ぶっきょう、おそるべし!
空海先生の『弁顕密二教論』を
しみじみ読むことにする。
しみじみ
しみじみ
読んでいるうちに
『守護国界主陀羅尼経』という経典が出てくる。
お!図書館からちょうど借りてるのだっ!
ラッキー!とばかりに
こちらも開いて読んでみる。
え?!ものすごくむずかしい。
読んでるうちに、おかしな感じになってくる。。
空海の『弁顕密二教論』にもどっても
なんとなく、おかしな感覚がする。
ものすごくふかい。。。ような気がする。
だって、
経典みずから、空海みずからが、そう言ってるんです。
むずかしいっ、ってね。
なんと、あの龍樹先生が、一瞬色あせてみえるほど
何か難解で微妙なことが書かれているようだ。
まいっちゃうわね。
密教は、さらにむずかしい世界なのか。
まずい、まずいわよ。
それじゃ、
はまっちゃう。
龍樹をある程度やったら
ニヤーヤ学派にもどる予定だったのよ。
ああ、このままずるずる
大乗・密教といくなんて
まずいっ
けど
行くな、こりゃ。。。
あり地獄にはまった蟻のようだす。。ぬ、抜けられない
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» 仏教における「子平」の効用 [南華のブログ]
「子平」は、日本ではもっぱら「四柱推命」と呼ばれ、単に占いの一種としてしか認識されていませんが、南華密教では、「記号類型学」とか「人生性型理学」などの言い方で、「子平」をはじめとする「干支」や「易卦」による術数を扱います。
そもそも仏教にとって、「子平」はどのような効用があるのでしょうか。
『中国子平命学大系基礎編』(張耀文・掛川掌瑛著)「序論」より
◎「子平」の効用 (引用開始)
人間の考え方のなかに、「先... [続きを読む]
受信: 2007/02/21 09:20


コメント
oさま
> どうやら護法尊に導かれてやりたいと思っていた仕事が、ありえない形で舞い込んできそうです。
それはよかったですね。日々の精進の賜物ですね。
> 弘法大師は、すばらしい化身です。
まったく!です。龍樹以後で、ここまで龍樹をつかんだ人を見たことがありません。
第一義諦の龍樹論理学を簡単にマスターしてしまい、その次の大乗の発展した論理展開に軽々とついていっています。そこで、自由に独自の理論を組み立てています。ちょっと見たところでも、その論理にスキがありません。
弘法大師のいる世界は、まだあまりよくわかりませんが、世俗諦の論理の世界とも通じているようです。
世俗諦は、「あるがまま」という特徴を生かした縁起の世界なので、ニヤーヤ風の論理学が用いられますが、空海流の縁起の世界は、もっと「あるがまま」世界の抽象の度合いをアップさせたような印象です。
だから、もっと、レベルが高いような感じがします。
何か、密教化することじたいが、レベル・アップの必然の結果という気もします。あまりうまく言えません。
今、空海先生の目で『方便心論』をながめるというのもやってみてますが、まったくちがった書物に見えてきはじめました。
いやはや、名前の残っている仏教人は、トンデモない人ばかりです。並みの天才を超えている。
> きつくなるのは我が壊れる過程なのではないでしょうか。なんちて。
壊れてしまえば楽になるのかな。
あまいぞ。ですね。
投稿 管理人エム | 2007/02/28 23:25
エム先生、まずまずでございます。どうやら護法尊に導かれてやりたいと思っていた仕事が、ありえない形で舞い込んできそうです。
弘法大師は、すばらしい化身です。たぶん、聖徳太子、源信菩薩、法然上人より優れた化身だと思ってます。
インドではシャーンティデーヴァ、
チベットではグル・リンポチェ+ギャワ・ロンチェンパ、
中国では仏図澄+法蔵に相当するのではないかと思ってます。
> 龍樹をほんとによく知っていますね。ビックリしました。
> 因明を無視するのは、なんとなくわかります。他の方法を用いているので、いらないのでしょう。
よろしければ、ご解説ください。
『ニヤーヤコーシャ』『インド論理学史』のご教授ありがとうございます。やめときます。
きつくなるのは我が壊れる過程なのではないでしょうか。なんちて。
仏教にかかわる人みんなが、えらいとは思えませんが、いい意味で名が残っている方々は、
たいてい比較にならないぐらい偉いと思います。
Oberhammerもカール・ポッターも高い! どっちかといえば カール・ポッターかな。
インドが経済成長しちゃうと、インド本も買えなくなっちゃいます。
> インド論理学をおさえる鍵は、じつは、どこにも名前が出てこない龍樹をおさえることだと思っていますが、
> それは、世界中の誰もまだ認めてくれていないことです。
楽しみにしております。
ところで経験科学や物理学の方が、縁起や無我、ブッダ論理学に接近してますね。
アブダクションを持ち出さなくても、発見や飛躍は、ブッダ論理学を使用していることが明らかなようです。
少なくとも、西洋論理学ではインチキは検証できても発見はできないように思えますが、
まだ全然論理学に入ってないので、ただの直観ですが。(^_^)
投稿 o | 2007/02/28 22:21
oさま
『ニヤーヤ・コーシャ』についてですが、ナヴィヤを専門にする人の用語集と思ってもらった方がよいかもしれません。一般書ではないので、ちょっと使いこなすのがむずかしいです。
用語集としては、OberhammerのTerminologie der fruhen philosophischen Scholastik in Indien 二巻本があります。
おそらく丁寧な仕事をしているのだろうと思いますが(今さらなので、ほとんど使ってない)、『方便心論』については、トゥッチの還梵をあげるなど、資料が古くて。。。
論理学研究を進める方が先なのでは、と思ったりします(すみません)。
あと、カール・ポッターのEncyclopedia of Indian Philosophies の第二巻が、ニヤーヤ・ヴァイシェーシカだったと思いますが、わたしはこれをよく読みました。今ちょっと見あたらなくて、探してますが、二巻でよかったと思います。
第六巻がナヴィヤ・ニヤーヤについてです。
インド論理学を概観できる人は、これまで出てきたことがないのではないでしょうか。
『ニヤーヤ・スートラ』の本格的な研究はなされたことがないのです。
ニヤーヤ・ヴァイシェーシカに強いパンディットは、仏教を知らない。ナヴィヤを専門にすると、古いニヤーヤがわからない。ナヴィヤ以前の後期のウダヤナあたりもまだこれからです。仏教論理学の専門家は、ニヤーヤがわからない。
インド論理学をおさえる鍵は、じつは、どこにも名前が出てこない龍樹をおさえることだと思っていますが、それは、世界中の誰もまだ認めてくれていないことです。
すべてが、これからですね。
投稿 管理人エム | 2007/02/27 10:08
0さま
ご無沙汰しております。お元気でしたか。
> 密教に立ち入るのは危険ですよ。
どうもそのような感触はひしひしと感じます。
たぶん、あまり立ち入らないのではないかと思っています。立ち入る場合は、それなりの覚悟がいることは分かります。
> といいながら弘法大師を読むなら勝又俊教先生の『弘法大師著作全集』をお勧めいたします。
あ、どうもありがとうございます。
> 因みに弘法大師は多分意図的に因明を無視しておられるようです。
弘法大師は、すばらしい人ですね。龍樹をほんとによく知っていますね。ビックリしました。
因明を無視するのは、なんとなくわかります。他の方法を用いているので、いらないのでしょう。
> 最近思ったのがパース起源で認知科学などでいわれるアブダクションがブッダ論理学にかなり近いのではないかとか、
うううん、そうですねぇ。。。話せば長くなりそうですが、たしかに、因果的なものをなんとか、みずからの論理学の中にも認めようとしているように見えます。
論理の破綻を度外視しても、現実と向き合おうとする勇気ある行動かもしれないと思います。
言いたいことは、いっぱいあるけど、温かく見守りたいと思います。変な意見ですけど。
> アビヤンカル『ニヤーヤコーシャ』とヴィデヤーブーシャナ『インド論理学史』は、どないでしょうか?
『ニヤーヤ・コーシャ』は、検索資料としては、まぁ使えます。そのまんま、いろいろな文献を引用していますので、かなりよく知っている人だと調べ物には便利です。ナヴィヤの方面を探るときに、よく使いました。
ヴィデヤーブーシャナ『インド論理学史』は。。。やめておいた方が。まるきり信じないで読むなら、ときたま参考になるところもあるかもしれません。
わたしは、そういう読み方をしました。信じて読んだらひどい目にあいます。
唯識は、サーンキヤですねぇ。
ヴァイシェーシカと部派は、ちょっと相互に影響しあったところもあるかな、と推測しています。まだ、はっきりと跡づけられるわけではないのですけど。
> それにしてもエム先生は、もう行者の世界に入っているような気がするのは私だけではないでしょう。
そうなんですか?なんか、ずんずんしんどくなりますよ。もう、こんなにきつかったっけ、って思いながらやってます。
ブッダがえらいだけじゃなくて、仏教にかかわる人みんなが、えらいんですね。
投稿 管理人エム | 2007/02/27 01:56
エム先生、お久しぶりでございます。
密教に立ち入るのは危険ですよ。サマヤの問題があり、護法尊が監視しております。怒ると怖いらしいので。
といいながら弘法大師を読むなら勝又俊教先生の『弘法大師著作全集』をお勧めいたします。
伝記にしても古いものの方がよいと思います。因みに弘法大師は多分意図的に因明を無視しておられるようです。
そして弘法大師は、チベットのギャワ・ロンチェンパと並んでブッダに限りなく近いボサツなのではないかと思っております。
最近思ったのがパース起源で認知科学などでいわれるアブダクションがブッダ論理学にかなり近いのではないかとか、
脳科学では「私たちの周囲では数えきれないことがたえまなく起こっていて、そのうち意識にのぼるのはほんの一部にすぎず、残りはつかのまのエネルギー変化として入ってくるだけで、何の印象も残さない」というようなことを言うそうですが、これは前にいった「無常な行が縁起して諸法として顕現する」に近いのではとか、です。
アビヤンカル『ニヤーヤコーシャ』とヴィデヤーブーシャナ『インド論理学史』は、どないでしょうか?
それと陳那、法称がニヤーヤの影響を受けたものだは、私も言いましたし、普通に読める人はみんなそう思ってるんじゃないでしょうか?
ただ論証するのが大変だから、言わないだけで。そういえば今西先生が唯識はサーンキャの影響を受けたものだと断言されてましたし、
有部の考え方は、ヴァイシェーシカですよね。
それにしてもエム先生は、もう行者の世界に入っているような気がするのは私だけではないでしょう。
投稿 o | 2007/02/26 23:07
春間さま
さっそくありがとうございます。
ヒマカナにあげていただいたキリスト教と仏教とのかかわりをめぐるお話とあわせて読んでいます。
興味深いです。
般若三蔵が、景教の僧景淨と共訳した『大乗理趣六波羅蜜経』にかんするいきさつは、Webサイトには詳しいですね。
『守護国界主陀羅尼経』の解題では、「大いなる日の教え」を意味する「景教」という名称は、密教の「大日の教え」の勢力を利用しようとしたためかもしれないとありました。
密教は、準備万端の春間さまでもむずかしいのですか?!
じゃ、わたしは、『十住毘婆沙論』から、そろそろ出かけてみましょうか。
『理趣経』は、やっぱり、だいぶむずかしい。
大乗は、なが~い旅の道ですね。
あせらずテクテク歩く道。
投稿 管理人エム | 2007/02/21 09:13
WEBサイトにこんな風に、般若三蔵の記述があります
http://www.h5.dion.ne.jp/~kame33/kame8.htm
密教経典は、読むのに大変だと思いますが
( 私が、難儀しているということです )
(国訳一切経 密教部全巻その他諸々、、、
準備万端なのですが、、、、、)
エム様の場合、華厳(十地)から順に辿ればよいのでは、、、
龍樹の十住毘婆沙論からでも良いかと思いますが、、、
案外、理趣経 が近道(?)のような気がします
( >なるべく省エネで行く作戦ですね )
投稿 春間 則廣 | 2007/02/20 22:59