仏教徒は外からやってくる、そして、外へ出て行く
もう5日。
月日のたつのは、早いものでございます。
先週は、去年だった。。しみじみ。
ろくに勉強しないのに、一日があっという間に暮れていく。
日々過ぎていくのに、変わるものは、ろくに ない
写真も、昨日と似たようだって?
文句言わないでくれぃ。
な~んて、言ってないで、管理人!
さあ、いってみようか~!やっとな!
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仏教徒は外からやってくる そして 外へ出て行く!
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前々から、書いてみたいと思ってたのだ、これ。
■仏教徒というのは、どこにいるのか?■
こんな疑問をもったことありまへんか。
あ、ありまへんのね。
変ですか?この疑問。
わたしは、ずうっと、仏教徒というのはどこにいるのだろうかと
考え続けてきました。
「はい、はい、わたしが仏教徒です」
という人はたくさんいるでしょう。
それは、それで何も問題ないのですが、
そういう人たちは「どこに」いるのだろうか?
というのが、疑問だったのです。
「どこにいるのだろうか」って、言ったって、そんな。。。
家にいたり、お寺にいたり、がっこにいったり、会社に行ったり、
スーパーに行ったり、神出鬼没だと思うぞ。。。
あ、そういう意味じゃなくて
教え(仏法)との関係で言えば、
どのあたりにいるのかな
って、意味なんですけど。。。
???
わかんないすか?
じゃ、はじめから話すよ。
【前半】
まず、人は生まれたときには、仏教の教えを知らないので
仏教徒ではない。
沙門ゴータマが、悟りを開いてブッダになったとき、
ひとり 仏教徒が生まれた???
いや、ブッダになっちゃったら、もう、仏教いらないから
仏教「徒」ではないかもしれない。
ということは、なんとおお、
1.仏教が開かれたとき、仏教徒は 誰もいなかった!
衝撃の事実 です。
ブッダが最初に五人の比丘に教えを説いたとき
はじめて仏教徒が生まれた。
ということは
2.教えを聞かないと仏教徒にはなれない。
「帰依します」って言わなくちゃならないもんね。
つまり
仏教徒というのは、
★必ず仏教外からやってくる★のです。
仏教の教えを聞くためには、
ほかの教えをもってるか、
何も教えをもっていないか
どちらかなのです。
確実に仏教外からやってきた人が、仏教徒なのです。
わかる?よく考えたら、不思議でしょ。
そうやって考えてみると
有名な弟子たち、優れた弟子たちは、
もとから、みな仏教徒ではなかった。
あ
有名でない弟子たち、優れていない弟子たちも、
もとから、みな仏教徒ではなかった。
サーリプッタとモッガラーナは、
六師外道の一人サンジャヤの弟子だった。
天下の龍樹は、大金持ちのバラモンの子だった。
ほかにもたくさんのバラモン・沙門・ふつうの人が
ブッダの弟子になった。
で、それらの人が優秀であればあるほど
ブッダの弟子になった。
ブッダの教えを聞いて優れていることが
すぐわかるからだ。
ブッダは、もっとも優秀なものたちを
続々弟子にしていった。
仏教は野火に似ている。
野原や草原を焼き尽くす野火は
どこで、もっとも激しく燃えるのか。
まだ燃えていない草木と、火とが
接するところである。
燃え広がっていく火の先端部分は
もっとも激しく勢いがある。
そのように
仏教外の人と仏教徒が出会うところは
もっとも激しく燃えるのである。
教えがぶつかり合い、燃え上がるのである。
そして、やがて
火が、必ず草木を焼き尽くすように
仏教は、非仏教の教えを焼き尽くす。
焼き尽くすと、燃えるものを求めて
火は、次々と草原をなめるように進むのである。
仏教は、仏教徒ではない人たちを求めて
次々となめるように進むのである。
仏教徒は、どこにいるのか?
野火の激しく燃える先端に生まれる。
非仏教徒たちのいるところと仏教徒の接するところに
生まれてくる。
だから、
★仏教徒は、いつも外からやってくる★
【後半】
こうして、仏教はその教えを広げていく。
しかし、喜んでいるのは、ちょっと早いよ。。
次の展開をご覧じろ!
次は、仏教の危機がやってくる。
勢いのある仏教、優れた仏教
すべての教えは、仏教に飲み込まれる
ようにみえるけど、落とし穴が待ち受けている。
ちょっと、燃えてしまった後をごらんよ。。。
仏教は、どこに行ったんだろう。
あんなに勢いのあった優れた教えは
沈静化する火のように
下火になっていく
ああ、ああ、燃えた後の養分の多い土から
また、再び草木が芽吹いているじゃないですか。
こうして、瞬く間に草木は復活する。
焼けた野原は、仏教の王国ならぬ仏教の焦土。。。
仏教徒たちはどこに行ったのか?
どこにいるんだろう。
心ある仏教徒は焼けた野原にはいられない。
教えの失われた地に住めない。
だから
★仏教徒は、また、外を目指して出て行く★
たくさんの優れた仏教徒たちは、
仏教のないところをめざす。
チベットを追われたダライラマ14世は
活動の場を世界に求めた。
チベット仏教は、世界に広がった。
スリランカからやってきたスマ長老さまは
日本に活動の場を求めた。
上座部の仏教は日本に広がった。
だからね
日本の仏教徒の人たちよ
君たちも
外をめざせ!
教えを広めよ!二人して行くな、一人で行け。。。
■仏教徒はどこにいるのか■
じっさいに、仏教の寺院に住まうのは
まだ、外からは守られなければならない
修行中の人々です。
ほんとうの仏教徒になるために修行する人々です。
「仏教徒はどこにいるのか」
の答えは見つかったね。
仏教徒には、この世に 安住の地はない。
ただ 涅槃をめざすのみ。
ブッダは、仏教をうまくつくったなぁ、と思います。
仏教は
外から人々がたえずやってきて
外へ人々がたえずでていくとき
隆盛です。
変化の教えに従っているとき
仏教自身も生きられる
ってことだね。。お見事!仏教。
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