは、なんとかして欲しいんですがね。
(そうは言っても、私だって、チョコッと知ってるだけなんですが、石飛さんよりは多分、詳しいです。)
しかし、ここでは、詳しく展開するには不向きですし、もうちょっと広いバトルの場所を、探すとしましょう。
P.S.
ついでに言えば、論理学はともかくとして、数学については、石飛さまもペンギンさまも、なんでこんな、とんでもないコトを書くんだろう、とは思うのですが、実は文科系の人が書いたゲーデルの話なんかは、9割以上ムチャクチャなんで、いつも数学基礎論の関係者は、ただただ、あきれているんですが。。。
(もう、いちいち反論するのには、みな疲れました。)
投稿: 久馬栄道 | 2009/06/29 22:28
oさま
こんばんは。
え? そう、すごいことになってる?
ちょっと危機感もちました。
ドロボウの汚名を着せられた人が自ら汚名を晴らさないなら、
ドロボウとされてしまうようなものだ、
と龍樹は言ってます。
だから「ドロボウじゃないからね」と言ってみました。
ちゃんと言わなくちゃダメなときもあるかもね、ってことで。
投稿: 管理人エム | 2009/06/29 21:15
すごいことになってますね。なるほど、このようにやるのかとまた驚いております。
投稿: o | 2009/06/29 16:57