昨日は、まずいことに、朝から
「口」が龍樹になっちまって、
シニカルな一日だった。
夜になるまで、日記は待とう。
少し「口」も、おさまって
おだやかになってるかも。。。
って、思ったけど、
夕ご飯に食べた
京都伏見の
青唐辛子のせいなの(?)
(ほんとは、辛くない、おいしい)
「口」が、チョー辛口。。。
で、日記は、やめよ、って思ったのよ。
読んでたものが
『十二門論』と『廻諍論』
これのせいかな。。
@@@@@@@@@@@@@@@@@
『十二門論』については
もう完全に龍樹作と、信ずるにいたる。
羅什訳は、論法に弱いうらみがある。
どうも、訳が、論理的には、甘い。
『大智度論』でも、ミスを一つ見つけた。
原典なしでも、「あ、これミス」とわかる。
論理学上の問題をとらえきれてないかな、と思ったりする。
そんなわけだから
『十二門論』は、ちょっと読むと
論法の要素があまり入っていないようだけど
相当ややこしく難しい問題をあつかっている。
『方便心論』『廻諍論』あたりもおさえないと
わからないかも。
『中論』だけでは、おさえきれない。
そもそも、大乗の「空義(=空性)」を明らかにするためだから、
難しくなるのは、仕方ない。
「大部分の深い意義は、いわゆる空である。
もしよくこの義に通達すれば、大乗に通達する。
六波羅蜜(智慧の完成)を具えて、障害がない。
このゆえに、わたしは、今ただ空を解釈するのである。
空を解釈するに、まさに十二の門によって、
空性(空義)に入るべきである。」
(『十二門論』冒頭)
つまり、大乗の「空」を明らかにする書です。
こんな書き方でわかるように、
「大乗」の空
を説こうとしています。
主に般若経典に見られる「空」ですね。
大乗仏教が、とくに注目してきた「空」の特徴を
とらえて話そうとしているのです。
で、内容は?というと、
『方便心論』『中論』『廻諍論』の議論を
引っぱってきて、「これでもかぁ」と
「空」の証明に費やしています。
大乗の「空」を
なぜ、龍樹の論証で
証明するんですか?
なぜ大乗の般若経典のような書き方を
しないんでしょうか?
『廻諍論』の議論を用い、
それに
『方便心論』の用語をあてて
独自に説明しています。
その説明の仕方は
この「大乗の空義を明らかにする」
という目的にそって
『方便心論』から
わざわざ、そのための用語を
ぬいているのです。
『方便心論』を熟知しないと
これはできません。
また、内容的に
「空性」を確立するという目的は
そのまま『廻諍論』の目的です。
つまり、論理の極致なのです。
『廻諍論』を熟知しないと
これはできません。
また、空の理解には
『中論』の思考や言語の使い方が
欠かせません。
『中論』を書いた人でないと
これはできません。
以上によって、
『十二門論』は、龍樹作となります。
『中論』に註釈した、謎の梵志(バラモン)、青目を
作者であるとする人もいますが※
それは無理だと思います。
※ごめんなさい。青目という意見は、なかったかもしれない。
他の著作の作者問題とごっちゃになってます。
とにかく青目ではない、と言いたいと理解してください。
(2007.07.23)
青目は、「空性」に通じていません。
ニヤーヤ学派の論法などには通じています。
かなりの人ですが、最後の決めて「空性」を
あつかえないと、注釈者どまりです。
まえに、Oさまに教えていただいた
チベット文献の目録にある『十二門論』の名前
これから、何かでないかなと思ったりもするけど
今のところ、アイディアがないわ。。。念念
ああ、
まだ「口」が、龍樹だ。。。
けっきょく、書いちゃったし。
@@@@@@@@@@@@@@@@@
スマナサーラ長老さまの
「パパンチャを破る-禅の物語『無門関』にちなんで」の
目次を見て、興奮する。
(中身は、まだ拝聴してないけど)
http://gotami.txt-nifty.com/journal/2007/07/dhamma_270f.html
こう言うのを
キターーッ、って言うのかな。
龍樹ですね。
仏教は生きている。
部派は発展する。
スマナサーラ長老さま、がんばって!
それから
大乗仏教も、がんばってよ、ほんとに!
最初に龍樹をつかんだのは、大乗だったのに。
最近のコメント