« 2006年3月19日 - 2006年3月25日 | トップページ | 2006年4月2日 - 2006年4月8日 »

2006年3月26日 - 2006年4月1日

2006/03/31

研究を憂う

今日で3月も終わり。
明日から、恐怖の4月ですね。

仕事が束になってやってくる月。
これから、月月火水木金金の毎日。

ぶるるっ!
武者震いです。武者震い。

今週も、もうけっこう忙しかった。
忙しい合間をぬって、
机のまわりや下や本棚や床や床や床の整理整頓をしました。

何で、床が3回出てくるかって。
だって、床の上に本が積み重なって雪崩れて
机にたどり着くまでに
本の山をジャ~ンプしなけりゃいけないんだもん。

一番床の本の山が難所なのさ。

これから使いそうな本を本棚の前に出して、
今研究してない分野を奧に追いやる
という作業にいそしむ。

仏教本がどんどん前に出てくる。
中観・唯識のテキストがまぁまぁあるので、
ほこりをフッと吹き飛ばして丁重に扱う。
チベット・パーリのテキストを手の届くところにおいて
ニヤーヤのたくさんの本を後ろに追いやる。

ゴメンよ、ゴメンよ!
さよなら、さよなら!
ニヤーヤ、ヴァイシェーシカ、ナヴィヤ・ニヤーヤ。

何だか、仏教をやり始めて、研究人生変わったと思う。

ニヤーヤってのは、研究が少ないというか、
ほとんど全くないから、
なんでもかんでも全部自分ひとりでやらなきゃいけなかった。
要するに、テキストひとつと鉛筆いっぽんで
この世をわたっていかなかなきゃならなかった。
全部自分で読んで、自分で考えて、
自分で成果をださなきゃならなかった。

それが、研究っちゅうことだった。

それからすると、仏教研究はすでに研究だらけだ。
だから、一見すると、研究はチョーしやすい。
研究書読めば、何だか研究になってくる。

 ま…表面的にはね。

でも、本当は、ここはここでたいへんなのだ。
誰かが必ずもうすでにやってるんだから、
それをふまえなければ研究できない。
それ以上を出さなければ研究にはならない。

業績が出てしまった分野は研究されなくなってくる。
ってか、研究しにくくなってくる。
虚心に研究分野を眺めて、新たな発想で研究するなんて
至難のワザだ。

これまでの研究が積み上げてきた成果、
つうか
言い換えれば、研究の澱とも言うべき
仏教の固定観念の中に浸りきっているんだわ。

これは、きついなぁ。

サングラスをかけたまま生まれてきた人に、
サングラスかけてることに気づけ、って言ってもむずかしいよね。
仏教研究は、どうしても似たような発想で研究されてしまうわけか。

ニヤーヤの学問分野を眺めてきた、その目で
仏教の分野を眺めてみよう。

たくさんありすぎるくらいの研究がそろっているのに、
誰もいかない未開拓の仏教の領域も、また広がっている。

研究が全くない分野もやりにくいけど
研究があまりにも多い分野もまたやりにくいのです。

なんか平凡な結論だったわね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年3月19日 - 2006年3月25日 | トップページ | 2006年4月2日 - 2006年4月8日 »