出家したい管理人ですが、果たせず、
この世でシュードラやっております。
で、
この前ご紹介した
スマナサーラ長老・藤本氏
『ブッダの実践心理学』第二巻、心の分析
を、熟読玩味しているのです。
心の中ではもうすっかり「とりこ状態」なのですが、
ひそかにラブ・コールを「念」「念」と送るだけにしているのです。
で、
気がつきました。
わたしって、
「念僧迷走」、おっとっと、「念僧瞑想」
やってたんだ。(pp.201~3)
スマナサーラ長老さまは、
智慧第一のサーリプッタの念僧瞑想を
なさっていたわけですが、
あたしの場合は、ブッダやったり、龍樹やったり、
龍樹やったり、龍樹やったり、ブッダやったり、龍樹やったり…
頭の回路壊れてますよぉ、管理人さん
あ、ゴメン!龍樹やったあと、アクシャパーダにも挑戦したり、
それこそ、「念僧迷走」もしたのです。
で、
スマナサーラ長老さまは
「わたしが何の困難もなく仏教を語れるのはサーリプッタ尊者のおかげです。
人がどんな質問をしても、仏教に対するどんな疑問が生まれても、
『あ、この場合はこう答えればいい』と、瞬時に頭に浮かんでくるのです。」
(p.202)
と述べています。
ここよ、ここ!わたしの知りたかったのは。
長老さまのたくさんの著作群の謎が一気に解けました。
いつも、「どうしてこのように答えられるんだろう」と
不思議で不思議でなりませんでした。
氷解!氷解!
正直なところを言いますと、
答えには、それぞれのお坊さんの個性が光ります。
お坊さんの智慧があふれます。
その中でも、スマナサーラ長老さまのあふれ方は半端じゃないです。
そのまんま、ブッダじゃん
と
感心してしまうのです。
そうか!やっぱりなぁ。
ものすご~~い智慧だと思っていましたが、
やはりものすご~~い智慧だったのね。
はあぁ~~。
もう同語反復しちゃうから。
やばいなぁ、って気持ちもわいてくるけど、
幸せだなぁ、って気持ちもわいてくる。
わたしの場合は、レベルは相当落ちるけど、
やっぱり龍樹!
龍樹ならどう考えたろう、どう答えるんだろう、
って、いつも思うわね。
で、
「あ、この場合はこう答えればいい」と、
瞬時に頭に浮かんで「こない」のです。
いや、浮かぶときもある、答えだけなら。
むしろよく浮かぶといってもいいかも。
ただ、そう答えることが
いいことなのかどうなのかが
よくわからない。
相手にダメージ与えたらどうしようと思うと
二の足を踏んでしまうし
龍樹は、ほんとうにはどのように言ったのかわからないので、
悩んでしまう。
これは、龍樹作品というのが「書かれたもの」であるためだと思う。
サーリプッタ尊者の話の場合は、
ほとんど伝承が「口誦による経典」にもとづくので、
臨場感をもってそのまま伝わる。
書かれた作品は、いくらかよそよそしいのよ。
欠点だわね。
現実にはどうなのかがなかなか見えてこないもの。
でも、わたしの読みが足りないだけかもしれないから、
「書かれた作品」には罪はないかもしれないなぁ。
仏教がどうやって伝わってきたか
知る鍵は、スマナサーラ長老さまにあるっ!
突然ですが、今日の考察を終わります。
智慧第一にはなれないけど
仕事第一管理人だいっ!
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