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2006年1月15日 - 2006年1月21日

2006/01/15

ヴェサリウス

ここもご無沙汰でした。

「悲観は禁物」を書いたとき、
まだ三つくらい書くことがあって
毎日更新できるな、って
余裕でいたんだけど

何だか、いろいろ書き込みしたり
メールしたり
本読んだり
調べ物してる中に

忘れてしまいました。
きれいさっぱり!

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
で、今、わたしが読んでるというか、眺めてるもの

芸術です
詩です
歴史です

こんな要素が、あふれかえる

医学書です。

ヴェサリウス・中原泉(訳)『人体構造論抄 
─ヴェサリウスの the Epitome─』(南江堂)

「考える骨格人」と題して、

骸骨くんが、墓碑を机代わりに
肘をついていて、
もう一方の手で骸骨をもてあそんでる

そんな精密な版画がついています。

ほんとに、すんばらしいですぅ!
芸術であり、学問であり、というものだと思います。

この『エピトーメ』といわれる書は、もう一つ別の
『ファブリカ(構造)』と通称される書を、
簡潔にしたものと考えられます。

この『ファブリカ』とは何か?

では、泉先生、お願いします。

(泉先生の「序」)
「近代医学は1543年、Andreas Vesaliusの
『人体の構造に関する7章の書』によって開かれた。
the Fabrica(構造)と通称されるこの名著に関しては、
古今東西、語り継がれ語り尽くされているといっても
過言ではない。」

ヴェサリウスという人は、当時、キリスト教では禁忌とされていた
人体解剖に没頭して人体の内部構造を精査したのです。

その緻密な観察力には、圧倒されてしまいます。

そんな人体の内部に分け入って、
いろんな臓器や組織を見つけては
ひとつひとつ名前をつけていくわけですよね。

名前は、その人が観察した証拠となる。
細かく名前がつけられればつけられるほど
観察の緻密であることがわかる。

それは、人体の外部、つまり、
わたしたちが目で見てわかる部分にも及んでいて、
人間の身体をこんな風に描写できるのか、と
驚いてしまいます。

例えば、顔の描写だって、とってもビックリものです。

「額の下の部分はやや突き出していて、
境目として毛の植わった2つの眉と、
それらの中間部[眉間]とによって区切られている。
これらの下に眼がある。眼は、上下の瞼によって
保護される。瞼が互いに合わさる箇所は、
ちょうど船の櫂のようにまっすぐでていて一列に並んだ
毛で飾られている。これは睫毛とと呼ばれる。」(p.66)

のように続いていくのです。
いちいち、自分の顔で確かめながら

「ごもっともです」

とうなずかざるをえない。

こういう説明を読むと、
わたしたちは、自分の顔においてもさえも
何か大事なものを見落としているのではないか
っていう気もしてきます。

ずっと、こんなことを考え続けていたら
最近、慣れないせいか、耳鳴りがしてくる…

観察力と思考力の限界、超えてるらしいです。

なんというあいまい、かつ、漠たる世界の中で
「自分はものを見てる」と錯覚しながら
暮らしてきたんだろうと思うのでありました。

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