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2007/10/31

日のもとになべて新しきことなし。。でもない

キンチョーしました。

なぜかというと、チャペルでお話ししてきたからです。

チャペル・タイムに、
仏教のお話しをしたのよ。
それも「空」のお話し。

題して
「仏教聖典と空のお話し」

どんなお話しかって?
聞かないでくれ。
ブッダが出てきて
アーナンダが出てくるおはなし。

仏教のお話しを教会でする
おつですなぁ。。。

という問題ではなく、
冷や汗かきました。

ぜったいバチが当たると思うぞ。

神さまお許しください
仏さまお許しください
みなさまお許しください

賛美歌ちょっとまちがえました
伴奏の方お許しください

慎み深い管理人でございます。

では、クリアな写真を
慎み深くささげます。。。あーめん

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コメント

春間さま

> 「顛倒夢想」とあるように
“夢”はあります
> “希望”欲 

あるといっても、どっちもありがたくないものですね。。。

利望 命望は、凡夫には捨てることができないものなのか。あたってます。
うーん、”夢”と”希望”があるところが、なんとなく夢も希望もないかんじで。
ま、でも、ほんとはそうじゃないんでしょうね。ここから、無や空が見えてくるんですから。

投稿 管理人エム | 2007/11/05 21:36

みみっくさま

> 冗談しか通じない神も怖そうですけどね(笑)。

それはもはや神ではない(笑)。

投稿 管理人エム | 2007/11/05 21:23

南華さま

> ただ、南華仏教ではなく、「南華密教」です。

申しわけありません。部派仏教と書いたとき、筆がすべってしまいました。おわびして訂正します。
これから暇をみて『密教秘伝-「西遊記」-張明澄、究極の密教を語る-』(張明澄著・東明社刊)、ぜひ拝読させて頂きます。

>  そこで提案ですが、先日の「自己より愛しいもの」の時のように、この公案を出題されたらいかがでしょう。

おお、なんたるご発想。思いもよりませんでした。でも。。。おもしろいかもしれませんね。。。ちょっと検討してみましょう。
案外、いけるかな、どうでしょうか。

どうもどうも授業のテーマまでいただいて、ほんとうにありがとうございました。

投稿 管理人エム | 2007/11/05 21:21

えび天サンバさま

> 欲望=宗教 

ここも大事な大事なポイントですね。仏教から見ると、「欲望」とあれば滅しなきゃとなりますが、多くの人々の望みは、現世利益。欲望に乗って宗教は変容していきますね。

> 運用という目的

よいことをお聞きしました。ここに注目して見ていってみます。楽しくなってきました。どうもありがとうございます。

投稿 管理人エム | 2007/11/05 21:10

管理人 エム 様

>そう思うと、案外、夢も希望もないですね

そんなことはありません
般若心経 にも「顛倒夢想」とあるように
“夢”はあります
同様に「真実不虚」とあるように
“虚”も確かに在るのです

希望という語は、阿含経典・華厳経等にもあります
有二希望 世人不能捨離 云何為二 利望 命望 
(增一阿含経第十卷0596b07)
衆生有十種欲 所謂因苦生欲 方便欲 “希望”欲 
著味欲 隨因生欲隨縁生欲 尽欲 一切欲 ・・・・
一切衆生一一皆有十種“希望”
(華厳経 初発心菩薩功徳品 十三)

大乗では、“無”・“空”を超えて(と共に)、有があるのです
第十八願(本願)があるように です

投稿 春間 則廣 | 2007/11/05 09:12

>> 神への祈りが全て実現したらどうなるかという話ですけれども。
>
>案外、夢も希望もないのでは?
 私もそう思います。

 遊び(冗談)の部分が必要です。思ったことがそのまま実現したら怖いですからね。

 車のハンドルに「余裕(遊び)」があるようなものです。

>>  冗談が通じない神って怖そうです。
>
>そんな神さま、冗談じゃない(笑)!
 冗談しか通じない神も怖そうですけどね(笑)。

投稿 みみっく | 2007/11/05 05:11

>神も仏もない世の中

「ない」との仰せですが、神は、
いるいないの場合は、存在しています
(いないと、まったく同義です)
仏は、常住ですから、存在しません

神と仏の対比であれば、言うまでもなく、
優れているのは、神のほうです
人の価値を量る基準なのですから
仏には、価値観が存在していません
平等が原点で、行き着くところですから
土俵に乗せてしまえば、止むをえません

神は、通常、争いを認め、
仏は認めません
所詮、勝負にはならないのです
佛は、いつも負けています

どちらかだと言っていられない世だ、
ということであれば、
(文字通り)あいた口はふさがります

オモイ が 残ります

投稿 春間 則廣 | 2007/11/04 19:17

マダム・エムさま

 丁寧なご批評ありがとうございます。
 しっかりと読んでいただきまして、御礼申しあげます

 ただ、南華仏教ではなく、「南華密教」です。
 「南華密教」につきましては、『密教秘伝-「西遊記」-張明澄、究極の密教を語る-』(張明澄著・東明社刊)に、基本的なことはほとんど書かれていますから、是非お読みください。(ブログ記事に「はじめに」を掲載しております)

 「悟り」とは「知っている通りに行動できる」ことであり、持っている「知識」が間違っていたら悟っても仕方がない、というのが「南華密教」の立場ですから、「八正道」の「正見、正思、正念、正定」には特に力点を置いており「実学」が充実しております。
 ルターの「ボウリング」の話も「実学」で扱ったものです。

 「禅」につきましては、「南華密教」とはまた別の話で、張明澄師は、「南華密教」の他に「雲門禅」を継承しており、我々も「雲門禅」を伝授されております。

 「雲門禅」から見ると、日本の「禅」はかなりいい加減で、例えば、『無門関』「十四・南泉斬猫」にある「趙州頭戴草鞋」のような非常に有名な公案が、まるで頓珍漢な解釈になっています。

 そこで提案ですが、先日の「自己より愛しいもの」の時のように、この公案を出題されたらいかがでしょう。
 有名な公案なので、ネット上にも、原文、読み下し、解釈、等いろいろありますから、参考にされたらよいかと思います。

投稿 南華 | 2007/11/04 16:20

エム先生

すべて何かしら表現されたものには理念がある、ということはいえるのではないかと思います。それを欲望=宗教という図式で、自覚的に語り提示する場合には、運用という目的があり、そこに宗教と芸術の一体不可分性があるのではないでしょうか。石仏を作らせるのには大層な費用がかかりますが、それは教会でも同じです。要はそこで何が、どのような目的のために行われるのか、ということではないかと考えたりするのですが、このテーマはなかなか難しいですね。

投稿 えび天サンバ | 2007/11/04 13:01

南華さま

「『般若心経は間違い?』は間違い」(十五)を拝読し終わりました。熱いです。南華さまの気持ちが伝わってきます。とてもおもしろかったです。

率直に申しあげますと、スマナサーラ長老さまの文章も説得力があり、それと同時に、南華さまの文章にも説得力があります。
南華さまの「色蘊」などの科学的な解釈に対する警鐘は、わたしも同じような感触をもちます。

> ところが、この言い方だと、「物質」そのものには「実体」がないにしても、「物質」を「物質」たらしめている「波動」など、「エネルギー」という「実体」がある、と言われれば、やはり「水掛け論」になってしまいます。

> そもそも、「物質」を構成する「素粒子」は、特定できない、というのが「素粒子論」であり、現代の「空」論は、それをかりて、「物質」には「実体」がない、ことの論拠としているのですから。 

このあたりのご説明は、もう、ほんとにおっしゃるとおりです。
部派は、世俗諦を積極的に説きますから、どうしても実在論に傾きやすい傾向があると思います。その点を示唆されていると思います。

ただ、その点、スマ長老さまも「空」ということをよくご存じなので、かなりうまく説明されていると思いますが、それでも、このような反論をもらってしまうのですねぇ。
 
一般の人にわかりやすくすると、素粒子論を借りることが多いのですが、世俗諦の話ならまだなんとかいけるとしても、「空」の説明にはまずいと思います。
スマ長老さま、世俗諦にとどめて、ここは微妙にうまいことすり抜けてるように思います。

このようなことを申しあげては失礼ですが、けっこう、楽しい論戦です。南華仏教と部派仏教と、お互いに自分の主張すべきことがしっかりありますので、そこを基盤に揺るがないのだと思って、拝読しました。
いろいろご批判は、「なるほど」と思うものもあり、また、「これはちょっと」と思うものもありますが、学問上のことは、両派にとって結局些末であると思いました。

たいへん興味深かったのは、「悟り」のイメージという点で、部派との共感を述べておられるところです。

>  もちろん「知らない」ことについては、答えが出せませんから、「知らない」ことには、はっきりと「知らない」と言えなければなりませんし、「知っている」ことについては「知っている通りに行動できる」のでなければ「知っている」とは言えません。

これぞ、ブッダの悟りですね!
思考を排除して、「悟り」を瞑想によって得ようとするとき、ほんとうは、このような『般若心経は間違い?』で述べていることや南華さまのブログにあるようなことは、ほとんど必要のないことで邪魔なことなのだと思います。ただ、一般の人に誤解なく仏教を伝えようとするところで、このような論争は必要になると思います。
そして、この論争で明らかにされねばならないのは、結局、「色即是空、空即是色」とは何か、言語上の論戦に終わらない解釈であると思います。要するに、「悟り」のイメージを言語化するという段階まで高めた説明です。

南華仏教では、以前に、玄奘訳に基づいて解釈するとおっしゃっておられたので、立場ははっきりしていると思います。ほんとは、もう少しよく、わたしの方は南華仏教をよく勉強しなければならないのですが、ブログだけしか知らなくてすみません。
南華仏教は、部派の反論に答えた、ということで、ご自分の立場を明らかに確立されました。
そのように、わたしは受けとりました。

他の大乗仏教は、どうなのかわかりません。答えねばならないのではないかと思いますが。

で、わたしとしては、「悟り」の行も何もないので、スマ長老さまの「思考するならまだまだバカ」という、この「思考」を「瞑想」として進まなければなりません。バカも極めれば、なんとやら。。というところに賭けるわけです。

そのような、思考バカの立場からいいますと(笑)、『般若心経は間違い?』の説明の中で、もっとも、納得してしまったのが、「『般若心経』はあまり勉強していない人が作った経典ではないかな」(一〇一頁)というスマ長老さまの言葉なのです。

今のところ、この意見、わたしとピッタリなんですよ。「ああ、やっぱりなぁ」という感じです。気持ち的には、『般若心経』の思想はわかるんです。思想は高度です。そして、その点、その気になれば、わたしはかなりうまく説明できるのじゃないかと思います。
思いますが、それを言えないのは、ただ一つ、自分のよりどころの「思考バカ」の立場なんです。それが、説明を許さないのです。論が、「龍樹くずれ」で、どうしようもない感じなのです。
ただ、これは「今のところ」です。言語・文法を超えた「瞑想」の観点というのをもっと「思考」に入れていくと、また、ちがってくるのかもしれません。
『般若心経』は、先の長い仕事になりそうですが、ぼちぼちやっていきたいと思っています。

南華仏教の禅のお話しをもっとおうかがいしたいです。たいへんなご労作をありがとうございました。


投稿 管理人エム | 2007/11/04 12:04

みみっくさま

>  冗談が通じない神って怖そうです。

そんな神さま、冗談じゃない(笑)!

> 神への祈りが全て実現したらどうなるかという話ですけれども。

案外、夢も希望もないのでは?

春間さま

> いつも、すべて、実現されているところが、
>
> (人によって)問題となるのです

そう思うと、案外、夢も希望もないですね。
結局、「神さまのせいにしないで。自分の問題なんだよ」ということになりますか。。。。まったく、神も仏もない世の中です(文字通りだ)。


投稿 管理人エム | 2007/11/04 10:19

えび天サンバさま

> 人物による造形というのはやはり何か理念のための要請という感じがします

なるほど。たぐいまれなご発想ですね。ぜんぜん思いつかなかった。その見方、いただきです。
最近、芸術というのがよくわからなくなりました。宗教をもたない造形は、芸術たりうるのか、などと考えてしまいます。この「宗教」というところに「理念」という言葉をおいて考えてみると、いいのかな。やってみよう。ありがとうございます。

> 暦と宗教、このあたりに秘密がありそうです。

「マジカル広場」のエニアグラムのお話しといい、何かものすごく引きつけられるものがあります。暦かぁ~、チェック、チェック!
それと秦ですね。紀元前後も、見逃せない時代ですね。いろいろありがとうございます。


投稿 管理人エム | 2007/11/04 10:06

祈りは

言葉ではなく、心ですから

いつも、すべて、実現されているところが、

(人によって)問題となるのです

(自らの、祈りを見つめていない人にとっては、、、、)

投稿 春間 則廣 | 2007/11/03 20:58

>ちょっとそうかな、と思ったんですけど、秋なので(って、どういう意味だ)。
 そうかあ。秋だから仕方ないですね。(ってそれでいいのか)。

>ご機嫌伺いは通じないけど、神仏には冗談(本気?)は通ずるはずだ、きっと。
 冗談が通じない神って怖そうです。仏はまだいいですが。

>すでにこの世が冗談みたいな様相だと思うので。 
「冗談」が通ることの有り難味を知らない人が多いと私は思いますね(笑)。

 神への祈りが全て実現したらどうなるかという話ですけれども。

投稿 みみっく | 2007/11/03 17:52

エム先生

人物による造形というのはやはり何か理念のための要請という感じがします。それは例えば、古代国家の経済理念が宗教理念を必要とする、というような背景が考えられるのではないかと思います。紀元前2世紀の頃に中国では秦が統一になりますが、このあたりの状況がどうもネックではないかと考えています。貨幣経済の理念は、時計回りの転法輪、つまり右回りの力とでも言いましょうか。暦と宗教、このあたりに秘密がありそうです。

投稿 えび天サンバ | 2007/11/03 05:02

えび天サンバさま

ミトラス教とは、おもしろそうですね。わたしも知りたいです。大乗仏教と関連するんですか!

マトゥラーとガンダーラで、とつぜん仏像が作られはじめた、というその謎を考えていて、大乗仏教って、なんだ!と、思いはじめたら、とても不思議な気もちがしました。
部派からみた大乗って、どんな風に見えたんでしょうね。

ルターも、けっこう論理で攻めてるんですね。キリスト教も、けっこう魅力的です。。。宗教はおもしろいですね。

投稿 管理人エム | 2007/11/03 00:01

エム先生

キリスト教の中に仏教的なものを探したい先生のお気持ちは解るような気がします。
私はミトラス教に興味を持っているのですが、なかなかよく解りません。何か大乗仏教との関連を感じるのですが。ミトラス教とローマ・カトリックの関連は、パウロを通じてかなり濃密だという感じが致します。シャンカラとマイスター・エックハルトを神秘主義の観点から論じていた人がいたように思いますが、ルターと龍樹というのはたいへんはまった対比的対応という感じがします。先生のいらっしゃる場所といい、向かうべき(向かいたい)方向といい、何だかワクワクしますね。

投稿 えび天サンバ | 2007/11/02 08:40

みみっくさま

> 予想外だ。

ゆめゆめ油断めさるな。管理人にはご用心(笑)。

> 人にはご機嫌伺いが通じるが、神や仏には通じないと言いたかったのですよ。

ちょっとそうかな、と思ったんですけど、秋なので(って、どういう意味だ)。

ご機嫌伺いは通じないけど、神仏には冗談(本気?)は通ずるはずだ、きっと。すでにこの世が冗談みたいな様相だと思うので。

投稿 管理人エム | 2007/11/02 06:20

春間さま

あ、春間さまからもバチが飛んできた。

ううむ、管理人は、キリスト教の中にも仏教的なものを探しているのかな、と思ったりして、なんか罪の意識をおぼえたのでした。

見かけだけ慎み深い管理人より。

投稿 管理人エム | 2007/11/02 06:02

>> これはわかるけど。
>
>なんで、これはわかるのよっ(笑)。

 ここに突っ込みが来るとは(笑)。
 予想外だ。

 そういう意味じゃなかったのに。 
 
 人にはご機嫌伺いが通じるが、神や仏には通じないと言いたかったのですよ。

投稿 みみっく | 2007/11/02 04:07

管理人 エム 様

バチは、ブッ からです(ブツバチです)
神からは、バツです  (シンバツ)

バチと決めたことから、対象が限定されます
神様は心が広いから、お許しくださりますが、
ホトケさまは、自らいずるので、お許しくださりません

慎みのない管理人様です ネ !

投稿 春間 則廣 | 2007/11/01 21:57

みみっくさま

> 何故ばちがあたるのか良くわからない。

いいんです。わからなくても。。。論理がぜんぜん違うのに、聖書も「空」で押してみたんですもの。ごめんなさい、ごめんなさい。もう一度いっとくわ。

> 両方に許しを請うている方が問題な気が(汗)。

念には念をいれてるんですっ!

> これはわかるけど。

なんで、これはわかるのよっ(笑)。

投稿 管理人エム | 2007/11/01 17:15

>ぜったいバチが当たると思うぞ。

何故ばちがあたるのか良くわからない。
 
>神さまお許しください
>仏さまお許しください

 両方に許しを請うている方が問題な気が(汗)。

>みなさまお許しください
 これはわかるけど。

投稿 みみっく | 2007/11/01 12:52

えび天サンバさま

> 先生、今回はピントばっちしですね。

てへっ!おはずかしい。今回は遠距離用のレンズにちゃんと直して写しました。

太鼓のバチがあたっても、イタイです。同じかな(笑)。

ああ、わたしも温泉で(ハート)みそぎしたい。。。温泉で!(悔い改める方を忘れそうだ)。

投稿 管理人エム | 2007/11/01 09:47

先生、今回はピントばっちしですね。
ところでバチって、私は太鼓のバチかと
思ってたら、罰と書くんですね。
いやはや、神さま仏さま、みそぎでもして、
悔い改めなきゃ(温泉じゃダメかなぁ~)。。

投稿 えび天サンバ | 2007/11/01 04:46

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