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2007/05/15

百聞は一見にしかず

先日、チベットスピリチュアルフェスティバルで
チベットのお坊さんを拝見してからというもの
たいへん調子が良い。

立て続けにチベット密教関係の本を
読んで、はまっているけど
とてもよくわかる。
『入菩提行論』も、
ぐううううんと身近に感じられてしまう。

今までは、
じつは、
何がどういう関係で
どう結びついているのか
密教の論理がさっぱりわからず

簡単な解説書ですら
理解できなかった。。。

やっぱり「百聞は一見にしかず」というのは
ほんとなんだな
と思う。

なぜ、お坊さんを一見すると
仏教がわかるのか、というと

だって、
お坊さんというのは、
じつは、
法が人の形をとったものだからでなのです。

密教全体が、一人の人の中に
まとめられて、そこに完結しているのです。

法の部分、修行の部分、心の部分、
それらが一つになっているから

お坊さんを見てしまうと
そこから
どの部分でも取り出せるのです。
そもそも
黙って立っているだけで、法の香りがただようのです。

しかも
何かひとこと、お坊さんの口から
言葉が出てくるたびに
法がぽろりとこぼれるのです。

お!っと、拾うわたし。

また、ひと言。。

おおお!っと、拾うわたし。

ちょっと見苦しいですか?
法に飢えてるので
かまってられません。

ありったけ、拾い集めて
お持ち帰りしてきました。

具体的に、何がどういうわけでもないんですけど
本を読んでも曼荼羅見ても
仏法が急にいきいきしはじめました。

ええやん!
生きてる、仏法が!

ほんとにありがたい、ありがたいと
家に帰ってから
お坊さんをおがむわたしです。

遅いんだよね、管理人!
家に帰ってからおがんでもなぁ。

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コメント

春間さま

なかなか、厳しいですね(笑)。

> 映画(俳優)を見て、現実と重ねあわせているような
ところ(共通点)も、あるのでしょうか ?

ちょっとちがうかな。映画は虚構ですが、お坊さんは空なのです。虚構なのではないのです。
お坊さん自身の法の達成度は、今のわたしにとっては、些末なのです。身口意により法を体現する、その行為が大事なのでした。

法を伝えることと如来はちがうと、おっしゃるのは、そうでしょう。。賛成です。
とはいえ、わたしには区別がつかなかったりするかも。

投稿 管理人エム | 2007/05/16 05:44

O さま
ルンが、効果大であるのは、すごくよくわかります。わたしも、お経や論書ではないですが、同じような経験があります。
なんでしょう、耳・眼・身体全体で受け取るからでしょうか。こっちの感度も,、波長が合って、よく働くのかもしれないですね。

だから、口伝えに教えるというのは、わたしたちが考えているより、ずっと深い意味があるのではないかと思います。
経典は口伝が絶対正解だ!と、ますます思う今日この頃です。

> 『入菩提行論』のご理解は何が変わりましたか?

今までは、シャーンティデーヴァという人の論理の鋭さにばかり眼がいっていたのですが、それに加えて瞑想・菩薩行の深さも自然に理解できるようになりました。トータルで見られるようになったかな、と自分では思います。空についても、ちょっとプラスあったかな。

英訳ご紹介くださってありがとうございます。覚えておいて、いつか読みます。今は、まだ、とても無理そう。
その、パトゥル、ミパム註というのも、訳があるといいですね。
それにしても、密教はとんでもなく深くむずかしい世界だと思います。ほんとに!


投稿 管理人エム | 2007/05/16 05:21

>法が人の形をとったもの

お坊さんも、法も、
それを受け止めてみる(生きる)人のものですね
真(の)宗(教)は
そこから見つめられているかのようです

実際には、彼方には、法がないことが多いのです、、、、
しかし、在るとして観る人には実存なのでえ~す
( 実存とは、こういうことを言うのでしょ ? )

映画(俳優)を見て、現実と重ねあわせているような
ところ(共通点)も、あるのでしょうか ?

もちろん、俳優が大根ではどうしようもありませんが、、、
ただ、美形を求めることだって成り立つことです

それなりの訓練(修練)は積んでみえるでしょうが
法を伝えることと、如来とは違うという気がします

>ちょっと見苦しいですか
>飢えているので
>かまってられません

おなかのすいている時は、
料理の良し悪しは判断できにくいものですが、
食べれば、血肉になりやすいかもしれません

( 茶々を入れてしまったか、、、、、、、、、、 )


投稿 春間 則廣 | 2007/05/15 21:07

それはそれは、ルン(口頭伝授)といわれるものがあるんですが、ただ先生がお経を読む口承なのです。これを受けると、今まで注釈やら用例やらを検討しても理解できなかったものが分かるようになることが多いのです。これは私だけでなく、多くの人が言ってます。(西洋人なんかは、ルンは無意味という人が多いのですが。私も素読は無意味と思ってました)

『入菩提行論』のご理解は何が変わりましたか?

ちなみに『入菩提行論』の注釈はザ・パトゥル・リンポチェとジャングン・ミパムのものが私が知る限り最も見解が高いと思われます。

そしてザ・パトゥル・リンポチェの直弟子による注釈の英訳がこちらです。
http://www.amazon.co.jp/Nectar-Manjushris-Speech-Shantidevas-Bodhisattva/dp/159030439X/ref=sr_1_8/249-6780840-6159514?ie=UTF8&s=english-books&qid=1179229558&sr=8-8

こちらは別の人による五章までの英訳とザ・パトゥル・リンポチェ伝統を伝えるシュリーシンハ学堂のケンポによる講義録がついてます。

そのケンポは、有名なゲンドゥン・チューペルの後生です。

私は英訳は読んでないのですが、原文は素晴らしい内容です。ただしパトゥル、ミパム註がより優れています。

投稿 O | 2007/05/15 20:59

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