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2007年7月15日 - 2007年7月21日

2007/07/20

龍樹の「目」

さて、さて、自然観察者、龍樹の目で
世の中を見ておりました管理人でございます。

龍樹ほど、自然観察にすぐれた人も
いない。。。ような気が、勝手に する。

こんにちは。
「目」だけ、龍樹のつもりで、
昨日は過ごしてみました。

恵み野のJR駅で
電車を待ちながら
空を見上げました。

恵み野は、とてもきれいなところです。
周囲には、田園が広がり、
個人の住宅は、ガーデニングが
さかんで、
どの庭にも花々が咲き乱れています。
ガーデニングの町なのです。

でも、今回、庭は関係なくて
見上げたのは、空。

で、

あれ?不思議な空だ!

大海に浮かぶ島のように
ふわふわした綿飴みたいな雲が
ぽこぽこたくさん空に浮かんでいます。

どこまでも広い大地に
はるかとおくの山まで
見渡せる。
空一面にぽこぽこでっかいわたあめ。

それが、右から左にかなりの速さで
流れていく。

どこがふしぎ?
ぜんぜん不思議じゃないじゃん。

これだけなら、不思議じゃない。

さらに、わたあめの雲の上
はるか上空
秋の空に見られるような筋雲が
青空にハケではいたようにある。

筋雲だけでなく、鰯雲のようなのもある。

ほお、ちょっと不思議!

さらに、よお~く見ると
鰯雲と筋雲は
わたあめと反対の
左から右へと
流れているのです。

おお、不思議だ!

はるか遠くなので
よくわかりませんが
たしかに動いている。

空の低いところと高いところでは
風の向きが逆なのだ。

「目」が、龍樹になると
自然もそれにあわせて
ふつうじゃないみたいだ。

ラッキーだ!

しかし、
「目」が龍樹だと、楽しいけど
「口」が龍樹、ってのは

やめた方がいいような。。。。。

そんな気がするにゃぁ。。。


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2007/07/18

龍樹はどんな人?

そろそろ前期の授業も終わりに来て
もう少しがんばればぶじ終わりそう。。。かな。

ヤレヤレです。

龍樹本も、第1章・第2章で、ブッダ論理学を
完成しました。

こっちもヤレヤレ、すごくホッとしました。

この龍樹本で、ブッダの法を守るんだ!
『方便心論』のように、
荊棘の林になれたら、ええなぁ~!

これは、わたしの夢ね。

この龍樹本を書いたら、
もう少し、『方便心論』を見直して

楽しい 龍樹 を
書いてみたいような気がしてきました。

難解な論法をふりかざす龍樹ではなくて
どことなく、まじめなのに笑える龍樹って

そんな龍樹もほしいなぁ。。。

ブッダ一筋だし
けっこう一途でかわいいんだけど
あんまりそんな龍樹って、
描かれたことないよね。

ほんとは、ほんとは、どんな人物だったんだろね。。。

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2007/07/17

生死 即 涅槃。。。そうかい?

龍樹本は、第一章と第二章を終わって
ホッとするまもなく
第三章に入りました。

八不中道は、むずかしかったす。
前に「涅槃」で発狂しそうになりましたが、
やっぱりイマイチわかってなかったことが
わかりました。

「生死」は「涅槃」である、って聞いて、

ああ、そうなの、そうね、ほんと
涅槃と生死、変わんないわね

って、
なかなか言えないよね。
いやぁ、今回ようやく
そう言えるようになりました。

うれしい!

なぜ、言えないかというと
わたしたちは、どうしても
生死に こだわってしまうからです。

死んだらヤダ、とか、もっと生きたい、とか
死ぬのと生きるのはぜんぜんちがう

思っているのです。

あらゆる執着を滅したら
生死も超えられるんだ
(つまり、どうでもよくなる、おい)

頭ではわかるのですが
心の底から、細胞の核から
それを納得できないのです。

「涅槃」は、
わたしたち凡夫には「死後」と言い換えられます。

死後の世界はあるのだろうか
死後の世界はないのだろうか

このように悩むとき、「生死」ということに
ひっかかって、そこから離れられていないのです。

生きてる今、「生死」にこだわらないのは
どのような人でしょうか?

「無我」を知った人です。
骨身に染みて、「むが~っ」って
知っている人は、

あっさり、こういうのです。

「涅槃も無我だろ、おんなじじゃん」

言い方が、管理人みたいだ、ですって。
いいのよ、口では悟った管理人なんだから。

口では悟った?
何?これ?

ま、論理で悟ると、
なんとなく口先三寸(くちさきさんずん)ふうな
仕上がりになるんだわん。

「中道」の論理を知ると

口先涅槃

ここに到達できる!!
すばらしい!

ほんとの涅槃まで

あと一歩
後は寿命の尽きるのを待つだけ。。。。ははは。

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2007/07/15

あると信じていたものは、かならず壊れるときがある。
あると思っていたものは、かならず無くなっていく。

あると思ったものが、その中にないとき、
あると思ったものについて、「そのもの」は「空」である、という。

「そのもの」は、あると思ったものについて「空」なのです。

「そのもの」の中に、他のものがまだのこっているとき、
のこっているものについては、「空」ではありません。

 あると思ったものがなくなるのは、常のこと。
 中に何かのこっているのを見つけることも、よくあること。
 空っぽになっても、中に何かを満たすのも、発想の転換。

「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、
世界を空なりと観ぜよ」(『スッタニパータ』1119)

ブッダは「虚無」を説きません。「空」を説くのです。

身体と心の断滅(つまり、虚無)をとく賢者もいますが、
ブッダは、「これらの偏見にはこだわりがある」と知って
それを説きません。(『スッタニパータ』876、877)

そうではなく「涅槃」をとき「不死」を説くのです。

だから、さっきの「空なりと観ぜよ」に続いて
こういうのです。

「そうすれば死を乗り超えることができるであろう。
このように世界を観ずる人を、<死の王>は
見ることがない」(『スッタニパータ』1119)

「空っぽ」でも「真空」でも、だいじょうぶ。
「何も無い」のではないのです。

> 落ち込んで、かがみこめば、後には、満たして伸び上がるから 欲 なのです
(マジカル広場、[520]、春間さま、より)

これ、いいかも!
「空」の吸い込みも期待大です。

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