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2007/08/13

暑い

暑いです。

覚悟をきめて
試験の採点をしてましたが
暑くて
意識がうすれます。

一日中
採点してて
一日中
暑かった。

ようやく
終わったら
もう
次の日だった。

夜中の12時すぎても
まだ暑いなんて
北海道じゃないぞ!

と思ったら
やっぱり
外はずいぶん涼しい。

北海道の家は機密性が高いから
夏が暑くて、こまります。
こもった熱が逃げません。

暑いと
管理人
まるきり
頭がはたらきません。

話題が
暑い 
一辺倒です。

では、おやすみなさい。

最後に
ひと言

暑いです。

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コメント

>「30度でも」と、30度なのに「でも」がつくんですね。なんてレベルが高いんでしょうか。

エアコン設定を30度にすれば、省エネに貢献できるのですが、つい27度に設定してしまいます

熱田の地は、冬は伊吹おろしが吹きつけ、
夏は、海辺の(?)湿気に覆われます
(ちなみに、晴天続きでも湿度が80%位なんてざらです)
英国から来ている人から sticky という言葉を
環境用語として使うということを10年ほど前に初めて知りました
彼女は、とても辛そうに名古屋の夏を語っていました

冬は、着込めば暖かいのですが
(私はー15度でも平気です)
夏は、裸 以上(!)には なることが出来ません

ここで鍛えられれば(!)
どこででも生きていけます(?)

投稿: 春間 則廣 | 2007/08/16 09:24

春間さま

> 涼しさに体が順応してしまえば、30度でも暑い

「30度でも」と、30度なのに「でも」がつくんですね。なんてレベルが高いんでしょうか。

極寒で酷暑とは!お気の毒。

7月頃、釧路から来た学生さんが、25度で「暑い」と言ってました。
わたしもほんとは暑かったけど、「まだまだ暑くなりますよ」とちょっと見栄をはりました。今から思うと、暑いうちにはいってなかったのね。

> (北海道の一般家庭のエアコン普及率は10%ほどとか)

10%もあるのか!今までわたしの知ってるお宅で、クーラーのある家は一件もありません。
クーラーあったら、みんな、ぜったい「どうしてクーラーあるの?」と聞くでしょう。

> きっと、エム様の家には設備がないと勝手に想像します

大当たりです。扇風機も、6-7年前だったか猛暑のときにはじめて買いました。
しかし、クーラーほしい。地球温暖化の影響は顕著です。

> (締め切って)かたくなな心は、
> 外気(違った心たち)に触れないと、
> 冷や汗をかくことになるかもしれませんね

なるほど、うまい!外気にふれるために、戸はあけっぱなしにしておこう。


投稿: 管理人エム | 2007/08/16 08:57

北海道って名前(地名)をきくだけで、
(東海の亜熱帯に生息する私は)
(名古屋は、日本有数の極寒、酷暑の地です)
なぜか、心の中の熱が引いていくような気がします
が ! 基本的に、どこへ行っても、夏は暑いのですね
冬が寒いから、それに対応する夏は暑い
涼しさに体が順応してしまえば、30度でも暑い

北海道では、普通、家庭ではクーラーを設置しないと聞きました 
(一説では)
(北海道の一般家庭のエアコン普及率は10%ほどとか)

きっと、エム様の家には設備がないと勝手に想像します

おなべは、汗をかかないから(水分を含まないから)、冷えないのですね
(戸棚の中は対流も起こりにくいし)

(締め切って)かたくなな心は、
外気(違った心たち)に触れないと、
冷や汗をかくことになるかもしれませんね
(顔は厚くなりそうです)

投稿: 春間 則廣 | 2007/08/15 21:56

カラスノエンドウさま

お話を聞くだけで、卒倒しそうです。わたしなら、西日のさす小部屋ってだけでも音をあげます。コタツなんて死んじゃうよ。

しまってあるおなべが戸棚のなかで熱くなってます。
テーブルに置いておくだけで、煮物ができるかな?まさかね。

40度になったところもあるそうで、みなさま、お体には気をつけて。
カラスノエンドウさまも、お大事に。

投稿: 管理人エム | 2007/08/15 20:57

山田隆博さま

基本的な疑問が生ずるのは、ありがたいことだと思いますが、しかし、まだ本が出ていませんので、内容を読んでいただいてから、あらためてご質問いただけませんか。

> さらに、世俗諦と勝義諦という分類も阿羅漢をブッダと認めない、あるいは応身の釈尊は法身のブッダに及ばないという大乗仏教の屁理屈から来ています。

この解釈は、はじめて聞きました。。。いささかビックリいたしました。

> こうした問題を避けて、直接にパーリ仏典でブッダの論理を研究された方が良いのではないでしょうか?

もちろん!それも、やっています。山田さまがパーリ仏典とおっしゃるのは、おそらくパーリ語の註釈文献のことをおっしゃっていると思いますが、それを研究すると、多くは論理というより思想上の問題にはいっていくことになると思います。
論理については『カターヴァットゥ』の中にある断片が考察されています。

投稿: 管理人エム | 2007/08/15 20:14

基本的な疑問が沸いてきました。
石飛先生の新刊に関する説明を抜粋します。
--------------------------------------
『方便心論』『中論』『廻諍論』、これらは、龍樹の論法の三部作なのです。『方便心論』は世俗諦の論理が中心です。『中論』は第一義諦(勝義諦)の論理が主体です。『方便心論』と『中論』の二つが、ブッダの思想体系の論理を示すのです。さらに、龍樹の『廻諍論』は、ブッダの思想体系の論理的な限界を示しながら、しかも、なおかつ、ゲーデルを乗りこえる道も示しました。
---------------------------------------------------------
これは論理学に関して、龍樹が仏陀を継承し、かつ仏陀を超えたことを述べているように感じます。

ところが、龍樹がブッダの論理を単純に継承しているならば、龍樹が付け加えたものは何もないことになります。

次に大乗仏教について、宮元先生は「ブッダが問答で非我と答えていた意味を勘違いした大乗仏教が無我と断定したために形而上哲学の論争が始まった」と指摘しています。さらに、世俗諦と勝義諦という分類も阿羅漢をブッダと認めない、あるいは応身の釈尊は法身のブッダに及ばないという大乗仏教の屁理屈から来ています。ですから、初期大乗仏教を背景とする龍樹の『方便心論』や『中論』は、すでに釈尊の教法から逸脱している可能性が大いにあります。

さらにゲーデルの不完全定理とは、「閉じた形式体系を完全なものにすることはできない」というものです。対偶をとれば、「完全なものにできるのは開いた形式体系」となります。開いた体系とは生命のことです。それはブッダが扱った対象です。つまり、ブッダの教法はゲーデルの問題を解決済みなのです。
そうなると、ここでも龍樹が付け加えるものは何もないことになります。

こうした問題を避けて、直接にパーリ仏典でブッダの論理を研究された方が良いのではないでしょうか?

投稿: 山田隆博 | 2007/08/15 17:11

子供の頃読んだ漫画で(たしか『オバケのQ太郎』でした),ガキ大将が真夏に我慢大会をやると言い出し,みんなで西日の差す小部屋に集まり,冬服を着てセーター,ドテラ,マフラーでコタツに入って,ストーブを焚きながら,なべやきうどんをたべる,という話がありました。

投稿: カラスノエンドウ | 2007/08/15 17:03

莓矢毒蛙さま

集めるのに、汗かいちゃいそう。。。おおい、そんなに遠くに飛ぶなよぉ、なっちゃって。

それにしても、扇風機って、偉大です。
うちわ代わりの下敷きより楽だわ。

投稿: 管理人エム | 2007/08/13 11:43

答案を扇風機で飛ばして、遠くに飛んだのは軽いので赤点という採点方法もあるらしい。

投稿: 苺矢毒蛙 | 2007/08/13 11:31

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