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2006年9月10日 - 2006年9月16日

2006/09/15

食欲の秋

昨日、仕事帰りにデパートで筋子を買いました。

筋子(すじこ)というのは、鮭の卵です。
秋だなぁ。

いくら ともいうかな。
これをばらして
酒と醤油につけて一晩おくと
とてもおいしい。

いくらでも、いくら、食べられます。

ご飯が見えなくなるほど
かけて食べるのが
コツ!

「最近1時間目で腹へるんだよ」と
のたまう
息子は
どんぶり、お代わりして
がっこにいきました。

どうだっ!
これなら
さすがに
大丈ブイ(^_^)V

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2006/09/13

読書三昧

知らないうちに秋の気配になってきました。
最高22度、最低11度の、半袖が心地よい気温ですね。

昨日は、ちょっと調べものをするつもりで
『大智度論』を開いたのが
まちがいのもと。

そのまま、読みふけってしまう。

開いたところ、
どこを読んでもおもしろい。

いろんな問いがあって、
答えも載ってるんだけど

わたしだったら、ここはこういう論理で
説明できるかな
と思うところ
『大智度論』作者は、あえて
論理を使わないで
ブッダの教えを上手に引いたりして答えている。

わたしには
龍樹の論理が透けて見えるけど

けっして作者はそれを出さずに
わかりやすいたとえ話や引用で
全部通しているところが
すごいなぁと思う。

ほんとにみんな
作者は龍樹じゃなくて
鳩摩羅什だと思ってるのかしら?

うーん、龍樹だにゃ~~!
これだけの教えの内容を
これだけのヴァラエティをもって
これだけの譬喩や例えで

「矛盾が一つもなく」

語れるのは

龍樹!

君だけだ

ブッダの教えから
部派の解釈
他学派の論
大乗の無生法忍にまで
至るんですよ。

全部わかっているということだよね。

これ書いた人は
一切智者ですよ
文字通り!

圧倒されて一日が暮れました…
進んでないなぁ、龍樹。。
しかし
30%くらいにしておこう。。いい加減なヤツだわ。

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2006/09/11

仕事寂滅の涅槃をめざせ

アクセス数: 25 (前日値:163)
訪問者数: 17 (前日値:98)

おお、なんと!昨日は、アクセスが163もあった。
訪問者数が、98人!
すばらしい!

がんばって、今日もなんか書かなくちゃ。
ここ一週間は、龍樹に没頭できるので
精神的に
ひっじょーに安定している。

わたしは、サンスクリットを読んでいるときが
一番幸せだということが
わかっているのよ。

ペンギンどのは、(ばらしてもいいかの)
実は
仕事してるときが
一番幸せなのだそうだ。

昔は、仕事しすぎて
書くことがなくなったら
どうしようと思ってたそうですが、
それはまちがいだったと
おっしゃっていましたよ。

書けば書くほど
書くことが増えていく
書かなきゃならないことが
どんどん出てくるんだそうです。

ははは、ペンギンどの、それ
ワーカホリックっつうもんじゃないですか

なんて、のんきにコメントしてたら
キツイ一言がかえってきました。

そんなこと言ってるけど
管理人さん!
あなたも
すぐ
そうなるから、
まぁ、見ててごらん、
じゃ、ね。

え?!
うそ … そんな …

まずいこと思い出しちゃった
仕事増えるのは、いやよ。。

せっかく安定してた精神が。。
一気に乱れるわね。

よし!今日のテーマ

戯論寂滅に
とり組もう

ついでに

仕事も寂滅したい。。。。

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2006/09/10

楽あれば…甘いぞ!楽無し

朝は曇り。日曜日。

いいわね…

何が?

日曜日ってこともあるけど

『中論』って、いいなぁと思って

ちょっと、日記に書いておくのよ。

*******

『中論』は、偈頌の部分は、龍樹作といわれている。

これに反対する人はいない。

そりゃ、そうだわ。

龍樹から『中論』の偈頌をとったら、龍樹、ゼロ(空)になっちゃう。

+++++++

『中論』でありがたいのは、サンスクリット語のテキストがある
ということだわ。
(仏護のサンスクリットのテキストも見つかったそうですし)

心が穏やかになるわ、ほんと。
何が楽だって、サンスクリット語があることほど
楽なものはない!

#######

これまで、『方便心論』は漢訳一本だったから
ものすごくたいへんだった。

一応、仏教漢文、という伝統的な読み方が、
通俗的には知られていて
それにならうことが多いけど
これは、「確かである」という読みの確証は得られない。

他にも読みの可能性を秘めていて
何とも言えないことが多い。
だから、他の文献との比較研究などが有効なんだけど…

『方便心論』の読みを決定づけたのは
やっぱり
わたしのサンスクリットの知識だった。

サンスクリットが漢字の中にみえたとき、
「わかる、わかる」
という感触をつかんだのだった。

ま、それも過去の話だわ。

~~~~~~~~~~~

パーリ語も、ある意味、サンスクリット語から
入っていくことができる。
俗語にあたるから、サンスクリットを知っていると
とても楽。
でも、これにはこれの独特のむずかしさもあって
パーリ語は、深く入っていくと
サンスクリット語の及ばない部分が出てくる。
まだまだですわ。

==========

で、最後に、サンスクリット。
これは、もう、六派哲学をやってる人なら
常識の言語!

ダルシャナ(学問)が用いるあらゆる単語・語句と格闘し、
血を流し、肉を切り、骨を断ち、したボロボロの
惨状が、今ここに… 

 よみがえる!

あ、よみがえらなくていい…

しかし、その経験が『中論』を読むとき
こんなに生かされるなんて思いもよらなかった。

『中論』は、あらゆるダルシャナの濫觴(らんしょう)。
そして、
あらゆる経典・論書の集まるところ。

学問や思想の交差点。

サンスクリット語のおかげで
いろんなものがよく見える。

¥¥¥¥¥¥¥¥¥

で、今のところ、もっとも難儀なのが
チベット訳…

これはねぇ、もう、しばらくぶりだから
よちよち歩きの赤ちゃんみたいな感じ。

少しづつ思い出してはきてるけど、
リハビリは時間がかかってのう…

せっかくのサンスクリットの癒し効果が
チベット訳見ると
相殺されちゃうのよ。

&&&&&&&&&

ほんとっ!
世の中って、うまくいかないわねぇ。

楽な人生って、絶対ないようにできてるのよ、
みんな、知ってた?

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