いろいろいろいろ
ディスプレイを変えました。
画面がでっかくなって、光輝いてます。
今まで800×600というサイズで、
ブラウン管のディスプレイだったので
インターネットの画面が
すぐはみ出してしまっていました。
ワープロ機能さえ使えればいいや、
という方針でしたが
いくらなんでもひどいかなと
変えてみました。
こんどは、
インターネット画面が大きすぎて
わたしの目から、はみ出しちゃうな(笑)。
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哲学が好きという学生さんと
おしゃべりしながら
駅まで一緒に帰る。
あまりつき合いがよくないので、
家族や友達に
「周りにあわせろ」とか
「頭がかたい」とか
言われます。
でも、ちがう。
ボクの方が、頭は柔らかいんです。
と、その学生さんは言いました。
そうなんだよね。
哲学している人は、
ほんとは頭がやわらかい。
言ってること、よくわかるよ。
ほんとうは、いろんな人の考えに
ついていける。
がんばれ!負けるな!デンケンしてください!
友達づきあいを強制されるのが
イヤなんです。
みんなの中に入って
自分も同じ考えにさせられるのが
それが、怖い
とも、言いました。
ぼく「は」、哲学がいちばん楽しいです
といって、かれは去っていきました。
(ああ、「は」を強調しなくていいからさ、(笑))
よおし。哲学の授業に意味を見出した
せんせ だったあ!
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龍樹本で、ちょっと書き足そうとして
ピタッと止まっています。
やっぱり、「涅槃」のところです。
九割、わかってると思う。。。。って、思う。
でも、どこかで、何かが、ひっかかる。
なんだろ、なんだろ????
大乗仏教は、突然生まれたものではない。
仏教において、
偶然とか
突然とか
いきなりとか
なんとなくとか
そういうことはありえない。
みずからの説く「因果」
これにもとづいて起こってくる。
大乗は、生まれるべき時機をのがさず
他に縁って
起こってきたのである。
ブッダに帰依した人々の力
と
ブッダの法
と
ブッダ(如来)
により
これだけの膨大な経典が
生まれてきたのである。
『中論』も同じように考えていいだろうか?
龍樹の力
と
ブッダの法
と
ブッダ(如来)(?)
によって
生まれただろうか?
さいごの「ブッダ(如来)」というのが
他の大乗の経典類とは
微妙にちがうような
いや
同じような。。。
そういう意味では
密教の経典に
近いだろうか?
どうなの?どうなの?
うううん、悩む。。。
みんながだ~いすきなお釈迦さま
久遠実成の釈迦牟尼仏
犀のごとく一人歩む沙門ゴータマ
読み方にもよるのかしら。
『中論』で説かれるブッダは、
三つの要素が入っている。。みたいだ。
もう少し悩んでみますか。。。
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