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2007/06/15

心の時代になりました

今日は、朝と夜に日記を書く
なんとお
 勤勉の二乗
な 管理人です。

授業は、水もの
あてにならないもの

学生は寝るモノ
おしゃべりするモノ
そんなモノ

教師は…

なかなかね
ちょっとね

でも、今日は
やったね

お釈迦さんにたよらずに
魔法の言葉を
述べたら

教室は、し~~んと、静かになって
授業に集中

では、では、みなさんに質問です。

わたしの述べた
魔法の言葉とはなんでしょう?

ひと言です。
必殺の殺し文句です。

答えは?

こころ
(心)

これです!!

いかにこの言葉が
若者のハートをとらえるか
わたしもビックリ!

心とは?ほんとにあるの?
心は何をとらえるか?
感覚器官と心
心はどこに位置づける?
科学の立場では?

なんて、そんな話です。
むずかしくない、簡単な話よ。

でも

ほんと飢えてるんですね、心の話に。
たいしたこと言ってないけど
「心」をまじめにとりあげると
みんな一生懸命聞いて
一生懸命書いてくれる。

今の若い人は、
なんだか気の毒になのね。

こんなに豊かに
なんでもそろってる暮らしをしてるのに
目に見えぬ

これを求めて、満足できない。

ふうむ、なんかなぁ。。。人生って、こんなもんですか。。

とはいえ
今日は、おとなしく聞いてくれたけど

いくら大事とはいえ、
毎回「心」の話じゃ
効き目ないだろうなぁ。

学生はつらいよ、
教師はつらいよ、

の、巻き でした。

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コメント

そあらさま

こんにちは。道場の書き込みも拝読しました。

じつは、昨日、わたし、ヨガのインストラクターの方々にインド思想などをお話してきました。この「心」の問題について、一晩一生懸命考えてまとめてお話したんです。
学生さんにもお話したし、こんどはわかったことを上手に話せると、けっこうがんばったら、一つも質問も出ずに、シーンとなってしまいました。
あ、しらけてる、というのではなくて、何をどう質問したらいいか、みなさん、こんがらがっちゃったみたいです。
が、がんばりすぎはよくない、と反省してしまいました。いろいろ整理して考えたんだけど。。。しっぱい!だったかな。。「心」は、ほんと、むずかしい!

わたしが思いましたのは、(自分の)心のことを考えたりするとき、案外、「他者」のこともあわせて意識するといいのじゃないかということなのです。
「自分」というのは、「他者」とセットになってはじめて、自分なんじゃないかと思ったりするので。

ですから、

> んで、あるとき、気づいたんですけど、己を知るものは、全てを知るってことに。宇宙、もしくはそれを含むこの世の有様を。有りのままの世界。

という、そあらさまのご意見、けっこう「あたり!」という感じがします。
己がわかった、ということは、自分とセットの「他者(ここでは、宇宙)」も、もう見えてきているということですものね。

インドでも、古い『ウパニシャッド』文献にブラフマン(梵、宇宙の原理)とアートマン(我とか自己、個人の原理)は一つだという、梵我一如の思想があります。
インド人も、自分と、他である宇宙を対比させたんですね。

> 無限の宇宙が、誕生、死を繰り返していまして、その果てはあるのか。。。ないわけで、その一連の有様を真理としているわけです。

フム、輪廻に始まりはない、と述べたブッダを思いだしますね。
もう一度、道場の方もよく読んでみます。
どうもありがとうございました。

投稿 管理人エム | 2007/06/17 12:54

こんにちわ。
道場では、自分がまだまだまだまだまだまだまだまだって気づかされたことも、一つでちょっと少しでも成長してからいこっかなあなんて。
とか思って、ひょこりここのぞいたら、管理人様のほのぼのとした一面が伺えて、とても穏やかに拝見いたしました。(いや、道場でも管理人様の柔らかい人間性は自分なりに感じていましたけど)

心。全ての中心っていうか大事なものはやっぱり自分も心って思いますね。
自分の話になりますが、自分は高校のときから、ずっと精神科にかかってるわけで、いまでは普通に働けるようになったけど、それまではいろいろとありまして、すごーく心についてってか、心を原点にして自分の有様を解いて行く作業をしてたわけです。
んで、あるとき、気づいたんですけど、己を知るものは、全てを知るってことに。宇宙、もしくはそれを含むこの世の有様を。有りのままの世界。
私の思い描く真理の構造は、今私たちがすんでいる宇宙一つだけを取り上げて考えますと、物質と魂(精神)からできていて、気持とか感情とかが、物質が有るゆえに起こっている現象のみならば、この世は数学的に解き明かされているとおもうわけで、自分は、気持とか感情とかは、脳内物質が働いて起こっていることも事実ですが、それに由来しないなにか物質とは別の何かの作用もあるように思うわけです。もいっかい説明すると、もし気持が物質に由来するものであれば、この世は、物質のみでできているという表現になりますから、それを踏まえれば、上のように、物質と魂(精神)と表現する、考えるわけであります。
んで、宇宙には、始まりと終わりがあって、んで宇宙のそとっかわって考えると、そこも何かであって、宇宙は、私たちがすんでいる唯一ではなくっていわゆる宇宙のそとっかわで同じように、二つ目の、三つ目の・・・無限の宇宙が、誕生、死を繰り返していまして、その果てはあるのか。。。ないわけで、その一連の有様を真理としているわけです。
あくまでも、私の構想ですが。

まずは、形的に述べてみました。次は、なんて言ったら、いいかな、形に対して、そうじゃないもので二大要因と呼びましょう。それについて話してみたいとおもいます。

書いてたら、道場に書いて見たいなとおもいました。コピーはできるかなあ。。。

投稿 そあら | 2007/06/17 10:04

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