ガンダルヴァの城
月日のたつのは夢のうち。
玉手箱を開けた浦島太郎の心境になってきました。
龍樹先生も、言っています。
「諸々のものは、ガンダルヴァの城(蜃気楼)のようだ」
日の出の頃
東の空に
城郭・天守閣・宮殿・行き来する人々が
見えることがあるが。。。。
日が高く昇ると
それは消えてしまう。
この町は、ただ眼に見えるだけのもので
じっさいにあるのではない。
ガンダルヴァの城を探し求めても
行きつくことはできない。。。。
はっと、われに返ると
ああ、っっとっとっと
たちまち、おじいさんとおばあさん。。。
さびしい~~~
。。。。。。。。 です
が、
。。。。。。。。
ま、いいか!
おおっとっっとっと
管理人! 夢のように、立ち直りも早いです。
さすが 日の出前のノー天気な 管理人です!
消えた城を、あれこれ思い煩っても仕方ないす。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
ここで
踏みしめるは、論理の大地ですぞ!
龍樹先生は、感傷にふけるために
ガンダルヴァの城を出したわけではないのです。
これは、ひとえに「空」の論理を説くために他ならない。
「空(くう)」というのは、何か?
これは、「論理」を蒸発させて「空気」のような気体となしたものである。
だから、スプレー式にふきつけられるのだ。
つまり、ここ一番、ブッダの法を知らしめたいとき、
このスプレーを使うとよいのです。
なんで、こんなもんが、龍樹の頃に 売り出されてきたかって?
ううん、それまで、使ってた「無我」のお線香では
効き目がいまいちになったからでしょう。
やさしくソフトなタッチで、「論理」を沁みつけるんですけど
なんか、効かないジャン!って、なんてきたんだわ。
だからね、
龍樹先生、『十二門論』で、悪戦苦闘。
十二章説く中で、最後に、かならずと言っていいほど
次の文句がくるのである。
=================
「有為、無為すら空である。
況や、我においてをや。」
=================
作られたもの(有為)である諸行
作られていないもの(無為)である涅槃
これらは、みな空である。
だから、どうして
我が空でないだろうか。
無我の思想を
受けて
さらに強力バックアップしたのが
空の思想。。。。なんですね。
たぶん、だけど、
『十二門論』も
阿含経典を、ふまえて
作られていると思うけど
まるっきり、まだ、五里霧中で
ゴリゴリ夢中。。。ガンダルヴァの城のようです。
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