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2008年1月27日 - 2008年2月2日

2008/01/31

論理は真理? 

つ、疲れました~~

昨日、今日レポートを330人分
読みまくる。

ぶっきょのレポートは、ほんと、まずいわ。

ぶっきょ、って、もう、むずかしいんだわね。

わたしも、ものすごく力入れて

縁起と中道の話をして
龍樹の話なんかしたもんだから
まずかったわね。。。

学生さんは、そこをレポートした人が多かったけど
もう、まったく、アップアップでした。

悪戦苦闘はしてることがわかる。
一生懸命だというのもわかる。
なんかいいたいのもわかる。
わからないのは、中身だけ。

龍樹。。。きみ、概論向きにできてないのね。

来年から、少し考えよっと。

それでも、なんとか龍樹に食らいつこうとしてる学生さんもいて
ほほえましい。

少し前にとった画像です。
005

 
 
 
  
 
 

少し、これで和みます。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、「ブッダと論理の微妙な関係」について
スマ長老さまより、ありがたくもお言葉をいただいたので
ここで、ちょっと、

論じてみたい、おほん!

http://gotami.txt-nifty.com/journal/


「真理は論理的ですが、論理は真理ではありません」

これですね。
この一文は、非常に微妙なところを表現していて、
なんとも、言えない感じです。

上座部としての立場が示されているのだと思いますが、

たしかに間違いではない。。。と思う。

だけど、
ブッダ論理学者(あれ、いつから?) としては

もう少し、述べてみたい。

「真理は論理的である」について、これはよい。

問題は、後半ね。

「論理は真理ではない」

これですよ。

間違いとは言えないと思うが
でも
正しいとも言えない、と思う。

ここでいわれる「論理」というのが、何か、によると思う。

「論理」を、即、「言語」と見なすなら
スマ長老さまの、おっしゃるとおりでしょう。

しか~し

わたしの述べている「論理」は、じつは、必ずしもそうではない。
ブッダ論理は、ブッダ世界のどこにでもある。

 語りたいことが自然に口から出てくるような、
そのような語りのなかで人々が理解しあえるとき、
わたしたちは幸せである。思考の流れがスムーズで、
おたがいのあいだを時間がゆったり流れているとき、
わたしたちは微笑んでいられるだろう。
そして、その語りが論理に則っているということを知れば、
いっそう心おだやかである。
「論理的でない」などと非難されることもなくなるからである。
(『ブッダと龍樹の論理学』より)

論理は、
ブッダの語りの中にある
が、
論理自身はことばで表されない。
それは、「形式」だからである。

それは
語りをとおして、
わたしたちに伝わってくる。

そのような論理が、伝わるとき
わたしたちは、満足して、もはや
言葉を交わすのを止めるだろう。

論理が行き渡るとき
わたしたちの心は
安らいでいて安楽である。

それは、涅槃である。

なぜ、そういうかというと
そのとき、行(サンスカーラ)は消え
疑問(煩悩)はなくなっているからだ。

わたしは、論理で、そこまで行けると思う。

「行ける」というのは、経験ではない(残念ながら)
「行ける」というのは、道理による。

だから
「論理は、真理である」といっても
まちがっていないように思う。

もう少し、言い換えれば
「どこまでも論理的であること、それは、真理である」

これで、どうかな。

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