ストレートに!ノー天気に!行こうぜっ。
哲学の講義がはじまって、最初の時間です。
新1年生は、かわゆい!のだ。
なんだか今年は、元気がよく、ストレートだ。
この福寿草のように輝いている。

思索の深い子は、ストレートに深く
思索のない子は、ストレートにない!
学生:ぼくのチャームポイントは、ノー天気です
先生:そうなんですか?
学生:ノー天気だっていわれるんですけど、気にしてないす。
先生: 「ノー天気」ついても、ノー天気なんですね。
学生:そうすっ!!
あはは、筋金入りのノー天気ですねっ!
学生:ぼくのチャームポイントは、素直な心です。
先生:そうなんですか?
学生:そうです!恋もストレートです!
先生:そりゃ、すばらしい。みなさん、恋をするなら、かれに。。。
学生:悩みそ・う・だ・ん、してください!!
あはは、欲のない人だなぁ、ほんとにストレートだ。
一方、
思索の深い子は、ストレートに深い。。。例を!
学生:せんせ、「文章表現力」と「論理力」、ってどうちがうんですか?
先生:う!。。。。。。。うーん。とっさに、でてこないわよ。
たぶん、こうだろうと思うところを一つ。
世の中には、みんなが理解するのに、二つの方向がある。
一つは「説得」の論理。
一つは「納得」の論理。
説得の論理とは?
自分の主張を、論理にしたがって、アピールするのは、説得。
理屈が通っていれば、人々は、多くは納得してくれる。
ところが、現実は
相手のことをまったく考慮せず、説得するとき
反発をくらって、納得してもらえないこともある。
納得の論理とは?
相手にあわせて論理を展開するとき、主張はいわれずとも、納得される。
理屈が通っているので、必然的に結論に到達してしまう。
現実には
人は、そうとは知らずに説得されている。
反発なしの自然な納得。
説得の論理は、一般的には強い印象を与え
「論理力」がある、と見られる。
納得の論理は、自然な共感を呼んで
「(文章)表現力」がある、と見られる。
どちらにも「論理」がある。
自分主体でいくか
他者主体でいくか
そこに、論理の繰り出し方のちがいがあり、言葉のちがいがある。
前者は主に「西洋論理学」で
後者は主に「ブッダ論理学」で学ばれる。
な~らんだ、ならんだ。論理学は二つ並んだ。
ブッダ論理学は、他者主体の論理学。。。
あなたのハートをストレートにゲットする!
ノー天気(無我)なそ・う・だ・ん・役さっ!!
(な、なんとおぉぉ~、決まったんじゃないすか、管理人)
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» プロの論理力!―トップ弁護士に学ぶ、相手を納得させる技術 [ミッション アンド モチベーション]
プロの論理力!―トップ弁護士に学ぶ、相手を納得させる技術
弁護士 荒井祐樹
なんとなく手にした本である。弁護士の論理思考とはいかがなものか?
人生で必要なことがかいてあるのか?
序章:「論理力」はある ビジネスマンに必要不可欠の能力だ
1章:トップ弁護士はどこが違うのか
2章:論理的交渉力を高める七つのおきて
3章:年収3億を実現する「論理的仕事術」
荒井祐樹弁護士いわく常に新たな目標を設定しながら自らのキ... [続きを読む]
受信: 2008/04/14 23:28



コメント
>銃や戦闘機の操作術を武道と呼んでも、あながち間違いではないでしょう。
これを聞きたかったのです。
戦場で人を殺す技をあなたは武道と呼んでいるわけですね。
だとすれば、武道の達人の技が銃や爆撃機に通用するとあなたは考えているのですか?
武道を、戦場で人を殺す技と定義すれば、武道の達人の技は「時代遅れの戦闘術」という評価しかできないと思いますけどね。いまさら刀や槍はないでしょう。
>武道の本質を知るには、実際に達人に会って技を受けてみるのが一番です。
爆撃機やミサイルに対抗して勝てると思いましたか?
銃に対抗して勝てなくても武道には価値があると私は思いますけどね。
>過去・現在の武士や軍人がみみっくさんのように寛大なら、世界は今よりはるかに豊穣でしょうね。
軍隊が何のためにあると思っているのでしょうか。
どんな力も使い手次第です。それが武術でも軍事力でも同じことです。
話を戻すと、武道を「戦場で人を殺す技」と定義するのであれば、別に構いません。
戦闘機のエースパイロットや、銃による狙撃の名手を武道の達人と認めるならば、筋は通っていますからね。
私は抵抗がありますが。
過去の私の発言を引用
>戦闘機のエースパイロットや銃による狙撃の名手を武道の達人と呼ぶのは抵抗があるのですけどね。
まとめると、
武道を「戦場で人を殺す技」と定義して、それに合わせて解釈するのであれば間違いであるとは言えません。柔道や剣道は武道ではなく、戦闘機の操縦術は武道であるという結論になりますが、自覚しているのであれば別に問題はないでしょう。
ただ、世の中には柔術は武道ではなく柔道を武道と考える人もいるということは知っておいた方がいいのではないでしょうか。そうしないと、柔道や剣道のスポーツ化を嘆く人がいるということが理解できなくなってしまいますから。
ちなみに私は、柔術と柔道のどちらを武道と考えるかはどうでもいいことだと考えています。
「人殺しの技だから武道ではない」と「人殺しの技ではないから武道ではない」とで言い争っても仕方がないと思いますのでね。
「人殺しの技ではないから実用的ではない」と主張するならば話は別ですが。
投稿 みみっく | 2008/04/19 15:55
過去・現在の武士や軍人がみみっくさんのように寛大なら、世界は今よりはるかに豊穣でしょうね。
『武』の歴史的意義・役割からすれば、武道の本質は明らかです。
柔術は剣術と本来一体で、現代の柔道はスポーツであることはよく知られた基本的な事実です。
銃や戦闘機の操作術を武道と呼んでも、あながち間違いではないでしょう。
武道の本質を知るには、実際に達人に会って技を受けてみるのが一番です。
フォースがみみっくさんにあらんことを。
投稿 LIGHTWIND | 2008/04/19 06:42
>結論。武器は人を殺すための道具であり、武道とは武器を如何に巧みに扱うかを追求するものである(もちろん拳も武器になります)。
あなたの言う人を殺すための道具には、爆撃機も入るのでしょうか?
爆撃機を巧みに扱うことは武道には含まれないと私は思いますけどね。
それに、相手を投げたり抑えこんだりするのは武道の技ではないことになってしまいますね。
柔道が武道ではないというというのであれば、それはそれで認めてもいいですが、人を殺せない技は武道の技ではないと言うのは無理があると思いますけどね。
受身や見切りなども武道の技でしょう。
> 敵を殺さない限り生き延びられないならば、躊躇なく敵を殺して生き延びるためのもの。武道の存在意義は、第一に殺し合いを制することであって、精神の修養はその先の話です。
「敵を殺さない限り生き延びられない」とは、「相手を無力化するには殺すしかない」という意味になります。
「殺し合いを制する」のに必要なのは、相手を殺すことではなく、相手を無力化することです。
技の失敗が死を意味する状況で、技が致命傷を与えるかどうかにこだわる人がいるとは思えません。
相手を無力化した後にとどめをさせば済むのに、何故致命傷を与えることにこだわる必要があるのでしょう?
>武道はそういう弱肉強食の中で死なないために発展してきたものであって
その通りです。相手を殺すために発達してきたものではありません。相手を無力化すれば殺されなくてすむのです。
「相手を無力化するには殺すしかない」という状況ももちろん存在するでしょう。でも、殺すのは無力化に成功した後で十分です。暗殺者とは事情が違うのです。
暗殺者ならば、一発で致命傷を与えることにこだわる理由があります。武道にはありません。
相手を殺さなければ武道ではないということはありません。でも、相手を無力化できなければ意味がありません。
武道の本質が、「相手を殺す」なのか「相手を無力化する」なのかは明白だと思いますけどね。
投稿 みみっく | 2008/04/19 01:56
みみっくさん
不動智神妙録は読まれましたか。
お読みになれば、武道というものが殺らなきゃ殺られるという状況が珍しくない時代において発達したことがわかります。
私闘が禁じられる現代の在り方のほうが珍しいのであって、動物の世界と同じく、殺される恐れが常にあるのが当たり前というほうが歴史の常態でしょう。
武道はそういう弱肉強食の中で死なないために発展してきたものであって、敵を殺さない限り生き延びられないならば、躊躇なく敵を殺して生き延びるためのもの。武道の存在意義は、第一に殺し合いを制することであって、精神の修養はその先の話です。
もし仮に武道の本質が相手を無力化することであるなら、世界史はもっと優しいはずです。
結論。武器は人を殺すための道具であり、武道とは武器を如何に巧みに扱うかを追求するものである(もちろん拳も武器になります)。
投稿 LIGHTWIND | 2008/04/18 22:31
補足として
ややこしくなりますが、このままだと誤解される危険が高いので、補足説明します。
武道への仏教の影響は、仏陀の生誕前から存在します。
「人を殺す技を追究しようとしてもできない理由」と言えば理解できるかと思うのですが。
投稿 みみっく | 2008/04/18 17:43
>ここまで書いて「仏教の影響を受けている=仏教より新しい」とは必ずしも言えず、みみっくさまのコメントの意味がそこにあったのだと、いま気づきました。
その通りです。
>わたしはみみっくさんに近いイメージを持っていると(勝手に)感じていますが、武道と聞いて、大小を問わず単に闘争の手段と捕らえる人が存外に多いものです。
理解しています。(同意します)
私が言っているのは、「闘争の手段は人殺しを目的にしたものではない」ということです。
つまり、武道を「闘争の手段」と定義したとしても、人殺しの技とは言えないのです。
闘争において重要なのは、相手を無力化することであって殺すことではありません。
相手が自分を殺そうとしていたとしても、自分は相手を殺す必要はないのです。
相手を無力化してしまえば、殺すことはいつでもできます。
相手を蹴るとき、殺すつもりで蹴る人はいるかもしれません。でも、蹴りは相手を殺すための技ではありません。
闘争において「殺意を覚えて殺すつもりで殴る」のは技ではありません。
蹴りを殺す目的で使うことはできても、蹴りが殺す目的の技であるとは言えないのです。
そもそも、武道を人を殺す技だと解釈するから、武道の達人が戦わないことを良しとすることが「逆説」になってしまうのです。
武道の本質を、「敵を無力化すること」と解釈すれば、武道の達人が「戦う必要がない」という境地であるのは当たり前のことです。途中で心境が変わっているわけではないのです。
つまり、人を殺す技を追究した人は、心変わりしない限り達人の境地に達することはありません。
(武道の稽古は人を殺す訓練ではないので、人を殺す技を追究したい人は稽古内容に不満を持つようです。)
>わたしが思った「武道」は、インドの伝統的な武道のことです。歴史は古いのではないかと想像したのですが。。。
「インドの伝統的な武道」が元々は人を殺す技であっても、仏教の影響を受けていることでしょう。
「人を殺す技は存在しない」と私は言いましたが、それは「人を殺す目的で養成された人間」は特有の技を持っているわけではないと考えるからです。
「自分が麻薬を服用する」か「相手に毒を盛る」のが普通です。
「暗殺も闘争の手段だ」と言うのであればその通りですが、大規模な「集団と集団の闘争」の手段を武道に含める人はいないと思うのですけどね。
投稿 みみっく | 2008/04/18 12:50
エムさま
明日があるのに、ぐずぐずと...
> わたしが思った「武道」は、インドの伝統的な武道のことです。
カラリパヤットですね。
古いことは古いようですが、紀元前まで遡れるものかはわかりませんね。
> インド人は、何でもものすごく古いように言う癖がある
これはインド人に限らない気もします。
たとえば、中国武術や仙道では、平気な顔で「中国4000年の云々」なんて話がぽんぽんでてきますし。
むしろ、どなかたフランスの仏教学者が言及していたように、インド人が間軸の正確さに無頓着だからかも知れません。
ちなみに、以前インド人と仕事をしたとき、太極拳をやっているというので、インドの伝統武術はどうしたのだと聞くと、ああ"カララリ"とかいうやつかとうろ覚えの名称で答え、あれは一地方の伝統武術でやっているのはごく少数だといっていました。
更にちなみに、カラリパヤットが少林拳の源流だという伝説もあるそうです。
投稿 つくつく | 2008/04/18 00:51
みみっくさま、つくつくさま
わたしも、忙しくて、次の日記が書けません(笑)。
それに、なんだか、お話にも出遅れて、ついてけなくなってます。
わたしが思った「武道」は、インドの伝統的な武道のことです。歴史は古いのではないかと想像したのですが。。。
でも、文献などが残っていないので、何もわかりません。
それに、インド人は、何でもものすごく古いように言う癖があるので、ちょっと信用できないところもあります。
投稿 管理人エム | 2008/04/18 00:19
みみっくさま
次の日記が上がる前になんとか間に合いました。
と言っても、少しだけで、残念ながら興味深い展開につながるような話題は挙げられませんでした(汗
わたしは少々文脈を読み誤ったようで、お話を混ぜっ返したかも知れません。
武道よりも仏教が古いと読めてしまうお話をあげておられましたが、その話が通じるのは、みみっくさまと近いイメージを武道に対して持っている場合ではないかと思い、その旨を書いたつもりでした。
わたしはみみっくさんに近いイメージを持っていると(勝手に)感じていますが、武道と聞いて、大小を問わず単に闘争の手段と捕らえる人が存外に多いものです。
そう捕らえると、仏教のほうが後ではないかという疑問も浮かんでしまうでしょう。
で、案の定(か意図的かは分かりませんが)、エムさまから「?」のコメントが。
と、ここまで書いて「仏教の影響を受けている=仏教より新しい」とは必ずしも言えず、みみっくさまのコメントの意味がそこにあったのだと、いま気づきました。
超どんくさいです<自分
ちなみに、銃については、映画で"ガンカタ"という一種の武道を発明(?)したものがありましたね。「リベリオン」でしたっけ?
なお、誤解されているとは思いませんが、「構造」と書いたのは、そのような構造もあるだろうという程度の話しであり、それが主流などという位置づけのものではありません。
為念。
投稿 つくつく | 2008/04/17 23:55
>定義というほど明確でなくとも、武道と言われて抱くイメージは人によってかなり違うと思いますよ。
武道を「戦場の技」や「人を殺す技」と思っている人がいても、それはその人のイメージですから別に文句を言おうとは思いません。
でも、エムさんにしてもlightwindさんにしても、戦闘機の操縦や、背後から忍び寄って頚動脈を断つ技まで武道に含めて考えているのでしょうか?
確かに武道の技は素手でも人を殺すだけの威力がありますが、真剣を使えば、達人でなくても人を殺すことができるのです。
武道を、人を殺す技として考えるのは無理があると思いますけどね。
>つまり、気づき(サティ)が要求される、そういう意味で結果的に仏教の修行法に限りなく近づいていくことになる。
「拳禅一如」という言葉もあるように、両方やっている人がいるだけかもしれませんよ。
武道が宗教的な境地に至る必然性があるのかどうかは、人によって意見が違うでしょう。「強さだけが全て」と考える人もいるようですし。(戦場での強さではありませんが)
>◆拳禅一如
http://shorinjichofu.fc2web.com/shorinjitowa/kenzenichinyo.html
> ◆霊肉不二
> 拳は肉体を表し、禅は精神を表す。人間の肉体と精神は別々に切り離すことができない存在であるから、どちらに偏っても真の自己確立は達成し得ない。世に言うところの精神修養は足が腐るほど座禅したり、寒中滝に打たれたりという極端な例が枚挙に暇がない。その一方で各種のスポーツや武道は勝敗主義、記録主義に陥り、特殊な肉体を養成することに専心しているかの如くである。
宗教的な境地に至るのも武道ならば、強さだけを追究するのも武道だと私は思いますけどね。
投稿 みみっく | 2008/04/16 03:28
# 帰宅したばかりでもう寝るので、今日はこちらに少しだけ。
みみっくさま
定義というほど明確でなくとも、武道と言われて抱くイメージは
人によってかなり違うと思いますよ。
「~道」と云うとき、仏教の影響もさることながら神道の影響も
無視できないでしょう。
ただ、こと「剣の道」「拳の道」など、人と正に「今」対峙して
勝敗が決まるようなものは、思考に囚われて「今」を離れれば、
その時点で負けが決まったようなものであり、そうならないため
には「今」を離れない訓練が必要になる。
また、その局面の全てを正確に捉えるには、単なる高度な集中力
では不足である。
つまり、気づき(サティ)が要求される、そういう意味で結果的に
仏教の修行法に限りなく近づいていくことになる。
思うに、そういう構造ではないかと。
それ以外にも、「死」に対する態度の面からの接近もある
かも知れませんね。
ただ、「弓の道」など孤独で距離感のある道の場合は、また別の
構造がありそうです。
投稿 つくつく | 2008/04/16 01:13
>どちらが先ですか?
>戦いの歴史は、仏教の歴史より古いかも。。。文献ではたどれないかもしれませんが。
「戦場の技」を武道と呼ぶのであれば、「軍隊の指揮」も武道に入れるのですか?
究極の武道の達人は、「名将」(戦争を勝利に導く存在)ということになってしまいそうですが。
そもそも、武道を「戦場で役に立つ技」と定義すると、銃や戦闘機も含まれることになってしまいますが、それでいいのですか?
戦闘機のエースパイロットや銃による狙撃の名手を武道の達人と呼ぶのは抵抗があるのですけどね。
柔道のように素手で戦う技は武道に入るのかどうかもかなり疑問です。落馬したときには必要だったらしいですが。
まあ、私のイメージとはかなり違いますね。
投稿 みみっく | 2008/04/15 18:44
みみっくさま
> 武道と仏教とどちらが先にあったのかを忘れているんじゃないですか?
どちらが先ですか?
戦いの歴史は、仏教の歴史より古いかも。。。文献ではたどれないかもしれませんが。
投稿 管理人エム | 2008/04/15 14:23
>> 他者と向かい合うその時は一度きりのものだから、その瞬間に最もふさわしい言葉を選択することがブッダ論理学かな。
>これぞ、対機説法の極意ですか!
>みみっくさまとlghtwindさまの武道談義をうかがって、武道の極意に近いような気がしてきました。
武道と仏教とどちらが先にあったのかを忘れているんじゃないですか?
仏教に影響されていない武道など存在しないですよ。
投稿 みみっく | 2008/04/15 00:05
管理人様
>みみっくさまとlghtwindさまの武道談義をうかがって、武道の極意に近いような気がしてきました。
ブッダの特徴は、過去の苦しみでも、将来の苦しみでもなく、人が現在抱えている苦しみや疑問について、ズバリと答えを出すことでしょうね。
そういえば道場にも投稿がありました。
あえて強く言えば、武道は所詮、自分が生き延びるための手段でしかない。
他者主体のブッダ論理とは、似ているようでまったく似ていない、根本的に異なると感じます。
・・・などと言っても達人に出会ったら借りてきた猫になるんですけど
投稿 lightwind | 2008/04/14 20:19
えび天サンバさま
> センセー、お婿さんがほしいのー、とか言われちゃいそうですね(笑)。。
き、君はほんとに幼稚園児か!?。。みたいな答えですねぇ(笑)。
せんせは、お婿さんより、どこでもドアがほしいなぁ。。。朝から、急げぇ
。。だったもんっ
投稿 管理人エム | 2008/04/14 19:50
エム先生
幼稚園児ですから、「清らか」って言っても分からないかもしれませんね。センセー、お婿さんがほしいのー、とか言われちゃいそうですね(笑)。。
投稿 えび天サンバ | 2008/04/14 00:16
lightwindさま
> 他者と向かい合うその時は一度きりのものだから、その瞬間に最もふさわしい言葉を選択することがブッダ論理学かな。
これぞ、対機説法の極意ですか!
みみっくさまとlghtwindさまの武道談義をうかがって、武道の極意に近いような気がしてきました。
えび天サンバさま
「せんせ、無理でしょ」なんて、まさか言われないですよね、幼稚園児なんですものね。。。ラーメンおいしそ。。
つくつくさま
そういえば、チャームポイント、自分で申告するのって、かなしいもんがありますね。
しかし、教師が、アピールポイント自分で言うのも、やっぱりかなしいなぁ。
アピールポイントは、こういう人間にならないようにという見本をすぐ示せるのが、教師としての誇りです、あ、埃でした。。。ってのも。。
投稿 管理人エム | 2008/04/13 23:17
「他者主体」と一口にいっても、ペーパードライバーからF1ドライバーのレベルまで、様々なレベルがあるでしょうね。
他者と向かい合うその時は一度きりのものだから、その瞬間に最もふさわしい言葉を選択することがブッダ論理学かな。
他者と心を通わすために、逃げる心をその場にとどめることが今の課題です。
※HN変えました。
投稿 s改めlightwind | 2008/04/13 20:44
大きくなったら何になりたいの?と幼稚園児に聞かれたときには、「清らかになりたい」と、ちょっと仏教徒っぽく答えてみましょう。
投稿 えび天サンバ | 2008/04/13 20:34
> それに、なんとかも花の賑わいって。。。あの、あのう。。さびしい(笑)。
むふっ。
ですから「なんとかも」としたのです。ここにはお好きなものをなんなりと。
> 「じゃ、せんせのチャームポイントなんですか?」
(笑)これって、設問が間違ってますよね。
チャームポイントは本人がなんと言おうと、本人が決められるもんじゃないでしょう。
本人に訊くのなら、「アピールポイント」ですか。
でも、アピールポイントってなんだか就職の面接試験みたい。
投稿 つくつく | 2008/04/13 16:27
つくつくさま
> ばっちし決まってしまうと、コメントが延びないっすよお。
も、申しわけございません(笑)。しかし、そんな~~。
それに、なんとかも花の賑わいって。。。あの、あのう。。さびしい(笑)。
じつは、みんなにチャームポイント聞いてまわったら、学生さんが最後に一言。
「じゃ、せんせのチャームポイントなんですか?」
「え?。。。。。。。」
汗が噴き出すわ。せんせにチャームポイントなんてもん、あったっけ?存在自体が、汚点です。。。なんちゃって。
幼稚園児に「大きくなったら何になりたいの」って聞いてて、逆に「先生は大きくなったら何になりたいの」と聞き返されるのと、おんなじだ!
投稿 管理人エム | 2008/04/13 13:06
ばっちし決まってしまうと、コメントが延びないっすよお。
...延びればいいってもんではないでしょうが、なんとかも花の賑わいっていいますし。
> 偶然、思いついたものを書いていったら、こうなりました。。。
(余計な(?))「計らい」が無く書けたっていうことでしょうね。
...凡人がそれをやると穴だらけになりますが(汗
投稿 つくつく | 2008/04/13 12:47
えび天サンバさま
ご賛同、ありがたき幸せにござりますう
偶然、思いついたものを書いていったら、こうなりました。。。こう言うのを、こいつぁ、春から縁起がいいわい。。っつうんでしょうか(笑)。
投稿 管理人エム | 2008/04/13 09:57
異議なし!ばっちり決まりです、管理人(笑)。。
投稿 えび天サンバ | 2008/04/13 09:01