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2008年7月6日 - 2008年7月12日

2008/07/12

恋は念力

恋は、淡いピンクの花のよう。。。

002

ど、どうしたん?管理人?
血迷ったか!

ちがいますよん、失礼ね。


やっぱ、哲学なんか講義していると
なんとなく

恋の哲学(?)にも

詳しいんじゃないか
って、ことで

相談受けたりするんです。。。

管理人、恋は、専門。。。。。。。外、
という専門で。。。ははは。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

せんせ
運命ってあるんですか?


??? 

ほら、運命的な出会いっていうの。。。


ああ、ありますよ。。。(お、あっさり、言ったじゃないすか、管理人)


わたしは、運命的だと思うけど
向こうは、ちがうかもしれないんです。


ううん、そういう場合もあるかな。。。(よく)。。(汗)


それだと、困る、っていうか。。
運命的な出会いであってほしいんです。


ううん。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。

な、何回か、出会ってみたら、
運命的な出会いだ、ってことに
相手が気がつくかもよ。。。
思っていたら、
いつかそうなるかもしれないし。。


そうですよね!
どうもぉ。。。

003
 
 
 

 
 
 
有益なアドバイスだったかしら。
恋は、念力!
アタック、ナンバーワン!

もしダメでも、

ほんとうの運命的な出会いは
今回ではなくて、

次の回なんだ

って、ことが、わかるだけ!

だから

だいじょうぶっ!

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2008/07/08

大論争は誰のせい?龍樹のせいさ!

007
 






街は、洞爺湖サミットで厳戒態勢のようです。

人のいるところを避けて、
北大の中を抜けていこうと思ったら

警備の人が、数十メートルごとに配備されている。。。

サミットのイベントがあるんですって!

ほんとに、実りある話し合いをしてください!
飢餓に、温暖化、待ったなし。。。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、わたしも、待ったなし。。。

もう少し勉強したいけど、
時間がないのが苦しい。


先日、1984年に雑誌『理想』3月号に掲載された

梶山先生の「詭弁とナーガールジュナ」という論文を

拝読する機会があった。

だいぶ古いものだけど、

はじめて拝読。


梶山先生、『方便心論』の研究について述べているところで

宇井博士の批判を

行っている。

宇井先生は、批判されている時には、すでにお亡くなりである。


梶山先生は

おおっとぉ!というくらい、はげしい批判で

わたしも、ビックリ。

とても温厚な先生だと思っていたし

きっと、そうなのだろうと思うけど

この、はげしい批判ぶりは

やはり、よほどの思いがあったのだろう。

まぁ、

梶山先生の気持ちは、

わかる気がする。。。

宇井先生は、批判されても仕方ないくらい

『方便心論』については、

重大な誤りを犯しているからだ。

しかし、一方、

宇井先生について考えてみると

たぶん、梶山先生の批判は夢にも想定できなかったことだろう。

どうして、自分が批判されたか、存命であれば

青天の霹靂だったことだろう。


二人の先生は、すでにお亡くなりになっているので、

もう、どちらも、意見を述べることはできないのだけど、

宇井先生の「方便心論の注釈的研究」と
梶山先生の方便心論にかんする研究やこのはげしい批判を

眺めていると

たしかに
たしかに
た~しかに

ここに!

龍樹がいるぞ!!

と思う。


このお二人の

まっぷたつに分かれた意見を見ても

明らかに、

ここに龍樹がいる!!


龍樹でなければ

こんなに意見がまっぷたつに

わかれるもんかっ!

ねっ!そうでしょ!

二人は偉い先生なんだぞ。

ふつうなら、

こんなけんかじみたこと

するはずないんだから。

だって、ね、

梶山先生もはげしいが
宇井先生も、負けてない。

宇井先生も批判をしまくっている。
宇井先生の批判の矛先は
漢訳の訳者である。


まず、

宇井博士は、次のように述べている。

「…此論の訳者は確に此二十種は
我常と声常との主張に対して
二十方面から論破し得ることを説いて居ると
解したことがわかる。

然し少しく因明論理の事を知るものは、
たといここに相応といはるるもの即ち
ジャーティが誤難なることを聞かされなかったとしても、
二十種の一々の破を見れば明確に知らるる如く、
此章は誤れる能破を説くものなることは
了解し得えられねばならぬ筈である。

これをしも正しい能破と見、我常声常を
之によって破し得となす如きは
実に沙汰の限りであるといはねばならぬ。

然し原著者が已に此の如く解して居たと見られないのは
此の如き人が因明論理の書を著はす道理は
絶対にあり得ることではないから、罪は全く訳者に帰する。」

要約すると

★宇井博士は★

「相応」という名の二十種は、
誤った能破(誤った論破)である

としている。

著者が誤ったものとして書いたのに
訳者が、勝手に
正しいとしたのである

としている。


これに対して、

梶山博士は、ガマンできずに、次のように述べる。


「吉迦夜と曇曜※こそいい面の皮である。 (※方便心論の訳者)
ここまでバカにされても化けて出てこなかったのは、
二人が成仏した証拠である。

第一、漢訳以外に原典もチベット訳も存在しないのに、
相応を正しい能破とすることが、
著者の見解でなくて、訳者の誤解であると言うことが
どうして宇井氏にできたのか。

相応を能破とすることが沙汰の限りであるならば、
同じ論法を用いたナーガールジュナも沙汰の限りである。

わたくし自身は少しく因明論理の事を知っているものであるが、
何度読み返してもみても、
この章が誤れる能破をとくものであることが
了解し得られないのはどうしたことか。」

要約すると

★梶山博士は★

「相応」の二十種は
龍樹論法そのもので
正しい能破である

としている。

訳者が、勝手に
そんなことするはずない

としている。


正反対なのである。

優秀な学者なのである、お二人は。

世界的に名の知られた優れた学者が
二人とも、真っ向から
反対の意見を述べているのである。


こんな事できるのは

龍樹しかいないのである。


これは、梶山博士に軍配が上がるだろう。


宇井博士は、龍樹のことは念頭にも置いていない。

「空」ということばが、説かれていても
まったく無視してしまっている。
そして、
全部、都合の悪いことは
何の根拠もなく
訳者のせいにしてしまっている。
この他にも、いろいろ
訳者に罪をかぶせている。


梶山先生の言うとおり

訳者が化けて出なかったのは

成仏したからだと

わたしも思う(笑)。

吉迦夜と曇曜は、えらいお坊さんだったのだ。

【教訓】

研究していて

龍樹かもしれないと思うときは

研究者のみなさんは

十分注意しなくてはいけない。

だって、トンデモない目にあうことは

必定だから。。。。。。


って。。。わたしもさ、

もっと早くわかっていれば。。。。。

006


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