つらつら。。
また、また月曜日ですねぇ。。。
ははは、ちょっとバテ気味です。
授業を二講、続けてやると、
完全に脳が酸欠です。
声もでなくなって
のどが干上がります。
なさけないなぁ。。。暑いからだっ!
どうかしら?暑そうに見える?
どっちかっていうと
まだ、さわやかかもしれないけど
なんだか、それでもムシムシする感じですね。
本州は梅雨ですね。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
さて、龍樹!
ここ数日、地味に、『方便心論』『十二門論』を
読んでいます。
授業では、ブッダ論理学を熱くやってるしね。
ほん~っと、お釈迦さんて、すごいよねぇ~~。。。。
毎回、完全に獅子吼(ししく)状態になってしまう。
あらゆる哲学・学問・思想。。。どれも超えています。
そして、それを全部つかんだ龍樹も、すごい!
======================
お釈迦さんは、少しばかりのシンサパー樹の葉をとって、
手にのせて
弟子たちにこう言った。
「比丘たちよ、わたしが手に取っている
この少しばかりのシンサパー樹の葉と、
この上のシンサパー林にあるそれとは
どちらが多いだろうか」
シンサパー林ですと、答えると
「比丘たちよ、それと同じように
わたしが証知して、しかも、
お前たちに説かざるところは多く
説くところは少ないのである」
と、述べます。、
なぜ説かないのかというと
清浄行の役に立たないからだ
と説くのです。
======================
いつも、ここのところで、気になるのですよ。
シンサパー林のごとき
膨大なる証知したことがらとは、
いったい、どんなことがらなんだろう。
ようやく
最近、少し、わかるような気がしてきました。
あるとき、ある場所で、あることが起こる。
そのとき
ブッダは、そのことがらを、四方八方から、
証知してしまう。
だから、もっとも適切に苦を抜くように
選んで、法を説くことができる。
経典は、膨大に証知したことがらのうち
そのとき、そのときで、
一つ二つを
とくに選んで語ったものだ。
しかし、
ここから、また逆に、
わたしたちが智慧を用いるなら
膨大なことがらを導き出すことができるのではないか
という気がする。
龍樹は、誰も気づかなかった論法一切を
経典から導き出した。
経典からは
科学、哲学、倫理、数学、論理、何でもでてくるのではないだろうか。
どうも、そんな気がして
経典をみつめるのです。。。。。。。。。。。。
見つめてないで、読んだら!管理人!
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コメント
思慮ある人は、欲望をもって、
欲望を 戒め縛っている 処 を見つめる
その欲望は、堅固なるものと呼ばれる
- 低く垂れ、緩く見えるけれども、逃れがたい
思慮ある 処 は、
断ち切られ、捨てられる 処 をいう
欲楽 を捨てた 心 の 赴く処を 遍歴する
投稿 春間 則廣 | 2008/07/15 07:47
なるほど。
桜が咲いた
とか、
街中ではこんなことが流行っている
といった日常的なできごとのひとつとして
報告されただけと考えれば、納得がいきますね。
投稿 無宗だ | 2008/07/15 06:45
無宗ださま
> 「オオボケ」をかましているようにしか私は思えません。
なんつーか、もろストレートなご感想です!
無宗ださまのご感想を読んでから、該当個所読んだら。。。わたしも、まるっきり、暗示にかかったみたいです。
「オオボケ」をかましているように見えてきたぞ、どうしよう(笑)。
> 物理的に拘束されている人々のことが、問題なんじゃないの?
これですよね。
ブッダって、意外と、頓着しないときがありますよね。
王様が捕縛するのは当然のことで、支配者がもっている権利であるという感じがします。
たぶん、法(倫理)の元に政治や支配が行われていると、パセーナディ王に対する信頼があってのことではないでしょうか。
比丘たちの言い方にもよると思いますし。。。何か悪いことをした人を捕縛していたのかもしれません。やっぱり、それなりにやむを得ない措置ということなんじゃないかと考えなければ、話があわないですよね。。。ううむ
いやぁ、こういう点をいろいろ知るにはどうしたらいいんでしょうか。ジャータカとか、探りを入れて、ブッダの前世の性格なども参考にするとかしてみるのも、一つの手かな。
無宗ださま、むずかしいよぉ。。。
投稿 管理人エム | 2008/07/13 17:42
ブッダ 神々との対話の
第III篇第1章
第9節 生けにえ
第10節 束縛
とあります。
第9節 生けにえ
に対するブッダの応えは、
的を射ているのですが、
第10節 束縛
に対するブッダの応えは、
「オオボケ」をかましているようにしか私は思えません。
いや、世間のしがらみが、堅固な縛であることに異論はないけど、いま現に、物理的に拘束されている人々のことが、問題なんじゃないの?
投稿 無宗だ | 2008/07/13 16:46