管理人、ゲーデルと龍樹を食す
数日前に
「いつも元気そうですね」と言われた話を
日記に書いたら
その後
たちまち
寝込む。
どうしてか、わからないけど
ウィルスのようだ。
「元気そう」と書いたから
ウィルスが目覚めたのかな?
しかし、それだけではないような気がする。
ここのところしばらく
林晋、八杉満利子両氏の
『ゲーデル 不完全性定理』(岩波文庫)を
しみじみ読んでいました。
掲示板「マニカナ道場」での、muさまの投稿
(「 友人としてのヒルベルト」
記事No : 2042
投稿日 : 2006/10/01(Sun) 17:58)
この投稿に触発されて
ずっと考えなければならないことが
あるように思っていましたが
それが何だかわかりませんでした。
龍樹の調べ物をして、
研究書を検討しながら、
『廻諍論』を読みました。
それとあわせて、
ゲーデルの定理をぼちぼちひもときながら
林・八杉両氏の解説を地味ィーに
辿っていたら
突然昏倒したもようです。
完全にわたしの限界を超えてるようだ。
龍樹とゲーデルなんて
ウナギとスイカの食い合わせみたいなもんでしょう。
お腹こわすかわりに
おつむをこわしました。
***
この『ゲーデル 不完全性定理』は、
とてもいろいろ考えさせられる本です。
くりかえし読むことになりそう。。
【著者の二人の苦労について】
ヒルベルトの発表したものだけでなく
彼の残した「数学ノート」を丹念に解読し
また、同時に
彼をめぐる人々との応酬の中から
彼のめざす目的やその真意を見つけようとする
著者たちの姿勢には感銘を受けます。
数学の歴史研究は、数学の業績の(歴史的)解釈です。
1-2年で終わる予定だったそうですが、
両氏は、それに10年もかけることになってしまいました。
おそらく膨大な研究結果があることと思いますが、
それをこの一冊に凝縮するのはたいへんなことだったろうと思います。
わかりやすく述べようとしながら、
しかも厳密であろうとする
著者魂と学者魂の葛藤が
透けて見えて
つらさがしのばれます。。
読んでる方としては、
もっと専門に入ってもいいから
丁寧に説明して欲しいと思ったり。。。
主要人物以外のほかの登場人物のエピソードは
略してもいいかなんて
無責任に思ったり。。。
すみませんです。
一大歴史読み物でありながら
数学理論の普遍的テーマを
語るわけだからなぁ。
言い換えれば
付法の因縁物語
プラス
経・論
これらをあわせて語るに等しい。
一冊の中でかたるには厳しい。。
***
ヒルベルトの「可解性」への信念が、
19-20世紀の数学基礎論の中で
通奏低音のように流れるなか、
人々はそれにあわせて踊った。
ヒルベルトがいなければ
ゲーデルも出なかった。
ゲーデルの不完全性定理のような業績は
それ以前に
それを衝撃として受けとめるだけの知的な成熟が
なければ
けっして出てこないものである。
何を言いたいかというと
「一切智者」の眼をもつような
そんな知的な構造を模索していなければ
あいかわらず
気づかれなかっただろうということなのです。
目的をもち意義を見いだす人々だけが
その重要性を認識できる。
その意味で
ゲーデル以後というのはどうなのだろう
と、ちょっと思ってしまう。
解説する林・八杉氏は、
純粋数学化の方向に向かい
重要な研究成果が続々あらわれていると
楽観的に述べてるようにみえます。
何か嵐が去って一件落着といった
感じもただよいます。
過去の遺産という視点が入ってますか?
わたしは、詳しい研究はまったくわからないけど、
何か研究があまりに専門的に細分化されて
小粒にならなければいいがと案ずるのです。
「一切智者」の眼を忘れずに
数学が進みますように。。
無矛盾であることに執着しすぎると
どんどん小さく小さく穴にもぐるのではないかと
心配したりするのです。
以上、この本の「最初の」感想でした。
***
ええっと、それで、龍樹本ですか?
はぁ、トンデモないことになって
進展中。
だいぶ書き直したので、30%くらいかな。
だんだん自分がわかっているのかわかっていないのか
よくわからないようになってきました。
龍樹と同じ
「一切智者」の眼が
欲しい。。。す
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