管理人、論理マントラを唱える
こんにちは!
っつうのも、おかしいすかね、日記なのに。
今、アクセス解析見たところだから、
意識が、見てくれた人に向いてるのよ。
えらいなぁ、こんなブログ読むなんて…
つまんなくないすかっ?
話題に乏しいし、人生波乱もないし…
もうちょっとチャングムなみに
紆余曲折の人生なら…
いや、日記どころじゃないすね。
あら、管理人!また、牢屋に入ってんですかい、
なんてことになりそうですわ。
(最近、家族がはまってしまってるのよ)
さて、何の変哲もない人生ですが、
今日は、書くことがいくつかあるのです。
バングラデシュの
ユヌス氏とグラミン銀行が、ノーベル平和賞をとりました。
これはすばらしい!
ノーベル平和賞の選考委員を誉めてあげたい。
わたしも、前に、テレビでグラミン銀行の活動の様子を見て、
とてもいいと思いました。
貧しい農村の女性に無担保で小口の融資をするのです。
女の人は、働き者でまじめだから、というか、
わりと細かいところまで気がつくので
小口の融資は、とても有益です。
わずかな融資を大きく活用して、有効利用できます。
堅実だから、危ない橋を渡らず、
着実に一家のために生産的に使います。
テレビを見ていて
もし、わたしがバングラの農村で主婦やってたら
ええと、「何にどう使うかな」と
けっこう夢いっぱいに
お金を借りることを考えてしまいました。
女性のアイディアと力を生かす
とてもいい方法だと思います。
このような地道な女性パワーは、
ひいては、
地球滅亡 を救う道ともなるだろうと…
なぜか
とつぜん思うのだった!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、さて、龍樹本…
なかなか辛い展開です。
ほんとは、わたしの考えだけで書くなら
とっくに書けてるような気もするけど…
今年、研究整理のために、あれこれ先行研究を読み始め、
それに苦しめられてます。
先行研究を自分の研究の後に読むという
こういうやり方をしなければならないのが
龍樹研究の
ふつーじゃないところです。
ふつーは、先人の研究を押さえて、その上に
自分の研究を重ねていけば
無駄もないし、有効な結論を導けるはず。
ところが、龍樹研究だけは
そうはいかない。
論理の基盤がちがうと
先行研究は、混乱や錯乱のもととなるだけで
百害あって一利なし
ということになってしまう。
こんなことを書いては失礼かと思うけど
仕方ない。
ブッダ論理学が現代論理学から
ぼろくそに言われるのと
同じことがおこるのです。
現代論理学から見ると
ブッダ論理学は誤解の産物となりますが
逆に
ブッダ論理学から見ると
現代論理学(西洋論理学)は誤解の産物です。
つまり
西洋論理学的な立場を抜けられない研究は
ブッダ論理学の上に立つ龍樹の論理を
誤解しまくるのです。
今年は、このような誤解の諸論文・諸研究を
読んでいたので
ほんとに苦しかった…
ほんとによ
で
あまりに苦しいので…もうやめました あらら
苦し紛れに
ちょっと文句でもいってみっか
龍樹っ!
誤解と混乱を招いたチョー本人だぞ
あんたが悪いっ、
っと、言ってもねぇ
ほんとはそんなことはないのだ
と
チョー幸せだった龍樹研究の日々を思い出す。
龍樹としては、
思いっきり、まじめに、親切に、わかりやすく
書いてるんだわよ、本人としてはね。
だけど、
読んでる方が、それを逆に逆に解釈して
勝手に混乱してしまう…
あんまり誤解の研究を読んでると
わたしもときどき龍樹の論理学を忘れそうになる
ミイラ取りがミイラになりそだ
論理というのは
ほんとにこわいものだ。
考えの基本に
『あたりまえ』
としてあるのだけなのだが
あたりまえでないことは
考えられないわたしたちは
あたりまえが
『あたりまえ』で
あることに気づかない。
あたりまえは
『あたりまえ』という論理に基づいているのです。
だから
あたりまえでない世界では
(その世界の)あたりまえは
『あたりまえでない』という論理に基づいている
ということを
知らずにいるのだ!
では、そんな無痴・無明のあなたに送る
わたしからの愛!のメッセージ
ありがたぁーい「論理」の呪文(マントラ)を
どうぞ!
あたりまえの世界では あたりまえでないことはあたりまえでない
あたりまえでない世界では あたりまえでないことはあたりまえ
だから
あたりまえの世界のあたりまえでないことは あたりまえでない世界のあたりまえ
あたりまえ世界のあたりまえは、あたりまえでない世界のあたりまえでない
この大明呪を
信じて
唱え
拝めば
あなたも
たちまち
龍樹研究の大博士っ!
まちがいなしよ
(どうしてこういう展開になるのかなぁ
出だし、まじめにはじまってんのに)
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