ブッダが語ったわたしによって語られない法
いつもよりずっと雪が少なかったのに
一気に降って
けっきょく例年通り。
ま、そんなもんです、世の中。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
さて、本日、朝カルで
『箭喩経(せんゆきょう)』を、じっくりお話ししてきました。
どうなることかと思いましたが
なんとお
ぴったり1時間半
しゃべりまくって
うまく、全部終えることができました。
こんなにきれいに
ぴたっと
話が決まったのは
はじめてだ。
いつも、全部話が終わらないんです。
ちょっと少なめに見積もったのがよかったのかな。
いわゆる 十難無記 という十の形而上学説も
けっこうしっかり説明できたし、
論争好きの若いマールンキヤプッタが
ブッダとの問答の中で
ブッダの貫禄ある語りに
圧倒されてくの様子も
浮き彫りになった。
毒矢の喩えも
じっくりと検討できたし
ブッダ論理学の
語りの語順の話も
展開できた。
いっつも、こうだといいな。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
仏教は、ええですな。。。
なんか、最近、何を言っても
仏教思想になってきちゃった。
こういうこと言っていいのかどうかわからないけど
あらゆる哲学の中で
わたしのわかるものは
ブッダと龍樹だけだ。
この二人のことなら
自分は
「わかる」
といっても
嘘つきにならない、と思う。
ブッダと龍樹の言うことは
シンプルなのだ。
だから、わたしが、わかるのです。
二人を理解するコツは
================
Ⅱ 言ってることしか言ってない Ⅱ
================
ということに、気づくことのような気がする。
ただ、言ってることだけを言っていて
中身、それしかない。
だからこそ、いろんなところに応用できるんじゃないだろうか。
ブッダがマールンキヤに言った言葉:
「それだから、マールンクヤプッタよ、
わたしによって語られなかったことは、
語られなかったものと憶持しなさい。
そして、
語られたものは、語られたものと憶持しなさい」
語られない教えである十難無記の説も
語られないものとして、覚えておくんだよ。
これが、ブッダが語った
「わたしによって語られない法」
という教えなのです。
言ったことは言っただけのこと。
おもしろいヤツだよ、お釈迦さん、ってさ。
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コメント
>画像です。
>少し、これで和みます
ネッ !
自分でも感じるでしょッ !
いっぺんに、全部が和らぐのです
菩薩だけに届く言葉があります
(貴方は、聞こえるはずです)
(貴方 って、彼方の「人の」ことですよ ! )
(聞くことと、届くことは、同じだろうか、、、)
投稿 春間 則廣 | 2008/02/03 10:17
> 相手が「持っていない」と言っているのに、
> 「持っているはずだ」といったりする人。
> 実際に持っているのに、「持っていない」という人。
> そんな人の存在する世の中。
じっさい、そんな人「ばかり」。。と、つい言いたくなるそんな世の中。
そういうところにいるのが、苦しみなんですよね。
そうとわかれば、解決もできるかもしれません。。。むずかしいけど。
投稿 管理人エム | 2008/01/27 15:43
そうですね。
相手が「持っていない」と言っているのに、「持っているはずだ」といったりする人。
実際に持っているのに、「持っていない」という人。
そんな人の存在する世の中。
人の言うことが、そのまま、信じれない。
終いには、自分の言うことすら信じれない。
そんな人生。
涅槃からはかけ離れていますね。
投稿 無宗だ | 2008/01/27 06:58