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2007年12月30日 - 2008年1月5日

2008/01/05

仏教徒は外からやってくる、そして、外へ出て行く

もう5日。

月日のたつのは、早いものでございます。
先週は、去年だった。。しみじみ。

ろくに勉強しないのに、一日があっという間に暮れていく。
日々過ぎていくのに、変わるものは、ろくに ない

写真も、昨日と似たようだって?
文句言わないでくれぃ。

自然も人間も、そんなにすぐには 変わらない。
001

 
 
 

 

 
な~んて、言ってないで、管理人!
さあ、いってみようか~!やっとな!

=====================
仏教徒は外からやってくる そして 外へ出て行く!
=====================
前々から、書いてみたいと思ってたのだ、これ。

■仏教徒というのは、どこにいるのか?■

こんな疑問をもったことありまへんか。

あ、ありまへんのね。
変ですか?この疑問。

わたしは、ずうっと、仏教徒というのはどこにいるのだろうかと
考え続けてきました。

「はい、はい、わたしが仏教徒です」

という人はたくさんいるでしょう。
それは、それで何も問題ないのですが、

そういう人たちは「どこに」いるのだろうか?

というのが、疑問だったのです。

「どこにいるのだろうか」って、言ったって、そんな。。。

家にいたり、お寺にいたり、がっこにいったり、会社に行ったり、
スーパーに行ったり、神出鬼没だと思うぞ。。。

あ、そういう意味じゃなくて

教え(仏法)との関係で言えば、
どのあたりにいるのかな

って、意味なんですけど。。。

???

わかんないすか?
じゃ、はじめから話すよ。

【前半】
まず、人は生まれたときには、仏教の教えを知らないので
仏教徒ではない。

沙門ゴータマが、悟りを開いてブッダになったとき、
ひとり 仏教徒が生まれた???

いや、ブッダになっちゃったら、もう、仏教いらないから
仏教「徒」ではないかもしれない。

ということは、なんとおお、

1.仏教が開かれたとき、仏教徒は 誰もいなかった!
衝撃の事実 です。

ブッダが最初に五人の比丘に教えを説いたとき
はじめて仏教徒が生まれた。

ということは

2.教えを聞かないと仏教徒にはなれない。
「帰依します」って言わなくちゃならないもんね。

つまり

仏教徒というのは、
★必ず仏教外からやってくる★のです。

仏教の教えを聞くためには、
ほかの教えをもってるか、
何も教えをもっていないか
どちらかなのです。

確実に仏教外からやってきた人が、仏教徒なのです。

わかる?よく考えたら、不思議でしょ。

そうやって考えてみると
有名な弟子たち、優れた弟子たちは、
もとから、みな仏教徒ではなかった。

有名でない弟子たち、優れていない弟子たちも、
もとから、みな仏教徒ではなかった。

サーリプッタとモッガラーナは、
六師外道の一人サンジャヤの弟子だった。
天下の龍樹は、大金持ちのバラモンの子だった。

ほかにもたくさんのバラモン・沙門・ふつうの人が
ブッダの弟子になった。

で、それらの人が優秀であればあるほど
ブッダの弟子になった。

ブッダの教えを聞いて優れていることが
すぐわかるからだ。

ブッダは、もっとも優秀なものたちを
続々弟子にしていった。


仏教は野火に似ている。

野原や草原を焼き尽くす野火は
どこで、もっとも激しく燃えるのか。

まだ燃えていない草木と、火とが
接するところである。
燃え広がっていく火の先端部分は
もっとも激しく勢いがある。

そのように
仏教外の人と仏教徒が出会うところは
もっとも激しく燃えるのである。
教えがぶつかり合い、燃え上がるのである。

そして、やがて

火が、必ず草木を焼き尽くすように
仏教は、非仏教の教えを焼き尽くす。

焼き尽くすと、燃えるものを求めて
火は、次々と草原をなめるように進むのである。

仏教は、仏教徒ではない人たちを求めて
次々となめるように進むのである。

仏教徒は、どこにいるのか?
野火の激しく燃える先端に生まれる。
非仏教徒たちのいるところと仏教徒の接するところに
生まれてくる。

だから、
★仏教徒は、いつも外からやってくる★

【後半】

こうして、仏教はその教えを広げていく。
しかし、喜んでいるのは、ちょっと早いよ。。

次の展開をご覧じろ!
次は、仏教の危機がやってくる。

勢いのある仏教、優れた仏教
すべての教えは、仏教に飲み込まれる

ようにみえるけど、落とし穴が待ち受けている。

ちょっと、燃えてしまった後をごらんよ。。。

仏教は、どこに行ったんだろう。
あんなに勢いのあった優れた教えは
沈静化する火のように
下火になっていく

ああ、ああ、燃えた後の養分の多い土から
また、再び草木が芽吹いているじゃないですか。

こうして、瞬く間に草木は復活する。

焼けた野原は、仏教の王国ならぬ仏教の焦土。。。

仏教徒たちはどこに行ったのか?
どこにいるんだろう。

心ある仏教徒は焼けた野原にはいられない。
教えの失われた地に住めない。

だから

★仏教徒は、また、外を目指して出て行く★

たくさんの優れた仏教徒たちは、
仏教のないところをめざす。

チベットを追われたダライラマ14世は
活動の場を世界に求めた。
チベット仏教は、世界に広がった。
スリランカからやってきたスマ長老さまは
日本に活動の場を求めた。
上座部の仏教は日本に広がった。

だからね

日本の仏教徒の人たちよ
君たちも

外をめざせ!
教えを広めよ!二人して行くな、一人で行け。。。

■仏教徒はどこにいるのか■

じっさいに、仏教の寺院に住まうのは
まだ、外からは守られなければならない
修行中の人々です。

ほんとうの仏教徒になるために修行する人々です。

「仏教徒はどこにいるのか」
の答えは見つかったね。

仏教徒には、この世に 安住の地はない。

ただ 涅槃をめざすのみ。


ブッダは、仏教をうまくつくったなぁ、と思います。

仏教は
外から人々がたえずやってきて
外へ人々がたえずでていくとき
隆盛です。

変化の教えに従っているとき
仏教自身も生きられる

ってことだね。。お見事!仏教。

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2008/01/02

不活の畏れ?何それ?

新年あけましておめでとうございます。

穏やかに年が明けた管理人です。
よかったです。こんな感じです。

001

 
 
 
 
 

みなさまはいかがでしょうか。
 
005

 
 
 
 
さて、のんびりしてないで、管理人!
さっさといってみようかぁ~、ほらさ!

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「哲学はどこにあるのか」(マジカル広場、横井さま[1041]より)
=======================
[1042]の続き

「多くの人は、生活のために学問をする」と書きました。

そうでない人は、名誉のために学問をする。
そうでない人は、権威のために学問をする。

これらは、およそ皆同じです。
生活のために学問をしていると、

どうしても、学問的には
その人自身の内面と直結しない。
その人の「生活」と直結してしまう。

そこで

そのみすぼらしさを隠すために
名誉 とか 権威 とか
求めざるをえなくなる。

仕方ないす。。。

名誉と権威が手にはいると
失うのがこわくて何も言えなくなる。

仕方ないす。。。

これらは、必然的な結末です。

===

こんな生き方が嫌な人は
どんな生き方をするのでしょうか。

「学問のために、生活する」を選ぶのです。

”学問さま”に、自分の身をくれてやるのです。
粗末なものですが、お使いください。

学問さま:うーん、ホントに粗末だな。。仕方ない。。ないよりまし
わたし:そんなぁ、これでもせいいっぱいですのに、とほほ。
学問さま:もうちょっと、真剣に 真理、っちゅうもんを求められんかね。
わたし:能力の限界ですけど。。。
学問さま:ちっ!この程度で音を上げるんじゃ、いらねぇな。
わたし:そ、そんなぁ(言葉遣い悪くないすか)、もっとがんばりますです

このようにして、どんどん身をささげていくのですが
そのうち、主客逆転といいますか、
おもしろいことが起こってくるのです。

生活は、学問のためです。
が、
学問が、生活させてくれるのです。

生きるは、学問のためです。
が、
学問が、生かしてくれるのです。

わたしは、”学問さま”の言葉を語ります。

学問の言葉は、身をささげて得た報酬です。
それは、わたしを生かしてくれて、
生き生きとさせてくれます。
その言葉には、嘘はなく

学問の言葉であり
生きてるわたしの言葉です。

生きてるわたしの言葉となってしまえば
こちらのもの。

もはや、生活のために生きて
何を語ってもみじめだった昔とはちがいます。

何を語っても
学問の言葉であり、わたしの言葉です。

たとえ、自分の貧相な生活を語っても
真理の言葉になる!

めざせ、ここまで。真理の道を。

======================

多少、脚色していますが、ほぼ本音です。

わたしは、非常勤で働いています。
ま、生活のためですね。

大きな声では言えませんが、
この悪名高いシステムは、
わたしにとっては
そんなに悪くないのです。

真理勝負に使えるシステムなのです。
まぁ、いつ首になるかわからないので
その分、思いっきり

自分の真理を語れる

という強みがあるのです。

? 

なんか変ですか。

いつ首になるかわからなかったら
真理を語れないんじゃないすか?

ちゃう、ちゃう。
そんなことしたら、首になっちゃうの。
それは、名誉や権威による人の発想です。

真理を語っているうちは、首にならない!のです。

嘘だ
って、思ったら
やってみてちょ。。。。ってのは、むごいかな。

====================

では、『十住毘婆沙論』より、ちょびっと引用。

問うて曰く、菩薩は何故に初地に住すれば「不活の畏れ」無きや。

大威徳の故に、能く堪受する故に、大智慧の故に、止足を知る故に。
……
有智の人は少しく方便を設けて能く自活を得る。
…不活の畏れ有るべからず。

【飜訳コンニャクぅ】
(初地(最初の段階)になれば、どうして、
『生活できないかも』というおそれが無くなるのですか。)

(とても威徳があるから、能く耐えるから、すんごい智慧があるから、なくても満足するから)
……
(智慧のある人は、ちょっと手段をつくって自活の道を開くのです)
…(生活できないかも、というおそれは有るはずない。)

=======================

だからね、まぁ、大丈夫でしょ。

(うーん、管理人、智慧って、智慧ってところが。。。心配よ)

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2007/12/31

かってに国際龍樹年?何それ?

年末にパソコンを買い換えるという
惨事を切りぬけ

管理人は、大晦日を迎えました。

みなさまは、いかがお過ごしですか。
年越しそばを召し上がってますか。

管理人は、まだです。。早く食べないと、年あけちゃう。

ここ数年のうちでは
一番穏やかで
平穏なお正月になりそうです。 
 
002

001
 
 

 
 
 

さて、いつもとおり

来し方行く末をうらなう
管理人の 計画だおれの お時間がやってまいりました。

いつも、元旦に計画たてては、
たてたそばから倒れるという

裏技をくりだして、期待を裏切る管理人です。


早速、今年の反省!

仕事: 講義がどっと増えたが、なんとか乗り切った。。はず
仕事: 本が出せた。七転八倒、なんとか乗り切った。。はず
研究: 少ない、、っていうか、ほとんどないに等しい

来年の展望

仕事: 論理学の関係を手直しして、乗り切りたい。
仕事: 龍樹関係で少しまとめたい。
研究: 龍樹がらみでしぶとくやりたい。

来年は、かってに、国際龍樹年 と名付けて
もう少し
龍樹を世の中に広めよう。

詭弁論者の悪いイメージを払拭して
さわやかで一途な好青年菩薩の
龍樹をアピールしたいすね。

失敗したら?

え、縁起でもない。
さわやか龍樹!
これでいくわ。なんとしても。

そして、

大乗仏教にも、ちょびっとがんばってもらおう。

部派のブッダ世界を、
ぐぐっと、というか、
ぐいーんと広げて
新しい可能性を掘りあてた
豊かで深い精神世界、大乗!

ブッダの精神をそのまま伝える部派
それに対して
部派の珠玉の法を内に抱え守る大乗
もっと、仏教を新しい目で見てみたい!

その新しい目とは、何ですか?

それは、もち、龍樹の”目”でっす。

かってに国際龍樹年、おめでとう。

やれやれ、管理人だけは変わりませんねぇ。。。。

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