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2006年9月3日 - 2006年9月9日

2006/09/09

ざっつ、雑感!

例によって、アクセス解析です。
はじめの数が訪問者数であとの数がアクセス数です。

2006年9月2日(土) 42,94
2006年9月3日(日) 42,82
2006年9月4日(月) 42,83
2006年9月5日(火) 57,98
2006年9月6日(水) 46,95
2006年9月7日(木) 43,91
2006年9月8日(金) 36,67

みなさま、ほんとゴメンだよ。
ほとんど更新してないのに、
きてくれて…

えらいわ、ほんと

って、感心している場合じゃないですわね。

それに
例のブツですが…

じゃなくて

例の仏ですが…

でもなくて

例の龍樹ですが…

進んでますか?

自分で自分に聞くな
っつうの。

進んでるも何も
『中論』読んでるわよ。

『方便心論』もそうだけど
読んでも読んでも
読み切れてないところがたくさんある。

『中論』も
今回は、枠組みと部分で、本がいっぱいになっちゃいそう。

『中論』は、でも、『方便心論』より
だいぶわかりやすい感じだわね。
多方面に拡散しないもの。

チベット訳の註釈『無畏論』を、
龍樹の註ではないと思っている研究者は
多いんだけど
なぜかしらね。

チャンドラキールティとか清弁とか
他の注釈者の註で読んでしまうからかしら。
もの足りないようにおもうのかなぁ。

ぜいたくよね、
っていう問題ではないけどね。
わたしと一緒の考えの人がなかなかいなくてさびしいわ。

『中論』は、偈頌だけでも読めることは読める。
『方便心論』の論法と
仏教を知っていればだけど…ここが問題だ

仏教知らないわたしは、もうたいへん。
いちいちパーリ仏典探ったり、漢訳さがしたり、
頭ン中のわずかな経典を思い出したり、
すんごいことになっとるだ。

親を恨んでも仕方ないけど
何で、子どもの頃
わたしを寺子屋にいれてくれなかったんだろ!

寺の子屋で、お経でも暗記させてもらえば
一発だったのに。

寺子屋?
そういうもんでしたか?
あったんですか、寺子屋?

ははは、ま、ま、かたいこと言わずに…
小学校に入ったのが、人生のまちがいだった
と、今気づくのだった。

だけど、

そのまちがいを正し、さらに、おつりまで来るのが
じゃーん!
この
『無畏論』なのです

…そうですか…

あら、しらけてますか?
これがあると、時間短縮されてありがたいのよ。

わたしが「こうかなぁ、どうかなぁ」と思うと、
『無畏論』に
「やっぱりそうです」
と書いてある

「こうかなぁ」と思うところだけに
註釈がついてて、
分かりきったところには註がないから
無駄がないのもいいや。

こんなにフィーリングあうんじゃ
龍樹も、ひょっとして、

あせあせ主婦やってたんじゃないかと…

思うなっ!

じゃ、仕事はじめ!

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2006/09/04

「考える」を考える

先週は、毎日数回大きなため息をつきながら
過ごしました。

夏休みの課題が残っておったのよ。
ダンボ-ルの答案をとうとうやっつけた。

楽しい答案は、今年は少なかった。
みんなに自分で考えて書くのよ、って言ったのにぃ~。

誰だ、つまんないあんちょこ流したのは。
テストつける楽しみがなくなっちゃった。
おんなじ解答がぞろぞろ。

いろんな考えに出会うから
これを心の支えに
答案つけてるのだわよ。

でも、一人、えらい子がいた。

なんでも整理法で
「どのような整理の仕方をしてますか」って訊いたら
ほとんどの子は、タンスや机の整理、教科書、ノートの整理など
詳しく書いてくれた。
その中で、その子は頭の中の整理について書いてくれたのです。

その子は、
わたしは、いやなこととか困ったことなど悩み事があると、
それをノートに必ずつけます、書いてくれました。

それも、いやなことでもなんでも包み隠さず正直に書くのだそうだ。

全部書いたら、少なくとも二回読むのだそうです。
書いてみると、自分で何を考えているのかわかって、
自分の考えを自覚し整理できるとありました。

そして、そうすると、
なんてちっぽけなことに悩んでいたんだろうと、
いう気がして、悩みから抜け出せるのだそうです。

えらいぞ!
すばらしい!

やはり、ちゃんと書いてる子は、
他の記述式の問題も苦もなくこなして
毎日頭を使っていることがよくわかります。

どんな困難も、この子なら切り抜けていける、ねっ!

大人も見習わなくちゃねっ!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

考えたことを文章にするのは
とてもよいことだと思う。

自分で考えたことは、文章にしてはじめて
自分で自覚できる。
つまり、そこから本当に
「考える」ということがはじまる。

「書く」というのは行為だからね。

「考える」というのは、ただ頭の中だけで
行っている行為なのではないのね、きっと。

「考える」というけど、そのこと自体は、
実態がないような気もする。

必ず、次に「書く」とか「言う」とか「行動する」とか
そういうものをともなってはじめて
「考える」と言われるようなことが
表面に表れてくるような気がするな。

そして、表面に表れてこないと
「考える」とも言われない。

ふうん、なるほどね。

となると
たとえば修行も、この「考える」を引き出すための
ものだろうね。

「考える」+「修行」=「考える」
「考える」+「書く」=「考える」
「考える」+「言う」=「考える」

こんな感じかしら。
左辺の「考える」は無自覚で
右辺の「考える」は自覚的。

まぁ、こんなもんにしておこ。。。

ところで
今日書いたこと
「考える」
に入るとおもう?どう?

疑問ですね?????

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