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2006年1月8日 - 2006年1月14日

2006/01/08

悲観は禁物

問題です。次の(1)~(5)の中に一つ仲間はずれがあります。
それはどれでしょう。
問題作成者の意図を「読んで」答えましょう。

(1) 本を読む
(2) 場を読む
(3) 字を読む
(4) 時代を読む
(5) 空気を読む

できたかな?
ヒントもあるから、簡単だったでしょ。

え?ヒントって?

やだなぁ。
「読む」という言葉の意味を示すヒントが
問題文の中にあるのよ。「読んでよぉ」、そのくらい。
で、答えは、どうですか?

わからない?しようがないなぁ。じゃ、答えます。
答えは、(3)です。

なんでかって?
わたしが、答えを(3)に決めてから問題作ったからです。

ばかぁ、そんなの答えになるかぁ。

わかった、わかった。
まじめにやるわ。
実は、「本を読む」という言葉の意味を考えていたら
問題ができちゃったのよ。

「本を読む」  これは一体何?
わたしたちは、何を読み取っているの?

「本を読む」とは

結局、自分たちの能力に応じて
「行間を読み取る」作業にほかならないのではないか

と、いうことなのです。

そこから考えると、
「場を読む」も
「時代を読む」のも
「空気を読む」のも
みな同じ、
そこにある行間を読み取る作業のような気がします。

んで、
「字を読む」のだけが

そのまんま、じゃ。

というわけ。

だから、正直に言えば、
「本を読む」のは
誰でもできることではないと思う。

「読む」という行為は
自分の生き方とか主体性とか
そんなもんが、反映されて出てくるんだから

主体的に生きてない人は
受け身でいる人は
流されて生きている人は

「本が読めない」

という結論にいたりました。

(おお、すばらしい!結論。
調子に乗って続けると)

で、一番読みにくい本は何か?

(お答えします)

やっぱ、聖書といわれるもんだろう。

一番主体性のあるもの(者or物)が、述べたものは
もっとも読みにくいはずである。

自分の主体度チェックに使えるわね。

だから、
仏典とか聖書とか

何度も読み返されて
そのたびにあらたな発見があるのね。

つまり、自分の「主体」度を自分で自覚するためのものだわね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

って、


こういうこと書こうとしたんじゃないのよ。
ほんとはさ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

書く側からするならば、
こういうことが言えるのではないかと
言いたかったの。

つまりね

書いたものは、
著者の意図をはずれて
いろいろ誤解されるだろう

それは、行間を読む人にかかっているから
仕方ないことだ。

でも、
ても、

本当に伝えたいと思う相手には、

その相手が不特定の誰かであっても、

「確実に伝わる」ってことだ!

って、言いたかったのよ。

言い換えれば、

確実に伝わった人が、伝えたかった人
ということかな。

だから、ほら、あなたよ
悲観してるあなた!

言ってることわかってもらえなくても
悲観することないわ。

人類が続くかぎり
いつかどっかに一人ぐらいはいるわよ。
無数の人の中には
一人くらいは、さ。

(とつぜん「あなた」登場)

(あなた)人類史上、自分以外にたった一人ですか?
はぁ~、書きつけた紙が風化しちゃう~かもです。
(うるうる、涙目)

しまった!
もっと悲観させちゃったかも。

空気読め、ってば、管理人!

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