ちがいがわかる男の。。。
毎日書きたい日記です。
しかし、
なかなか書けない日記です。

この山に沈む夕日のように
明るく輝くのは
真実の光なのだけど
それが、そのぉ~、あんまり光らないんだなぁ。。
わたしには、明白なことが
他の人には、そうでもないことがある。
わたしには、他の人がまちがっているように見えるけど
他の人から見れば、わたしがまちがっているように見えるわけです。
こうなると
どっちが正しいのか
永遠にわからない。
このままでは
永遠に平行線をたどるのです。
う~~む、問題だが。。。。仕方ない。
おい!あきらめが早くないですか。
あきらめが早いけど、いいのだ。
もがいても、論の上の対立は
合致を見ることがないからなのです。
まずは、対立すること、これも大事だって思うんですよん。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
龍樹は、『中論』や『廻諍論』や『十二門論』を著した。
『方便心論』は、それらの論の基礎作りのためだった。
どうしてそんなことをしたんでしょうか。
とにかく、論理を通せば、
ちがうものをはっきりさせることができるからでしょう。
これは、対話によって相互理解の道を探る、という
かわいいもんじゃなくて
ちがってるもんは、ちがってるもんだぜ!
俺は俺の一本道がある。
あんたはあんたの一本道があるなら
それを示せ!
という、区別をつけるやり方だったと思う。
俺の一本道が気に入ったら
来てくれよ。
気に入らなかったら?
ま、それはそれとして
あんたの道を行ってくれ、
あんたの道は、ちがうものとして尊重するぜ。
あんたも俺も、同じ人間だ、話せばわかる
な~んて、甘いことは言わないぜ!
それぞれ道があるなら
それぞれ筋を通そうじゃないか
それが、男ってもんだろうが。。ふがっ!
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
って、こんな感じかな。
龍樹ぅ。。。
やっぱり、龍樹が出てくると、こうなっちゃう。
論を立てると、どうしても相違を浮き彫りにする方に向かうわね。
でも、なんと言われようと
龍樹のとったやり方は、必要なことだったと思うわね。
だって、「話せばわかる」は、考えようによっては
ウソだもの。
話せば、ちがいははっきりする。
話せば、どんどんちがいがはっきりする。
話せば、わかれるもんは分かれていく。
そんなことはないよ。
話せば、お互い了解できることもあるよ。
うーん、ちょっと甘いかな。。。だってね
分かり合えるとき
話はもう止んでいるんだよ。
話が下火になってくるとき
相手のことを考えはじめる。
相手の意見をかみしめはじめる。
言葉は減っていく。
相手の理を自分で追ってみる。
言葉はさらに減っていく。
自分とのちがいを比べはじめる。
どちらがいいのだろう。。正直言って。
素直になると、問題がクリアに見えてくる。
意地張っちゃったけど、
ほんとは、
自分より相手の方がいい意見だった。。。てへっ!
====================
アチェーラ・カッサパは
ブッダの後を追って村に入った。
追いすがって、たずねた。
今は質問するときではない。
もう村に入った。
と、ブッダは言ったけど
アチェーラは、ひるまず質問を止めなかった。
すぐ終わりますから。
ちょっとだけです。
こう、アチェーラは言った。
三度、この押し問答が続いた。
かれは、もうすぐ答えに到達するところだった。
ブッダは、かれが質問することを承諾した。
「ゴータマよ、自ら作るものが、苦なのでしょうか」
「カッサパよ、そうではない」
「ゴータマよ、他が作るものが苦なのでしょうか」
「カッサパよ、そうではない」
………
長い問答の末に、カッサパは、こういった。
「尊師よ、どうぞ、わたしに苦を説いてください」
======================
★話せば、わかってくるのは、相手とのちがいである。★
☆話を止めて聞くときに、相手を理解しはじめる。☆
★の部分があって、その後、☆の部分が来る。
龍樹が、行ったことはぜったい必要だったと思う。
黒い★がなければ、次の白い☆に行けないから。
龍樹において目立つのは、黒い★
ブッダにおいて目立つのは、白い☆
でも、両者は、黒い★と白い☆の両方をもっていたと思う。
龍樹の時代には、
ちがいもわからないほど、
ごっちゃだったんだろうね。
そもそも、ちがいがわからなければ、
どっちがいいかも、わからんもんね。
だからね、議論をバカにしてはいけないし、
おそれてもいけない。
紛糾するだけ紛糾してもかまわない。
議論に疲れたときに
ちがいが露わになって
思索が生まれる。
そうして、
はじめて、ちがいを乗りこえる道が模索される。
黒い★のあとに白い☆だからね。順序があるんだ。
ブッダにたずねたアチェーラは、黒い★を乗りこえて
白い☆にたどり着いたところだったんだね。
あと、もう少しで、ブッダの法をゲットするところだ。
一方
はなばなしく黒い★の火花を散らした龍樹と他学派。。。
しかし、成果はすぐにやってきた。
白い☆のおかげで、大乗仏教は隆盛を極めた。
また、
龍樹の後、インドの哲学は、整然とした理論の構築に向かった。
思想を整理し、自分たちの主張を整え、論理を備えた。
龍樹ぅ、君は、ちがいのわかる男だ!
すばらしい。。。
で、コーヒー飲む?
ちがいのわかる男のゴールドブレンドだけど。。。なはっ!
(古いっ、管理人!)
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コメント
みみっくさま
> 「自分は深い経験と思索を元に言っているのだ」というやつですね。私も言うことがあるので(笑)否定できません。
これを具体的に示すことができれば、いいわけですよね。
「深い経験と思索」
やっぱり、ものをいうのは論理かなぁ。。。でも、これ、具体的に示しにくいんですよね。何せ形式ですから。
投稿 管理人エム | 2008/04/08 08:49
つくつくさま
> これに類したジョーク(?)なら、落語にあったような気がします。
落語!大いにありそうですね。
わたしは、一生懸命、論理パラドックスの本をひっくりかえして、さがしていたんです。
さがすところを間違えたかも。。
投稿 管理人エム | 2008/04/08 08:47
>> 私:「あなたと同じ意見です」
>> 相手:「その意見は間違っている」
>これだけ見ると、ジョークですけど、現実にこうなるとやっかいですね。
ここまでいく人はさすがに珍しいですが、何を言っても「自分が正しいという結論」に到達する人が多いのですよね。
あまりにもその傾向が強い人には根拠があって言っているのか疑問なので試したりするのですが、「相手と同じ意見を言っても間違っているという返答が返ってくる」程度では、相手に何らかの根拠があって言っているという可能性を否定できません。
「自分は深い経験と思索を元に言っているのだ」というやつですね。私も言うことがあるので(笑)否定できません。
ネットでのやりとりで現実に多いのは、
「私があなたと違う意見だと言いたいのであれば私の投稿を引用してあなたの意見と並べて下さい」
に対して返答が返ってこなくなるというものです。(これに対して引用してきた相手が一人だけいました。自分の意見を並べることはさすがにできなかったようですが)
まあ、「信念は事実を超える」ということですね。
投稿 みみっく | 2008/04/08 03:53
エムさま
あぁ~、次の日記があがったので、こっちは流れてしまいそうですが、
> このたぐいの話、どこかにありましたね。
これに類したジョーク(?)なら、落語にあったような気がします。
"はっつあん、熊さん"系の噺で。
投稿 つくつく | 2008/04/07 23:45
みみっくさま
> 意見が食い違っていれば、誰でもそう思いますよ(笑)。
まったく、ごもっともすぎる意見です(笑)。
> 「意見が同じだと私が言っているのに、相手は意見が違うと確信している理由」について言っているのですから、違っていることを前提にされても困ります。
> 私:「あなたと同じ意見です」
> 相手:「その意見は間違っている」
これだけ見ると、ジョークですけど、現実にこうなるとやっかいですね。
このたぐいの話、どこかにありましたね。
もう、ずっと何時間も前から思い出そうとしているけど、思い出せない。。。。。。ああ、ダメだわ、仕方ない、あきらめて書き込もう。
投稿 管理人エム | 2008/04/07 00:37
>> 相手から批判されたとき、相手と自分は同じ意見だと感じることが私は多いのですよ。
>> 違うか同じかで言い合いになるという(笑)。
>それ、わたしのときも、ありませんでしたっけ。
エムさんとのやりとりでは比較的少ないですけどね。エムさんとでも、議論が核心に近づくと起きますね。
>> 「相手が自分と違うことを言うのはあの勘違いを相手がしているからだろう」と勝手に納得してしまうのではないかと私は疑っています。
>いや、それはちがいますね。
> わたしの場合は、「みみっくさま、それ、変!ちゃう、ちゃう、おお、NO!」と思っているからです(笑)。憶測じゃなくて見えてるもので判断するんですよ。
意見が食い違っていれば、誰でもそう思いますよ(笑)。
「意見が同じだと私が言っているのに、相手は意見が違うと確信している理由」について言っているのですから、違っていることを前提にされても困ります。
私:「あなたと同じ意見です」
相手:「その意見は間違っている」
それはつまり相手の意見が間違っているんじゃないのか?
ということです。(バカな話ですけど実際によくあるんですよ)
投稿 みみっく | 2008/04/06 20:26
みみっくさま
> 相手から批判されたとき、相手と自分は同じ意見だと感じることが私は多いのですよ。
> 違うか同じかで言い合いになるという(笑)。
それ、わたしのときも、ありませんでしたっけ。
> 「相手が自分と違うことを言うのはあの勘違いを相手がしているからだろう」と勝手に納得してしまうのではないかと私は疑っています。
いや、それはちがいますね。
わたしの場合は、「みみっくさま、それ、変!ちゃう、ちゃう、おお、NO!」と思っているからです(笑)。憶測じゃなくて見えてるもので判断するんですよ。
> 「自分の経験の範囲で解釈してしまう」ということですね。
経験を超えては考えられないですからね。
> 会話だと、自分の記憶に自信があっても相手が覚えている保証がありませんから、あまり細かいことには突っ込めません。
会話は、「印象」として残っていきますね。
でも、ほんとうに大事なことは、けっして忘れることはないと思いますが。
投稿 管理人エム | 2008/04/06 13:27
>すくなくとも、どちらか一方は、そういう判断をするかもしれませんね。
> ぜんぜん知らずに話してて、意見が食い違っていることに気がついた、という例もあるかも。どうでしょうね。
相手から批判されたとき、相手と自分は同じ意見だと感じることが私は多いのですよ。
違うか同じかで言い合いになるという(笑)。
意見が同じならば異論はないはずだと思うのですが、何故かそうはなりません。「どちらが先に言ったか」を問題にするならば話はわかるのですがね。
「相手が自分と違うことを言うのはあの勘違いを相手がしているからだろう」と勝手に納得してしまうのではないかと私は疑っています。「自分の経験の範囲で解釈してしまう」ということですね。
人間の記憶そのものが新しい情報を元に再構成されている部分がありますから、「最初から知っていた」と解釈してつじつまを合わせてしまうことがあります。会話だと自分の記憶自体が自分の都合の良いように変わっている可能性を否定できないので、掲示板は重宝していますけどね。掲示板だと前の(自分の)投稿がそのまま残っていますから。(ネットというより文章の効果ですけどね)
ネット(文章)では細かいところまでチェックできてしまうのでもめやすいということもあると思いますけどね。会話だと、自分の記憶に自信があっても相手が覚えている保証がありませんから、あまり細かいことには突っ込めません。
文章だと違いがはっきりわかり、会話だと相手に意図が伝わりやすい(同調しやすい)ということだと私は思うのですけどね。
投稿 みみっく | 2008/04/06 05:42
つくつくさま
いいですねぇ。。。「男は黙って」かぁ。。。ああ、ビールの宣伝じゃなきゃピッタリなのに、惜しい!
ぐいっ!
投稿 管理人エム | 2008/04/05 08:39
みみっくさま
すくなくとも、どちらか一方は、そういう判断をするかもしれませんね。
ぜんぜん知らずに話してて、意見が食い違っていることに気がついた、という例もあるかも。どうでしょうね。
投稿 管理人エム | 2008/04/05 08:35
龍樹が「ちがいのわかる男」なら、
ブッダはさしずめ「男は黙って」ですかね...違うか(汗
投稿 つくつく | 2008/04/05 01:44
同じか違うか判断しない人とは議論にならないと思いますけどね。
投稿 みみっく | 2008/04/05 01:03