金えのころ
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» 『般若心経は間違い?』の間違い (十一) [南華のブログ]
『般若心経は間違い?』(宝島社新書)
109頁より
語るなら、何か人間のアドバイスになるもの、実践できるものを語らなければならないのです。・・・・・
地球の重さをグラム単位で量ったり、一日に地球の重さがこれぐらい増えるとか減るとかグラム単位で計算したって、「だから何?」という話です。無駄話です。
しかし、役に立つ話は無駄話ではありません。
たとえば「雷というのは神様ではない。雲の中に静電気が溜まって、いちばん放電しやすいところで放電しているのだ。という科学者の意見は、... [続きを読む]
受信: 2007/10/13 06:25
» 『般若心経は間違い?』の間違い (十三) [南華のブログ]
『般若心経は間違い?』(宝島社新書)
困ったことに『般若心経』は、仏教用語を使いながら仏教用語の意味をわかっていないのです。それは「色即是空。空即是色」のくだりからも明らかです。
「色即是空」は正しいのです。「色は空であると観なさい」とパーリ経典にもあります。
では、「空即是色」ってなんでしょうか?これはどうしても、大乗仏教の世界からみたって成り立たない話です。
大乗仏教で一般的に言われている「空」とは、真理そのものであって、超越した何かの存在なのです。大日如来とか久遠佛とか、法... [続きを読む]
受信: 2007/10/17 10:11





コメント
南華さま
『般若心経』(十三)を拝読しました。
いや~、むずかしいですね。何とも言えないですねぇ。判断を保留するほかないところばかりです。
> 梵語のテキストもいろいろあるのでしょうか。
わたしも詳しく検討したことがないのでわかりませんが、いくつか校訂本が出ています。
また、漢訳も七~八訳ありますね。
おっしゃるような「色性是空、空性是色」という訳ですと、単純にサンスクリット語で置きかえますと「色性」は「ルーパター」になるのかなと思いますが、訳した原文がどうだったのか、もはやわかりませんね。
うーん、拝読すればするほど、確信もって言えることがなくなってきそうです。テキストが揺れているのが、いちばん不安ですね。
玄奘訳で解釈する、というような南華さまの姿勢が、すっきりしているように思いました。
南華さまの解釈には、かなり西洋的な思考が見られるように思いますが、意識的なのかしらと思ったりしています。あれこれ、雑然とした感想で申しわけありません。
また、部派仏教の解釈も部派の立場を守っていますので、南華仏教ととくに対立しているわけでもないかしらとも思いました。
どのように読むかということですから、それぞれ解釈としては成り立ちうるのかなと思って拝読しました。
龍樹の「空」は、般若経典の「空」とは異なるという点についても、考えてみなくちゃと思っています。
まだ、わからないところばかりです。「ハァ!」とため息をつきました秋のたそがれでした。
宿題たくさん、抱えて帰ります。
力作で勉強させていただきます。どうもありがとうとございました。
投稿 管理人エム | 2007/10/20 15:24
マダム・エムさま
ありがとうございます。
ところで、思い出すところがあったので、資料を調べましたところ、「法月訳」というテキストでは、次のようになっております。
舎利子、
色性是空、空性是色、
色不異空、空不異色、
色即是空、空即是色、
受想行識、亦復如是。
これを梵文と対応させると、下記のようになるということです。
rupam sunyata, sunyataiva rupam
色性是空、空性是色、
rupan na prthak sunyata, sunyataya na prthag rupam
色不異空、空不異色、
yad rupam sa sunyata, ya sunyata tad rupam
色即是空、空即是色、
evem eva vedana-samjna-samskara-vijnanani.
受想行識、亦復如是。
梵語のテキストもいろいろあるのでしょうか。
いずれにしろ「色性」「空性」という言葉を排除したところに、玄奘らの意図を読み取れるのです。
投稿 南華 | 2007/10/19 22:34
南華さま
遅くなって申しわけありません。
精力的なご執筆で、こちらの方がすっかり出遅れしまいました。
これから、読ませていただきます。秋の夜長に読書と行きます!ゴーっ!
投稿 管理人エム | 2007/10/19 18:11
マダム・エムさま
“『般若心経は間違い?』の間違い (十三)”を、公開しましたので、TBさせていただきます。
こちらで教えていただいたことを、早速、使わせていただきました。御礼申し上げます。
龍樹と『般若心経』の関係についても考察してみましたので、ご批評ください。
投稿 南華 | 2007/10/17 10:21
南華さま
> 「色不異空、空不異色」についても、梵語ではどんな表現だったのか、よろしければお教えください。
こんにちは。では、では、「色即是空空即是色」の続きから行きます。
ルーパン ナ プリタック シューニャター
(色不異空)
シューニャターヤー ナ プリタッグ ルーパム
(空不異色)
語尾が少々変わっていたりするのは、後の音の影響を受けるためです。また、格変化をすることにもよります。「ナ」が、否定です。「プリタック」は「異なる」「別異の」という意味です。
> 梵語と漢訳の違いという問題は、私どもでも、以前から、“『般若心経』-漢訳とサンスクリットの違い”という記事などで指摘してきたのものです。非常にレベルが違うのです。
やはり、そうなのですか。
「照見」の二文字だけで、「観音」の立場をガラリと変えてしまった、玄奘らによるマジックが施されて現在の『般若心経』があると考えていますが、逆に、先に梵語の『般若心経』があったかどうかすら、定かではないようです。
なるほど、そうなのですか!そうなると、もう、何を信じてよいかわかりませんね。ここを明らかにするのは、至難のワザですね。。ふーっ。
> 幸い、南華密教では、『般若心経』に関しては、玄奘訳の、しかも前半しか採用しないので、あまり厄介な研究には与しないのです。
賢明な道ですね。現実を重視される方向で、検討されているのですね。なるほど、わかってきましたよ。
こういうたいへんなところを地道に研究するのは、本来、学者の仕事なんでしょうね。
投稿 管理人エム | 2007/10/15 16:29
マダム・エムさま
お忙しいのに、早速のお答えありがとうございます。
「色不異空、空不異色」についても、梵語ではどんな表現だったのか、よろしければお教えください。
中村元さんの訳も今一ピンと来ないので。
梵語と漢訳の違いという問題は、私どもでも、以前から、“『般若心経』-漢訳とサンスクリットの違い”という記事などで指摘してきたのものです。非常にレベルが違うのです。
「照見」の二文字だけで、「観音」の立場をガラリと変えてしまった、玄奘らによるマジックが施されて現在の『般若心経』があると考えていますが、逆に、先に梵語の『般若心経』があったかどうかすら、定かではないようです。
>これを検討しようとすると、膨大な般若経典をあれこれ探らねばならず
幸い、南華密教では、『般若心経』に関しては、玄奘訳の、しかも前半しか採用しないので、あまり厄介な研究には与しないのです。
その代わり、当時当地の最新最高の知識を組み合わせて、実践的に考えてゆく、というのが、南華密教の立場です。つまり、それが「密乗」というものです。
投稿 南華 | 2007/10/14 22:57
南華さま
また、もう少しブログを拝読しようとしてますが、今日は用事が多くて、中断しているところです。ゆっくり行きます。
> ところで、インド語の語順は、中国語や日本語とは違うというお話ですが、ならば、梵語の「色即是空」は、「空なるものはすなわち色であるものである」ということになっているのでしょうか。
『般若心経』は、ほんとに悩み多き作品で、サンスクリット語にしますと、漢訳では気づかれなかった問題が、じつはあるのです。
多くの学者を悩ませてきたものです。
語順にかんしては、漢訳の語順と同じになっており問題はないのです。
ルーパム エーヴァ シューニャター シューニャターイヴァ ルーパム、…
と読むことができます。
ルーパム エーヴァ シューニャターは、玄奘訳の「色即是空」に相当すると考えられますが、問題なのは、シューニャターとあることです。これは「空性」なのであって、「空である」という形容詞ではなく、女性名詞なのです。
「色は、すなわち、空性である」というのがサンスクリット語の正しい訳ということになります。これは、文として、ふつうではありません。
この解釈をめぐって、今西順吉先生が「空と空性」という論文を書いておられますが、その中で、ネパール系写本には「ルーパム シューニャム」(色は空である)という表現もみられると書いてあります。文法上理解しやすいのはこちらです。
しかし、他の般若経典の検討などから、結論としてやはり「ルーパム シューニャター」という表現が正しいと結論づけております。
この、何とも言えないもやもやしたむずかしさは、「ルーパム エーヴァ シューニャター」の最初の一文に、すでにじゅうぶん込められているような気がします。
ブッダ的には、「色」を主語にもってくることは、何も問題はありません。でも、なぜ、「色は、すなわち、空性である」となるのでしょう?
「空性」も主語に来ることは、ありえないことではないと思われます。ブッダの説く言葉です。
「空性は、すなわち、色である」というこちらの文の方が、むしろ解釈しやすいとも言えます。
いろいろな学者が検討を加えていると思いますが、まだしっかり調べていないので、よくわかりません。
今西先生も、これはたんに文法上の問題ではなく哲学上の問題もふくめて検討すべきであるとして、それ以上の内容は述べておりません。
スマナサーラ長老さまは、これまでの解釈をそのまま使って、それによって批判を加えています。
長老さま自身は、この解釈それ自体に問題があると見ているかどうかわかりませんが、わたしの感触では、そのような事はとうぜんご存じだろうと思います。
その上で、批判されていると思います。
ですから、部派の立場を守ってその枠で批判を加えておられます。
が、それによって、大乗仏教の方でまともに検討を始めたら、いろんな解釈上の問題がブワッと吹き出すとわかっておられるのだろうと思います。
わたしが思いますには、きちんとした大乗仏教の立場での解釈を出してください、という長老さまのメッセージを受けとるべきなのではないでしょうか。そのような意味でおっしゃったと思います。
その意味で、とにかく、きちんと批判に答えようとされているのが、今のところ南華さましかいないのは、さびしいかぎりです。しかし、それだけに、南華さまのご意見は大きな意義をもち貴重なものと思っております。
わたしも、気にはなりますが、これを検討しようとすると、膨大な般若経典をあれこれ探らねばならず、ちょっとため息をついているところです。
ぜひとも、がんばってください。
投稿 管理人エム | 2007/10/14 17:48
マダム・エムさま
早速読んでいただきましてありがとうございます。
>たくさんの本が出ていますが、「完全に」『般若心経』を解釈できる人は、今のところ、この世界にいないようだというのが、わたしの得た唯一「確かな」感触です。
『般若心経』には、大品、小品、に梵語、漢訳、のなかでも、玄奘訳はじめいくつものテキストがあり、それぞれの主旨は同じとは言えず、テキストごとに作者が違う、くらいに考えなければいけません。
「玄奘本」のなかでも「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是」が、「南華密教」の「経典」としての『般若心経』であり、あとは付けたしのようなものです。
ところで、インド語の語順は、中国語や日本語とは違うというお話ですが、ならば、梵語の「色即是空」は、「空なるものはすなわち色であるものである」ということになっているのでしょうか。教えてください。
投稿 南華 | 2007/10/14 15:34
春間さま
> 白雪姫の下のキノコは、
> 絶対においしくないキノコです
わたしのキノコもおいしくなさそうです。
似てるかな。
投稿 管理人エム | 2007/10/13 22:49
>キノコで思いだしました。明日はキノコの絵を載せます
明日でも結構です
ぜひ見せてくださいね、、、
白雪姫の下のキノコは、
絶対においしくないキノコです
(私には、種類がわかるけど、教えません)
投稿 春間 則廣 | 2007/10/13 21:32
南華さま
素晴らしい力作を二つもありがとうございます。
つい、ガツガツと貪るように、全体を流し読み状態で読んでしまいました。
もう何度かゆっくりとじっくりと読まなければなりません。とりあえず、御礼申しあげます。
スマ長老さまへの批判は、それはそれとして、とくに興味深いのは、南華密教の立場を明らかにされているところです。
ここに南華さまの真摯な姿勢と深い知識とが顕れているように思われ、個人的には非常に興味があります。
まだまだよく読まなければなりませんが、長老さまの疑問である、「空即是色」の解釈は何か?や、あと、呪文の意義への疑問などに、答えようとされているところは、多くの読者のみなさまも知りたいところであり、それに答えるものと思います。
「腑に落ちる」というところまで詰めないと、「わかった」とは言えないのが仏教です。そのために智慧を出しあわねばならないと思っています。なので、たいへんありがたく拝読しています。
それにしても『般若心経』はむずかしいですね。
たくさんの本が出ていますが、「完全に」『般若心経』を解釈できる人は、今のところ、この世界にいないようだというのが、わたしの得た唯一「確かな」感触です。
投稿 管理人エム | 2007/10/13 10:51
マダム・エムさま
「般若心経」(十)、(十一)をTBさせていただきました。
また、ご意見などお寄せくださいませ。
投稿 南華 | 2007/10/13 06:31
春間さま
梟と鹿は、じっさい愛くるしいです、わたしの目にも。
掛布のもようは、壺かな?カボチャってことはないな。シンデレラになっちゃう。
キノコで思いだしました。明日はキノコの絵を載せます。
投稿 管理人エム | 2007/10/12 23:38
Wikipediaの画像をクリックすると拡大されます
梟と鹿の顔が愛くるしく感じるのは、思いいれかもしれませんが、、、、
ベッドの下のキノコと、掛け布の柄が気になります
投稿 春間 則廣 | 2007/10/12 22:03
春間さま
> これって、地球外生命体の言葉の翻訳ですか ?
そりゃ、ないすよ。この世のものとは思えぬほど美しい、って、思ってくださいませ。
といっても、携帯ですから、美しさもハンディ・タイプで、いまいちかなぁ。
白雪姫も、ストーリーにいろいろヴァリエーションがあるんですね。
画像はきれいですね。7人いるといいのにな。
投稿 管理人エム | 2007/10/12 21:28
>地球は、なかなか美しいですね
これって、地球外生命体の言葉の翻訳ですか ?
「 鏡よ、鏡、この世で 云々、、、」
Wikipedia では、毒りんごではなく、胸を締め付けるのですね
白雪姫は、王子様を夢の中で待っていたのでしょうか ?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%9B%AA%E5%A7%AB
(なかなか良く描けた画像が見られます)
投稿 春間 則廣 | 2007/10/12 20:29