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2008年6月22日 - 2008年6月28日

2008/06/27

自己を認める人と自己を認めない人と

【自己を認める人】は。。。。
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見えない自己をみずからのうちに認める人は

書いてある文章の中にも、

見えない自己を認める。

これを、「行間を読むことだ」とその人は合点する。
 
 

【自己を認めない人】は。。。。
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見えないものは「ない」と知る人は

書いてある文章について、

ただ書いてあることだけを読む。

これを、「あるがままである」とその人は知る。


こんな二人が、経典を読むとどうなるでしょうか。
実験をしてみましょう。

====================
「比丘たちよ、眼は無常である。
無常なるものは、苦である。
苦であるものは、自己ならざるもの(無我)である。
自己ならざるものは、
『これはわたしのものでない、
これは、わたしではない、
これは、わたしの自己(本体)ではない』と、
このように、ありのままに、
正しい智慧によって見るべきである。」
(『サンユッタ・ニカーヤ』三五・一)
=====================

【自己を認める人】は

「眼は無常である。
無常なるものは、苦である。
苦であるものは、自己ならざるもの(無我)である。」

と読んで、
ここで、大好きな「自己」ということばに心をうばわれる。

一生懸命、行間を読む。

「自己ならざるもの」である、だと?
「自己ではない」ということだな。。。
ううん、「自己はない」とは、書いていない。。

「自己はない」とは言わないのだから
ムフフ、「自己」をブッダは否定はしていないのだ、っと。

こう考えて、安心してしまう。

これ以上

かれの頭には、文章は入っていかない。
ここで、経典はつきている。

■一方■

【自己を認めない人】は

「比丘たちよ、眼は無常である。
無常なるものは、苦である。
苦であるものは、自己ならざるもの(無我)である。」

と読んで

ここで、「自己ならざるもの」ということばに心をうばわれる。

苦であるものは、自己ならざるものである、と

知って、ちょっと気が軽くなる。。

苦しいことは自己ならざるものかぁ~

ありのままに、そうと知る。

で、次に進む。

「自己ならざるもの」は、
『これはわたしのものでない』
『これは、わたしではない』
『これは、わたしの自己(本体)ではない』と、
このように、ありのままに、
正しい智慧によって見るべきである。

一つ一つかみしめる。

眼は無常であって苦であって、そうか!
だから
わたしのものではないんだ。

眼は無常であって苦であって、そうか!
だから
わたしではないんだ。

眼は無常であって苦であって、そうか!
だから
わたしの自己ではないんだ。

そうなんだね。
だから
『どこ見てるんだぁ
自分の目でよく見ろぉ』
なんて、文句も言われなくてもすむわけか。。。

眼は「わたし」でもない。
眼が自分、って、あんまりないと思うけど
画家なら、眼が命、って思うかもしれない。。。

眼は「わたしの中にある小さい自己」でもない。
眼の中に。。瞳のおくに君が見える、みたいなかんじかな。
君の瞳に乾杯! っちゅうのも、あったね。
眼は、わたしの本質、わたしの自己(アートマン)、ってこともない。。。

こうして、書いてあるとおりに
知るのである。

【自己を認めない人】は、
もともと
自己を認めない人であったわけではない。
この人は、ただ経典を素直に読む人である。

しかし、

読めば読むほど
書いてあるとおりに
なっていく。
つまり
【自己を認めない人】になっていくのである。

だんだん、「自己」ということばを忘れてくる。
使わなくなるので、なくなっていく。


では!

眼は「自己ならざるもの」であると知るとは、
どういうことだろうか?


それはね

眼がみる色や形、そんなものに
とらわれなくなっていくことだね。

なぜって、

見る眼が
わたしのものでも、わたしでも、わたしの自己でないなら

見られるものだって
わたしのものでも、わたしでも、わたしの自己でもないだろう?
そうだよね。

そうなると

目で見ることばにすら
そんなにとらわれない。

わかったら、そのことばは消えていくし、
また、
必要になったら、ことばが気持ちのままあらわれる。

「無常」であって、
「苦」であって、
「自己ならざるもの」だからね。

で、じっと見てると、

無常・苦・無我は、一つのものについて
いろいろ言い換えたものなんだなぁ

とも、わかってくる。

これがね。

「空」ということでもあるんだ。

どんどん、見えてくる。。あるがままに。。。

花は紅、花は白!
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★今日の教訓★

行間は読むな!
自己は語るな!

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2008/06/26

我が輩は最高の牛である

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わたしの名は、最高の牛。。。ゴータマでっす。
ちょっと、朝からなんですが、

今日の教訓でっす。。。もう
 
人が生まれたときには、
実に口の中には斧が生じている。
愚者は悪口を言って、
その斧によって自分を切り割くのである。
(出典いろいろ)

朝から過激でっす。。。もう

だけど、だけど。。。

どれが、悪口なんでしょか。。。もう

見た目じゃわからないかもね。。。
きっと、自分で傷ついてから

ああ、自分の言ったことばは
悪口だったんだ

って、気づくことも、あるかもね。。。もう

にぶいね、にんげんて。

ちっとも、教訓になってなかった、もう。。。ははは

朝は忙しいから、日記書くには無理があるなぁ。。。


(予習せよ!管理人!もうもう!)

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2008/06/25

ランチだ!

昨日は、暑かったです。
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最近は、仕事の関係で
パンを買ったり、コンビニ弁当になったり、がおおい。

また、かもを見ながら、パンを食べようかと思ったけど
池は人が多くて、
そんでもって、暑い。

あんまり暑いので、
体力つけようと
帰り道にある
中華料理屋さんに入ってみることにする。。いくぞ!
ランチ。017
 
 
 
 

 

680円。
豪華だ!
それにお客さんがひとりもいない!

暑いから、中華は避けたのかな。
それとも
時間が遅いから、みんな食事が終わったのかな!

炒め物の中に
白くてまんまるで小さくてさくさくした野菜が
入っている。

なんでしょうか?

食べてもわからない。

レンコンみたいでレンコンじゃない。
長いもみたいで、長いもじゃない。

なんだろう?
もう、似ている野菜の名前が出てこない。

気になって、そればかりよって食べてしまう。
ダメだ!食べても、わからない。

食べれば
名前がわかるという道理はない

と、お釈迦さんならいうかなぁ。。

とうとう、お店の人に聞く。
聞いたら、なんと

クワイ でした。

とれる時期が短くて長持ちしないんですって。
これも、缶詰だそうです。

静かで涼しいところで
おいしいお料理を食べて

かしこくなったし
スタミナついたし

なかなか グ~ッドなランチでありました。016
 

 
 

 
 
 
 

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2008/06/24

我が輩はかもである

「わがはいは、かもである」

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「かも!
といっても、ただの かも! ではない
考えるかも である」
 

「みなさん!
みなさんは、かも である。。。。オホン!(深く考えないように)」


「同じ かも 同士であるから
仲よくお話ししたい」


「今、かも であるみなさんに、

無我(自己ならざるもの)ということについて

説くであろう」


「え?なに?えらそうだって?」


「何をおっしゃる!
同じ かも として
ぜひとも 伝えたい というだけである」


「無我 とは何か。
みなさんは、迷える かも である」


「なので、
明らかなことを
説くのである、おっほん。。。。」

「おっ!ほん。。おっ!本。。。本?。。
そう、本。。。それは経典。。。」 (まくら長いかも (汗) )


「もしみなさんが、真のかも( まがも、なっちって )であれば、

経典を読むとき

書いてあることを

そのまま

書いてあるとおりに

読むのがよいのである。

それが、『無我(自己ならざること)』 ということである」


「これは、かも にだけ伝わる

秘伝の読み方なのである」


「したがって、カモ!カモ!エヴリボディ (おい!)

この読み方を、

しっかりと かもの心に秘めて

真のかもとして

精進してくれたまえ!!」

「え?何かね?
もう話は終わった。。わたしは瞑想する。。
失敬するよ。。。」

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「わたしの名?

名乗るほどでもないが

わたしは、カモネギ。。。あ、まちがった。。

カモのヨーギン、すなわち カモヨギ。。。」

(管理人!読者をカモにしちゃ、いかんぜよ!!

なはは。。すんません)


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2008/06/22

癒しの書!片山一良氏『パーリ仏典入門』

ちょっとショック、大いにショック、とってもショック。

いつも (というほどではないけど) 本を頼んでいる 

マルショウ貿易、という本屋さんが

とつぜん

営業中止! との連絡をくれました。

海外発注専門にやってくれて、
ありがたかったのです。

インド関係の本は
この本屋さんに頼んでいたのです。。。。ああ、どうしよ!

本屋さんも、営業とかたいへんだったのかしら?

中止になるなんて、もっと頼めばよかった。
もう遅い!

こういうのを、「後悔先に立たず」と、
いうんだわねぇ。

長いこと、お世話になりました。
ありがとうございました。
もし再開したら、すぐおしえてくださいね。
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@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 
とりあえず、ショックを癒そう。

出版されたばかりの 
片山一良先生の
『ブッダのことば パーリ仏典入門』(大法輪閣)

を購入してみました。

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前々から、片山先生のご本は
一冊ほしいと思っていましたが、
先立つものの関係上、なかなか買えませんでした。

しかし、ここでもショック!

とても、すばらしいご本です。
なんで、もっと前から片山先生のご本を買わなかったのだろう

と、後悔の念が、わきおこる。。。なよっ!。。ダメ、わき起こるっ!

全部、拝読していないのですが
ちょっと覗いただけでも魅了されます。

その語りは、音楽のよう。。
耳にやさしく調べとなって
沁みてきます。

ブッダの法を受けとる
先生の謙譲の気持ちが
にじみ出てきて

ブッダの法をよりいっそう
はっきりと清らかに示します。

一言で言えば、

白蓮のごとくに
清らかな 仏法の解説書。

「あとがき」が、またすばらしいので
ちょっと引用してみます。

======================
これをお引き受けするにあたり、私はつぎのようなことを
お許しいただいた。

そのときもそうであったし、今もそうであるが、
私はいわゆる研究というものをしていない。

時間は訳経と坐禅に費やされることが多く、
いつも仏教は一つであり、
原始仏教であれ、上座部仏教、あるいは大乗仏教であれ、
それは名のみのもの、
教えの根幹はまったく同じである、と学んでいる。

したがって執筆はそのような把握によるまとめになり、
学術的なものにはならない。
いわゆる仏法の立場から
「ブッダのことば」を紹介したい、
ということである。
========================

ほらね、音楽のようでしょ。

それに、語ることばが、まさに仏法ですよ。
そのまま、仏法も学べちゃうです。

仏法を受けとる人は、このようにするんですね。

=========================
また、本書を執筆している間、私にはなんら負担がなく、
いつも静かな時間をもつことができた
=========================

と、このように先生はおっしゃっています。。。うらやましいぃぃぃぃ~!

わが身をふりかえると、ほんと、いかにこれがすごいか
わかりますだ。
うろうろクマのように歩き回って、
悶々としているわたしとはおおちがい!

はぁ、エエですよぉ~、良書の決定版でしょうか。

これから、じっくり味わって拝読します。

「あとがき」だけでも、仏法を満喫できる!

これぞ!「ザ・仏教」 という書です。


ショックは癒されたようね。。単純なヤツね、管理人って。
 

 
 
 

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