しっぱいは、いっぱい(じゃこまるぞ)
あっという間に、地獄の日程。
後期開始っ!
ひぇ~~っとばかりに仕事が押しよせてくる。
さすらいの非常勤講師なので
毎日、
今日は北へ
明日は東へ
あさっては西へと
ぜんぜんちがった方角に行く。
完全にまちがいそうだ。
いつかまちがって
ちがうところにいくんじゃないかと
とっても、心配。
それに、最近
大学でアンケートとかいって
学生さんに授業のアンケートをとって
それの回答をくれて
コメントしてくれ、とか、書いてあることも多い。
そ、そんな、もう、前の講義のことなんか
忘れてるよ。
過去は、ふりかえらないタイプだし。
ぜんぜんちがったところで
ちがった授業のアンケートの
回答しそう。
昨日も
めちゃ、とんちんかんなことを
関係ない授業で、くちばしってしまう。
これから、はじめて授業するのに
「講義内容に関心が多い人が多くてうれしいです」
「レポートはよくできていました」
とか、言ってしまう。
みんな、きょとんとしている。
すみません。ちがう講義だったわ。
同じ曜日の同じ時間帯にはじまると
自動的に、同じ学生さんだと思ってしまうのであった。
しっぱい、しっぱい!
かくして、後期は
しっぱいから入るのであった。
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コメント
授業後のキャンパスにて
それだから
(そのビターチョコを私にもわけてヨ ネェ~)
投稿 春間 則廣 | 2007/09/21 21:49
春間さま
これは、本日の法話(?)です?!『サンユッタ・ニカーヤ』1・3・8「マッリカー」より、ブッダの説いた次の偈の最後の一部を自分で作るというお題。
真理を感応する術になってるかな?
心があらゆる方角にさまよいいくとも
自己より愛しいものにたどり着くことは決してない
同じように他の人々にとっても自己は非常に愛しい。
それだから( )
さぁ、さぁ、さぁ、どうだ!
現代にも、ブッダが生まれるかな。
思いっきり、ブレークしてる答えが返ってきたもようです。
法の根は、融通無碍すぎるかもしれません。
たのし♪
投稿 管理人エム | 2007/09/21 21:11
曹洞宗に、沢木興道という僧侶がいました
歯に衣を着せぬ物言いで、日本中を股にかけて説法していたのです
弟子には、彼に終生ついて回った、僧侶としてよりも折り紙作家として
世界第一人者の、内山興正という人はじめ、
(ただし、朝日新聞社の仏音という書籍では、内山氏は、現代日本を代表する10人の高僧に入っています)
多くの尊敬を受ける僧侶を育てたのです
彼は、「宿無し興道」と、さげすまれるかのような渾名をもらっていたのですが、
本人は、そのことが誇りになっていたのです
古刹・大寺院を誇ることと縁起になっていますが、、、 (今は、それを横におきます)
外れた道元解釈を展開するのですが、
私は、ついに、先日、全集を購入してしまいました
先の、紀野一義氏とつながる所が、今日、分かりました(=買った理由です)
(紀野一義氏の事を考えていたのです)
両氏は、法華経をその基盤(生き方)に置いていることが、突如として感じられたのです)
外れる、的を得る、ということは、対機であって、
一番大切なことは、まず“真理=仏”に感応することなのです
そこから“しか”理は展開され得ないのです
(話が飛びましたが、、、)
宿無し興道(行動)からでも、法は伝わるものです
器(寺)は(寺は語原からいって)人が仕事をしに集まるところです
法がよることもあるけれども、人が寄るだけでは、混雑しか生まれないかもしれません
さて本題の、非常勤講師 さま
宿無しは、根無しとは違います
法の根は、融通無碍に伸びて、浮き草を真理からつなぎ、繁茂させます
しっかり、場所を間違えずに、法をといてください
(貴方をみるだけで、学生たちは、まずもって、法をみるのですから)
投稿 春間 則廣 | 2007/09/20 23:16