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2005年1月30日 - 2005年2月5日

2005/02/04

病は、気から?どこから?

昨日は、風邪!
今年に入って、もう二度目です。軟弱ものめ!
まったく意味なく風邪引くのは止めようと思っているのであるが、思ったからといって止まないのがやま(な)い。

まったく落ちもおちんわ、風邪のせいで。

しかし、ここは念力で何とかなるのではないかと思う。

昨日は、ほんと、瞬く間に脳みそがただのみそと化して、何一つ出てきませんでした。
調子がいいと喜んでいたけど、結局、一日遅れでゼロになっただけだった。
やっぱりなぁ。世の中うまいこと行かないことがわかったのですが、だからといって手をこまねいているわけにはいかん。
世の中に逆らって生きるのが、管理人の持って生まれた性分なのだ(え?そうだっけ)。
今日からそういう性分になったのだった…??

そこで、念力の登場です。

むりやり、考察するから、見とれよ!風邪のヤツめ!
何か、まちがった方向に進んでる気もするが、いいのだ!このまま風邪の考察に突入。

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古代インド、それは『ヴェーダ』が編纂されていた頃、とっても昔。いつだかわからん。

とにかく大昔。
病、とくに、流行病(はやりやまい)は、破壊の神ルドラ神のしわざだった。
彼は、吉祥なる側面を表すときはシヴァ神と呼ばれたが、いつもは、暴風の神々群神マルトをともなって、怒りの神として暴れまくるのだった。

そうなると
人々は「悪鬼が来る」といって、子どもを外に出さないようにして家の戸をぴたりと閉めた。
体を清めてルドラ神に捧げものをして、ひたすら祈りをささげて、怒りがおさまるのを待つのである。

病気が回復するのもルドラ神のおかげ。「千の治療薬をもつもの」といわれている。治療薬を得るために人々はまたルドラ神に祈るのである。


さて、現代。
病、とくに、流行病(インフルエンザ)は、渡り鳥や家畜のしわざだった。
それらは、吉祥なる側面を示すときは季節の風物詩として喜ばれたが、いつもは、季節風とともにやってきて、そこらにウイルスをまき散らすのである。

そうなると
人々は「ウイルスに感染する」といって、子どもを外に出さないようにして家の戸をぴたりと閉める。
手洗いやうがいを欠かさず自らに滋養物というささげものをして、ひたすらじっとテレビ・ビデオを友として、怒りがおさまるのを待つのである。

病気が回復するのは抗生物質のおかげ。「千の効果を持つ薬」といわれている(かな?)治療薬をえるために人々はまた医学に祈るのである。

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『ヴェーダ』の中でも、呪術的な要素の強い『アタルヴァ・ヴェーダ』は、また、医学・薬学の源になったとも言われたりする。

人々の用いる言葉はちがっていても、やってることは変わんないです。

うがい、手洗い、人混みをさけるが予防、罹ったらあったかくして栄養をとり安静にする。効果的な薬をもらってくる。
最後の手段としてお祓いしてもらったりするのも、おんなじだわね。

現代医学が、人間の心理的側面を治療に生かそうとすると、どんどん古代医学に近づいていくってこと、あり?
どう思って?みなさん。

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2005/02/02

簡便『中道』実践法

昨日は、あんなこと(どんなこと?)書いたから、今日はきっと調子ががっくり落ちて、また、ゼロ感覚に戻っているかな、って、ビクビクしてたけど、まだそうでもないみたいだ。

よかった!

なぜかというとね、「簡便『中道』実践法」ってのを発明したからよ。
じつは『中道』は、実践方法を説明する言葉なんだけど。ほほほ。
循環論法みたいだけど、ま、それだけ実践がむずかし、ってことでもあるわけよね。
まだ、あいかわらず、冴えてますわ、管理人。

さて、その「実践法」だけどね、おしえて欲しい?
わたしも試しにやってみてるけど、なかなかいいわよ。
よし!みんなにもただでおしえちゃうわ。

とくにお坊さんのたまご(お坊さんがすでにたまごかな、ブッダの?また、阿羅漢の?)の人は、必見ものよん。

日々修行に励むお坊さんのみなさん、修行はたいへんですよね。
「中道」の実践はむずかしい、って思ってるでしょ。

でも、大丈夫!どんなに不信心でも大丈夫な方法を発明したわ。
不信心っていうか、無信心の代表者、管理人がお試し中です。

お試し期間は、返品可能だから、やってみる?

中道は、極端に寄ったらダメなのよ。
それさえ守れば、中道なんだから、この理屈を実践に行かせばいいだけ。

まず、何でもいいから一つのことをしたら

「ま、いっか」というのよ。大きな声でね。

で、「ま、いっか」という気分浸透したところで、
もう一つ、別なことをするの。
それをしたらね、次に

「なぁ~んちゃって」って、いうのよ。これも、大きな声で。

必ずこれをくりかえしていれば、ぜったい極端に寄ることはないから、中道、実践できるって寸法よ。
どう?管理人の必殺技。感心した?

……

感心してるようね。わかるわ。その表情で。
え?なに?あきれてものが言えないだけだって。失礼ね。

それに、その方法、ほんとうの中道かどうかわからないって?
そんなことにこだわっちゃダメよ。

ま、いっか!っていうのよ。そこで、まず。
わたしだって、ちょっと、そんな気がしたのよ、このすばらしい方法を発明したときにね。
でもね、これじゃいけないって、すぐわかったわ。そこで、すかさず実践したのよ。

「ま、いっか」、ってね。

なに?

なおさら信用おけない?っていうの。
あなたも、ねばるわねぇ。よし、わかったわよ。
あなたがほんとの中道を実践できてるかどうか、確かめる方法もついでに伝授しちゃうわ。
これならいいでしょ。解答付きの問題集みたいなもんだから、ね。

それは、ね、この方法でやってみて、自分の中に苦しみが生まれてこなければ正しい方法なのよ。
だってさ、中道は、とにかく「苦しみの滅」への実践方法なんだもん。

な、なるほどぉ。インチキかと思ってたけど、一理あるって。

でしょ?でしょ?
だから、さ、やってみんさいよ。だまされたと思ってさ。

そ、そうだなぁ。つらい修行が簡単そうになってラッキーだから、試してみるだけ試してみっか、な?
ほんとに苦しみがなくなったら、うれちいもんね。
よし!だまされたと思って、やってみるZooo!

その調子だぁ!がんばってね
………なぁ~んちゃって!

う?

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2005/02/01

べんきょのコツおしえます

そういえば、

よく考えたら、

HPを訪れてくれるみなさんに抜き打ちテストするって、けっこう失礼だったかしら。
その前の日には読者サービスするようなことを言っておきながら、その実、まるっきり読者にサービスさせてるサイトだったわね。

ごめんね。

謝って済むのがうれしいわ。(え、すんでない、はは)
まぁ、あなたも100点だったんだから、許してよね。二度とないかもしれないし(…は、なおまずい)。

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さて、今日の話題は…

学問の進展ぶりと日記の進展ぶりの連動性に関する比例法則

いかにもインチキくさい題名だわね。適当ぶりがしのばれるわ。
でも、ここ数日、わたしのべんきょ、ちょっと大きな進展をみてるのよ。もち、龍樹がらみで。

そろそろ本腰入れて、『中論頌』という、大乗仏教中観派の不落のとりでに、侵入を試みようとしているんだけど、入り口うろうろしてるだけで、施しものが、いっぱい、落ちてるの。
龍樹という大木の下で、龍の木の実を拾いまくってる感じ。
龍樹という木の実だから、当然、とげとげで「まずそ」だけど。収穫ありぃなのよ。

多くの研究者がみんな苦労してるのもよくよくわかった。
ろくにこちらは研究してないわたしが、なんかいうのも気が引けるけど、龍樹を研究している人にぜひぜひ『方便心論』をお勧めするわ。
すごく『中論頌』の理解を助けると思う…『方便心論』それ自体、けっこう、つらいかもしれないけど。

さて、このように、進展著しいとき、なぜか日記に書くこといっぱい出てくるのよね。
明日あさっての分も書いちゃおうかな、って思うくらい、いろいろ、いろいろ沸いてくるんですわ。
沸いて出ることは、研究に直接絡んでいるわけでないし、さまざまな事柄なんだけど、不思議だなぁと思ってね。

逆に、まるっきり進展してないとき、これはまた、つらい!
ゼロ。何にもない。
ぜんぜん何にもしてないし、何も起こらなかったような気がするときもある。
これもまた不思議!
何もないということもありえないのだが……思索…する姿を思い描くべし(考える人みたいな感じ)

ま、とりとめなく続けると、

何かがわかる直前というのが、こういうゼロ感覚がほんとの空っぽ状態から膨らんできつつある感じで、そして、いっぱいになって出てくるぞっていう、予感がひしひしとしてくるとき。
「うう、ううう」っと、待ってると、不意にそれはやってきて、「あ、なんだ、これだ、前からここにあったじゃん」って感じでわかる。

それから先よ、どんどんいろんなものが出てくるのは。
次々、もういらないっちゅうに、っていうぐらいいろいろ出てくる。自分の中から、そして、いろんなものの中から。

そういうとき、べんきょすればいいの。何見ても、何でもわかるし、何読んでも手に取るようだ。
手に取るような感覚のときは、本物だなって思うわ。でも、こういう感覚はすぐなくなるから、焦るわね。

本物じゃないときもわかるのよ。どっか、わからない感じが残ってるもの。
すごく嫌な感じ。まぁ、奥歯に物がはさまって取れない感じに近い。
こうやって、「すっきり感覚」をメジャーにして、自分で確かめながら、進んでいくのね。

ふう!こういうこと書くつもりだったんだっけ。
ま、いっかな。わたしも「すっきり」したし。

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2005/01/31

「マニカナ」サイト期末試験の時間ですっ

おはようございます。みなさん。
今日も元気そうで何よりですね。
さて、「何より」なのにつけ込んで、とつぜんですが、抜き打ちテストをします。

えーっ!抜き打ちテストぉ~!とつぜんするなんて、ひどいぞぉ~!

ひどくありませんっ!「とつぜんですが」と、いいました。
ちゃんと、「とつぜんですが」と告知しているので、とつぜんではないのです。
かりに事実とつぜんだったとしても、「抜き打ちテスト」という性格上、とつぜんするのが「抜き打ちテスト」なので、正しいのです。きりりん!くいっ!(眼鏡を指で押し上げる効果音)

何かひどい詭弁だなぁ。すたこら退散するかな、ぼくちん、テストはチョー苦手。

あ、こらこら、そこのあなた、「戻る」をクリックしようとしましたね。いけないわよ。
テスト受けてちょ。
すぐ分かる問題だから、さ、逃げないでよぉ~、誰でも解けるように、問題やさしくなってんですから。

何か、こんどは、やけに懇願調だな。じゃ、ちょっと受けてみるか。

よかった。問題作った甲斐があったというものだわ。
それでは、今日の問題は、宗教と学問のちがいについて、聞きます。
選ぶ問題だから簡単よ。問題文を読んで答えてね。

【問題文】
「宗教」と「学問」は、もちろんちがいます。そのちがいはつぎのようなものです。

宗教は、( あ )をその本質にしています。だから、宗教者には( A )があるのです。
一方、
学問は、( い )をその本質にしています。だから、学者には( B )があるのです。

【問題1】
( あ )と( い )に入る言葉を、次の中から選んで、それぞれ答えなさい。

1. 信ずること  2.感ずること  3.行うこと  4.疑うこと

(あ)の答え(           )  (い)の答え(          )

【問題2】
( A )と( B )に入る言葉を、次の中から選んで、それぞれ答えなさい。

1.安楽   2.信仰   3.探求心   4.馬力   5.疑惑   6.超感覚  7.妄念   8.困惑

(A)の答え(           )  (B)の答え(          )

むずかしかったかな。
さて、みなさんの答えを見てみるかな。

★フム、
「宗教は、( 信ずること )をその本質にしています。だから、宗教者には、( 信仰 )があるのです」か、
どれどれ「学問」はどうかな。
「学問は、( 疑うこと )をその本質にしています。だから、学者には、( 探求心 )があるのです」

ふうん、よくできるじゃん。これは、センター試験用の正解ですね。

★じゃ、次の答え。
宗教は、( 疑うこと )をその本質にしています。だから、宗教者には( 疑惑 )があるのです。
一方、
学問は、( 信ずること )をその本質にしています。だから、学者には( 妄念 )があるのです。

ほぉ、よくできるじゃん。これは、地獄の閻魔大王用面接試験の正解ですね。

★じゃ、次はどんなかな。
宗教は、( 感ずること )をその本質にしています。だから、宗教者には( 超感覚 )があるのです。
一方、
学問は、( 行うこと )をその本質にしています。だから、学者には( 馬力 )があるのです。

ほお、これまた、めずらしい答えだ。これは、現代科学の試験問題の正解ですね。

★さて、次はどうかな。
宗教は、( 行うこと )をその本質にしています。だから、宗教者には( 安楽 )があるのです。
一方、
学問は、( 感ずること )をその本質にしています。だから、学者には( 困惑 )があるのです。

ほおお、これはぁ、またまた、おもしろい。信者と学生の立場に立った試験問題の正解ですね。
スポ-ツ生理学でも、この答えが出てきますね。ン?どういう発想じゃ!

最後がちょっと???になってしまいましたが、それなりに成り立ってるところがこわいすね。

みんなよくできるなぁ。
他にも答えがあったらおしえてね。
選択肢も自由に増やしてよい、という但し書きもつけておこうかな。

なかなか、試験て楽しいじゃん。全部正解だとね。

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2005/01/30

今日の話は長いよ!でも長いだけ

今年に入ってどうしたわけか、カウンタがいきおいよくまわってますね。
管理人の頭の中では一年でおよそ10000人という数をはじき出していたのですが、な、なんと一日に40人を超える日もあるという盛況ぶり。一年経たずに10000人を超えてしまうわ。

どうしよ。

って、どうもしなくてもいいんじゃない。
こういうもんは、管理人がどうこうするもんじゃないとおもうのよ。

でもねぇ、何となく、なんかしなけりゃいけないような気がするのよ。
お客様はおもてなしをせねば…っていうか、かもを逃しちゃ…お、まず。ほほほ。

って、何すりゃいいのよ。

皿回し。

って、そりゃ、アホです!

うーん、うーん、じゃ、まじめに、インド哲学よもやまばなし。

って、おもしろそ。

だけど、ネタない。

って、ないなら言わなくていいのっ!

うーん、うーん、インド哲人列伝。

って、おもしろそ。

だけど、出てくるの一人だけ。

って、言わなくてもそうだろうと思ってたわよ。

うーん、うーん、インド御伽草子。

って、おもしろそ。

だけど、あんまり読んだことない。

って、もう!
そういや、「インド論理学ABC」ってのはどうなったのよ。きれいさっぱり忘れられてるわよ。

あ、やば!じつはね、インド論理学ABCのネタは『ニヤーヤ・スートラ』とその註釈からとってたんだけど、読者にはむずかしすぎると思って…。

って、読者のせいにしないでよ。アンタが分からないだけじゃないの?

うーん、ばれたか。結局、ね、体系つかみきれてないのよね。断片的には、何とかなるんだけど。
思ったより、ずっと体系立ってるのよ。悩んでるのヨン。

でも、がんばるわ。一つ、読者を逃さないために(わはは、露骨に出たわね、本音が)分かったお話しするわ。
出血大サービスだからね。
知ってると、みんなに感動されちゃうから…ってことはないわね。

『ニヤーヤ・スートラ』の作者はね、前にも話したけどアクシャパーダって言うのよ。
アクシャが「目」、パーダが「足」。足目でっす。変な名前、っていっちゃいや~ん。
彼は、論理学の大家で、どんなところでも誤りを犯すことがなく、足に触れたものですらものごとを正しく見通したのよ。だから、こんな名前なのかしら。

彼は、また、ガウタマと言われている。でも、インドの学者たちは、仙人ガウタマが独自に述べた論理学上の規則、原則といったものを、アクシャパーダが受け継いでアレンジして作ったものだと考えてるのよね。
それから、もう一つ、仏教批判が見られるから、ブッダよりいくらか後の時代のものだとも書いてあるわ。

※S.S.Barlingay,A Modern Introduction to Indian Logic,New Delhi,1976(2nd Rivised and Enlarged Edition).
の第二版用の「序文」から。

仙人から受け継ぐというのはよくある話だわ。あるいは、その前に、様々な神から受け継いだという伝承を伝えることも多いのよ。ブッダよりいくらか後というのは、ほんとうはありえない話だわ。600年以上は後に出来たと思うわ。龍樹(紀元後150-250年)の頃だから。

で、何が言いたいかっていうとね、「インドの学者の説は、誤りだ」ってことじゃないの。
じつは、一理あるってことなのよ。
ほんと、インドの人が言うことは、侮れないわ。

ブッダのいくらか後と考えたのも、無理ないわ。それほど、この『ニヤーヤ・スートラ』には仏教の、いや、ブッダの思想の影響が濃いわ。批判的に受け継いでいるのよ。
さらに、仙人から受け継いだというのもわかるわ。人間業ではないくらい高度な論理学だからよ。
足で触れたものすら見通す、というのも、いい加減なことではないのよ。ほんとに論理で見通しているからだわ。

前々から思ってたけど、「ガウタマ」という名前。これは、立証は出来ないけど、何らかの意味で「ゴータマ・ブッダ」と関係してると思うのよ。龍樹に対して、アクシャパーダが「俺の論理学の方が、ブッダの論理学を受け継いでいるぞ、俺こそゴータマだ」と言ったのかもしれないと思ったりするけど、ここだけの話よ。立証できないんだから。

インドの思想って、知れば知るほど、インド人の言うことの方がいつも正しいって思わざるをえない。
表面的には、確かに、まちがっていることが明らかなこともある。
だけど、それは…なんというか、まちがっていても、どうってことないことよ。たんなる歴史の問題だわ。(お、大胆な発言です、いいのか、いいのかぁ)
哲学的に見れば、いつも正しい情報がその中にあるんだから、いいのっ。

以上が、特別大サービスのお話よ。
なに?どこがすごい話だ?言い伝えを述べただけじゃん、って?

久方ぶりに感動した話だったんだけどな、管理人としては。
この感動を分かち合いたい、40人の来訪者のみなさんとともに
…よけいなお世話ですか…やっぱりね。

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