『リグ・ヴェーダ』を読むのです。
しばらく
ヴェーダとウパニシャッドを
読んでますが
なかなかすごいもんですね。
もし仏教が生まれなかったら
その深遠な思想は今でも現役だろうと思われます。
深遠なる『リグ』の最高峰、宇宙開闢の歌をどうぞ!
■『リグ・ヴェーダ』10・129 宇宙開闢讃歌■
そのとき、無もなく、有もなかった。
空界もその上の天もなかった。
何ものが活動したのか。
どこで、誰の庇護のもとに?
深くてはかりしれぬ水(原水)は存在したのか?
そのとき、死もなく、不死もなかった。
夜と昼の標識もなかった。
かの唯一者は、自力により風なく呼吸していた。
これより他に何ものも存在しなかった。
太初において、暗黒は暗黒に覆われていた。
この一切は光明なき水波であった。
空虚に覆われて顕れつつあったかの唯一者は、
熱(タパス)の力によって出生した。
最初に意欲(カーマ)がかの唯一者に現れた。
これは意(思考)の第一の種子であった。
聖賢たちは熟慮して、有の縁者を無に見出した。
聖賢のひもは横に張られた。
下方はあったか。上方はあったか。
はらませるもの(男性的な力)があった。
展開する力(女性的な力)があった。
本来ある力(女性の力)は下に。
衝動力(男性の力)は上に。
誰が正しく知る者であるか。
誰がここに宣言しうる者であるか。
この創造はどこから生じ、どこから来たのか。
神々は、この創造より後である。
さすれば、創造がどこから起こったか知るものは誰か。
この創造はどこから起こったのか。
誰が創造したのか。あるいはしなかったのか。
最高天にあってこの世界を監視する者のみがこれをよく知っている。
あるいは彼もまたこれを知らない。
#############
一つ一つの言葉を確かめながら
読んでいくと
インドの思想発展の道筋が
見えてくるような気がします。
無もなく有もないところからはじまるのは
もっともだと思いますし
唯一なものが、自力で呼吸しているのも
もっともじゃ。
タパスでみずから出生するのも
ありうるか。。
そこから、意欲が生まれて思考が生まれ
相対が生じて、男女になっていく。。。
瞑想・苦行のなかから、この詩は生まれてきたのかな。
『リグ・ヴェーダ』の時代(紀元前1200年ころ)から、
インドは、現代をはるかに超える
眼には見えない精神の世界をもっていたんだなぁ
って、思ってため息が出るのです。
ストレス社会や暴力社会の中にいる
わたしたちの貧しい心にも
満ちてくるものがあるかな。
だから、読んでみるのです。。。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)




最近のコメント