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2006/12/12

世の中は、捨てたものではない話

毎日、物議をかもすようなことを書いているものだから
アクセス数が半端じゃなくアップしてまいりました。

では!公開。

昨日は、な、なんと
アクセス数: 254 (前日値:137)
訪問者数: 112 (前日値:65)

前日のほぼ倍近いアクセス数なのです。

よし!ますます、はりきって物議を…

おおっと、やめなさいィ、管理人!
ただでも、物議をかもすこと書いてるんだから
この先、はりきったらどうなることか、おそろしい。

そ、そうですか、
残念ね、では、少しおとなしめに、いきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ほったらかしで、つけていなかった試験問題の採点をする。
(ゴメンよ、ゴメンよ。試験問題くん)

パセーナディ王とマッリカー妃の有名な会話。
一番愛しいものをたずねるお話から一問。

王妃は、王から、一番愛しいものをたずねられて、
「自己」と答えます。
王は、王妃から、一番愛しいものをたずねられて、
やっぱり「自己」と答えます。

この答えを知ったブッダは

「心があらゆる方角にさまよい行くとも
自己より愛しいものにたどりつくことは
決してない
同じように他の人々にとっても自己は非常に愛しい

それだから自己を愛しく求める者は他を害してはならない」
(『サンユッタ・ニカーヤ』3・1・8)

と偈をもって答えるのです。
で、問題は、ブッダの最後の言葉
「自己を愛しく求める者は、他を害してはならない」
について、どう思うか、というのです。

いろいろな意見が、出そうにないなぁ、
って、思ってましたが、

なんとお!
いろいろ、出ましたのじゃ。。。

自分が自己を大事にするなら、
他人にも自己があるから、
他人も自己は大事である、とわかる。
だから、他を傷つけるな、は正しい。

自己愛は、他人への愛へ変化する。
他人を愛するのも、結局自分への愛なのだ。
他を傷つけるのは、自分を傷つけるのと同じだ。
だから、他を傷つけるな、は正しい。

自分にされていやなことは、他人にしてはいけない
これと同じことである。
だから、他を傷つけるな、は正しい。

王と王妃は、自己愛のかたまりだから、
よくない。国を治める者として。
もっと他人への思いやりをもたなければ
国を治めることはできない。
だから、他を傷つけるな、は正しい。

自己を愛する者は、他を傷つけるな
という、ブッダの意見は、いまいちだ。
自己を愛する者だけではない。
誰でも、他を傷つけてはいけないからだ。

「自己を愛する者は、他を傷つけるな」は、
そうかもしれないけど、そんなの小さい!
自己を捨てて他人を助けるようでなくては
いけない。
看護の仕事は、自己犠牲的である(とあったかなぁ、忘れました)

他を本当に愛した者でなければ、愛はわからない。
自己を愛するというのは、あたりまえだから。
子どもを助ける母親のようであって、
はじめて愛がわかる(うろ覚えです)

看護師さんですから、こういう問題には
”力強く”
反応してくれるのが、ありがたい。

まだまだ、
戦争問題などいろいろにからんで出てきたけど
せんせがボケなもので
忘れてしまいました。

「自己を愛しく求める者」

これは、現代人にとっては、あたりまえかと思ってたけど
看護師さんのタマゴたちには、そうでもない、ということが
わかりました。

「人のために生きよう」

こういう人も、たくさん現代にはいることが
わかって、感動したっちゃ!

それに、学生さんの中にも
ブッダが、なかなかいいこと言ってることがわかって
感心している人もいましたっけ。

なんか、一応、論理学がらみの問題なんだけど
論理学なんて、関係ない感じもするですね。
あんなに論理学の問題に苦しんでたのに、
こんなに上手に論じることができるんだもん。

論理学なんて、論理学なんて、どうでもええか
こんなもん、いらんかも

って気もしてくるわ。

こんなこと言っては、物議かもすかすら…
ま、いいよねっ!
ほんじゃ、ばいちゃっ!

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コメント

我入入我、、、
入我我入、、、

とあるものですか ?

何処から来たのでしょうか
密教の表現だと思いますが
(大日経開題)
(金剛頂經大瑜伽祕密心地法門義訣)
にあります

http://jns.ixla.jp/users/ngaakupa405/myweb160325_012.htm

http://fallibilism.web.fc2.com/037.html

曹洞宗 舎利礼文

一 心 頂 礼 一心に頂礼す
万 徳 円 満 萬徳を円満せし
釈 迦 如 来 釈迦如来と
真 身 舎 利 その身心の舎利と (相)
本 地 法 身 本地の法身と (体)
法 界 塔 婆 法界の塔婆とを (用)
我 等 礼 敬 我、等しく礼敬す
為 我 現 身 我が為に身を現じ
入 我 我 入 入我し我入す
仏 加 持 故 仏の加持の故に
我 証 菩 提 我は菩提を証し (自行)
以 仏 神 力 仏の神力を以て
利 益 衆 生 衆生を利益し (化他)
発 菩 提 心 菩提心を発し(発さしめ) (因)
修 菩 薩 行 菩提行を修し(修せしめ) (縁)
同 入 円 寂 同じく円寂に入る(入らしむる) (果)
平 等 大 智 その平等大智
今 将 頂 礼 今将に頂礼す

などもWEB上から見えますが

投稿 春間 則廣 | 2006/12/17 23:47

春間則廣さま

「入我我入(仏、我に入り、我、仏に入る)」という言葉を見つけました。
少しだけわかってきたかな。どうかな?

空の世界を実感するには、どうするのか、学ばなければならないことは多いなぁ。

宮本浩樹さま

その気持ち、わかるような。
自己が確立してしまうと、次には破壊するしか、なくなってくるのかも。これも、すごくつらそうですね。

東洋だと、自己を消そう消そうとして、消しても消しても浮かび上がってくる自己に苦しめられることになる。
「消そうとする」その思いが、すでに自己です…ありゃぁ。

投稿 管理人エム | 2006/12/17 09:12

「今日、愛とは、自己にしか属していないあらゆるものに閉じこもる試みを破壊する事なのだ。」- アントニオ.ネグリ

西洋人から言えばこうなるようです。

投稿 宮本浩樹 | 2006/12/15 23:58

貴方の心は、何処へ赴くことも出来る
私のところに来れば、あなたは、私となる
そして、私は、自らを愛する
誰かのところへ赴けば、その誰かとなる
そして、そのものは、自らを愛する
誰の心であろうとも、
貴方は入れ替わることが出来るが、
その時貴方の心は、
その入れ替わった誰かの心となる

その体を、害うことは、その心を害うこと
それは、貴方の心(貴方の赴いた心)
他の人を害うことは
いとおしむ、自らを害うこと

投稿 春間 則廣 | 2006/12/15 23:29

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