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2007年5月13日 - 2007年5月19日

2007/05/18

『リグ・ヴェーダ』を読むのです。

しばらく
ヴェーダとウパニシャッドを
読んでますが
なかなかすごいもんですね。

もし仏教が生まれなかったら
その深遠な思想は今でも現役だろうと思われます。

深遠なる『リグ』の最高峰、宇宙開闢の歌をどうぞ!

■『リグ・ヴェーダ』10・129 宇宙開闢讃歌■

そのとき、無もなく、有もなかった。
空界もその上の天もなかった。
何ものが活動したのか。
どこで、誰の庇護のもとに? 
深くてはかりしれぬ水(原水)は存在したのか?

そのとき、死もなく、不死もなかった。
夜と昼の標識もなかった。
かの唯一者は、自力により風なく呼吸していた。
これより他に何ものも存在しなかった。
太初において、暗黒は暗黒に覆われていた。
この一切は光明なき水波であった。
空虚に覆われて顕れつつあったかの唯一者は、
熱(タパス)の力によって出生した。
最初に意欲(カーマ)がかの唯一者に現れた。
これは意(思考)の第一の種子であった。
聖賢たちは熟慮して、有の縁者を無に見出した。

聖賢のひもは横に張られた。
下方はあったか。上方はあったか。
はらませるもの(男性的な力)があった。
展開する力(女性的な力)があった。
本来ある力(女性の力)は下に。
衝動力(男性の力)は上に。

誰が正しく知る者であるか。
誰がここに宣言しうる者であるか。
この創造はどこから生じ、どこから来たのか。
神々は、この創造より後である。
さすれば、創造がどこから起こったか知るものは誰か。
この創造はどこから起こったのか。
誰が創造したのか。あるいはしなかったのか。
最高天にあってこの世界を監視する者のみがこれをよく知っている。
あるいは彼もまたこれを知らない。

#############
一つ一つの言葉を確かめながら
読んでいくと
インドの思想発展の道筋が
見えてくるような気がします。

無もなく有もないところからはじまるのは
もっともだと思いますし
唯一なものが、自力で呼吸しているのも
もっともじゃ。
タパスでみずから出生するのも
ありうるか。。
そこから、意欲が生まれて思考が生まれ
相対が生じて、男女になっていく。。。

瞑想・苦行のなかから、この詩は生まれてきたのかな。

『リグ・ヴェーダ』の時代(紀元前1200年ころ)から、

インドは、現代をはるかに超える
眼には見えない精神の世界をもっていたんだなぁ

って、思ってため息が出るのです。

ストレス社会や暴力社会の中にいる
わたしたちの貧しい心にも
満ちてくるものがあるかな。

だから、読んでみるのです。。。

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2007/05/17

言われてやるのが管理人流

忙しいのに慣れてきて
やれやれ、調子がつかめそう
なんて思ってたら

がーん!もっと忙しくなることがわかる

勘弁してよ、って思うけど
問答無用で来るんだろうな。

完全に 悟ります 管理人!
有無をいわさず、

無我の境地 で行くぞ

これまでも、なんとか生きてこれたのは
じつは、何を隠そう
ブッダさまさまのおかげなのです。

ここ最近、ずっと、ブッダのようになることをめざして
毎日毎日、ブッダのことを考えて暮らしているのです。

つまり、どういうことかというと

請われて説くのが、ブッダです。
言われて動くのが、管理人です。

(だいぶブッダとは印象ちがいますね、ははは)

でも、意識としては、縁起を肌で感じて
その縁となるものに(適切に)呼応する
という、これを実践してるのです。

それで、どうかって?

ま、うまくいくときもあれば、
まるきり失敗のときもある
という感じです。
というか、失敗の時が多い。

でも、無念無想の境地で(オイ)
無視するのです。

うーん、これじゃ
仏法の悪しき応用例
って感じですねぇ。

でも、おかげで、これまで
なんとか切りぬけてきましたよ。。ありがと、ブッダ。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
さて、じつは、龍樹本ですが
案の定というか、なんというか
出版社の方でボツになりました。

正直なところ決着して
いっそすっきりしました。

みなさまには、お待たせして申し訳ないですが
新たな道を模索することになりました。
いろいろ方策を考え中です。
ちょっと時間がかかるかもしれませんが
なんとか出したいと思います。
よろしくお願いします。

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2007/05/15

百聞は一見にしかず

先日、チベットスピリチュアルフェスティバルで
チベットのお坊さんを拝見してからというもの
たいへん調子が良い。

立て続けにチベット密教関係の本を
読んで、はまっているけど
とてもよくわかる。
『入菩提行論』も、
ぐううううんと身近に感じられてしまう。

今までは、
じつは、
何がどういう関係で
どう結びついているのか
密教の論理がさっぱりわからず

簡単な解説書ですら
理解できなかった。。。

やっぱり「百聞は一見にしかず」というのは
ほんとなんだな
と思う。

なぜ、お坊さんを一見すると
仏教がわかるのか、というと

だって、
お坊さんというのは、
じつは、
法が人の形をとったものだからでなのです。

密教全体が、一人の人の中に
まとめられて、そこに完結しているのです。

法の部分、修行の部分、心の部分、
それらが一つになっているから

お坊さんを見てしまうと
そこから
どの部分でも取り出せるのです。
そもそも
黙って立っているだけで、法の香りがただようのです。

しかも
何かひとこと、お坊さんの口から
言葉が出てくるたびに
法がぽろりとこぼれるのです。

お!っと、拾うわたし。

また、ひと言。。

おおお!っと、拾うわたし。

ちょっと見苦しいですか?
法に飢えてるので
かまってられません。

ありったけ、拾い集めて
お持ち帰りしてきました。

具体的に、何がどういうわけでもないんですけど
本を読んでも曼荼羅見ても
仏法が急にいきいきしはじめました。

ええやん!
生きてる、仏法が!

ほんとにありがたい、ありがたいと
家に帰ってから
お坊さんをおがむわたしです。

遅いんだよね、管理人!
家に帰ってからおがんでもなぁ。

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2007/05/14

訃報

昨日は、金沢大学の島先生が
お亡くなりになったという
とつぜんの電話に
ほんとに衝撃を受けてしまう。

インド哲学にとってはあまりにも
大きな痛手でなんと言ってよいかわからない。
心からお悔やみ申しあげます。

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2007/05/13

マンダラ

さて、さて、昨日は、ちょっと珍しい催しに
行ってきました。

チベット仏教のフェスティバルです。

砂曼荼羅の制作風景が拝見できるということで
さっそく行ってきました。
テレビで見たことはありますが、生でははじめてです。

薬師如来の砂曼荼羅です。

では!どうぞ!
Image063

きれいですねぇ。

色のついた細かな砂を細い金筒の先から
少しずつ落として描いていきます。
昔は、手で砂をにぎって少しずつ
落として描いたということです。

これはほぼ完成に近いですが
このくらいのものですと
ぜんぶ仕上げるのに
5日くらいかかるのだそうです。

「夜もやれば、もっとはやいです」と
えらいお坊さんの弁。

みんな
「それ、残業ですねっ!」
と唱和しました。。笑話でしたなんちゃって。

中央に薬師如来が配置されています。
まわりに花びらみたいに見えるのは
花びらです。。じゃなくて、それぞれ仏・菩薩を
意味しているのだそうです。

花びらの外側の部分
四色に塗り分けられていますが

東が青で、阿閦如来
南が黄色で、宝生如来
西が赤で、阿弥陀如来
北が緑で、不空成就如来

を表しています。
おなじみの名前ですね。

20代の若い僧侶たちが四人で、描いています。
3年くらい、描く修行をするんですって。

頭の中にすべての絵柄を全部描いて
それを実際に地面に描くだけだと
説明してくれました。

虚空にある曼荼羅が地上にそのまま
おりてくるようなものだそうです。

Image064

このお坊さんは、ええっと、21才だったかな?
それとも、22才?
みんな、そういうところは、
一生懸命質問するんだから(笑)。


また、数は、
チベット語も日本語もほぼ同じなので
ここだけ通訳なしでわかるのです。

だから、ここだけ
会話がはずむのです!

ところ変わっても
人は、人ですね。

そして

ところ変わっても
仏教って、仏教なんですねぇ。

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