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2005年11月20日 - 2005年11月26日

2005/11/26

道徳、お一ついかが

ココログに入ろうとしたが、仕様が変更になったのか、
様子が違う。

「アカウントを入れろ」とか「パスワードを入れろ」と言われる。

わかんないよ!
わすれてるんだから。

ノートを引っぱり出して、
めちゃくちゃふざけたパスワードを、
声に出して入れていたら、

夫に笑われる。

なんてぇ、こったい!
それでも入れない。

やみくもにいろんなところをクリックしていると、
何かの加減でカレー日記に来てしまう。

わかんないシステムだなぁ。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
まあ、よいのです。

仕事二つ片づけたわたしは、寛大なのです。
あと残った仕事は、三つになりました。

あれ?減ってない。
いくつ片づけても、残りは三つなのか?

まあ、よいのです。

人生そんなものなのです。
達観する我(われ)は、倫理について、学生諸君とお話ししています。

君らぁ、ぜったい守るべき倫理・道徳の基準をもつやいなや、という問題です。

おおよそ、どの人も
「自分が嫌なことを人にしない」
「ウソをつかない」
「約束を守る」
「人の気持ちを踏みにじらない」
「筋を通す」
など、思うところがあるのです。

いいヤツです、みんな!

でも、道徳の基準は何もない!という人もいます。
直感で生きてる人もいます。

いいヤツです、みんな!

ところが、一人、こんな人が。
著作権があると思いますので、一部抜粋にしようかな。

「なんでも自分勝手」

を、自分の道徳(?)にしている人です。
他の人には「オレについてこい」といっています。

彼はこういいます。

わたしはジャイアンの考え方にたいへん同感しているし、尊敬している。
というより人生の目標は『ジャイアン』である。
行動を決めるとき、わたしの基準は「お前のものは俺のもの。
オレのものはオレのもの」である。
心の友は大事にしてガキ大将として生きたい。

と、このように書いたため、みんなちょっとぉ … ひいてるなぁ。

他の人に
「この人はどうかな?と思います」
なんて言われてしまいました。
わたしが、なんとかフォローしようとしていると

一人女の子が言いました。

「この人は、友達思いの人ではないかなと思います。
『お前のものは俺のもの』っていってるのは、
お前の悩みも俺の悩み、
って言うことかもしれないから」

って、言ったので、みんな、感動!

「ほお!すごい!すご~い」
と彼女をほめたたえたのでした。

いいヤツです!みんな!

はぁ、せんせ、教えることないや 

道徳・倫理の基準をみんなから体験的に学ぶせんせだったのだった。

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2005/11/23

夢がふくらむ方法論!路線変更ぉ、しましょ。

一晩寝て、

下宿人さまの『仏教かく始まりき』の「はじめに」の提言を

かみしめる。

経典のことばを、そのまんま、ありのままのものとして受け取る。

なんて!幸せなんだっ!!


そもそも

むかしっから、「経典は、中で説かれていることは一定していない」って、
言われてきたんだしね。

あるところでは「自己」を説き、あるところでは「自己」を否定する。
それで、みんな困ってるわけよね。

だからといって、何でも「後代の増広」では、あまりに安直な解釈です。
お釈迦さんの教えは、ほんとはなかったというも…。


だからこそ、ここが解釈の見せ所でもある。
どう解釈するかは、研究者や読者の能力にかかっているのだわ。

ま、そこで、

「ブッダ論理学」って、言ってみてるけど、

どうですか?

あんまり、まだ、ピンときませんかしら。
まるごと認めて、解釈する計画なんですが。

この路線ですすみますっ!鼻息あらいです、管理人。

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2005/11/21

哲学 vs 歴史 なのかな

一つ仕事を終わり、少しホッとする管理人です。

ホッとしつつ、あわててアップロードして、
中をちゃんと読んでいなかった

下宿人さまの御本
『仏教かく始まりき---パーリ仏典『大品』を読む』の

「はじめに」を読んでみました。

      ………
もしかして、けっこう過激なんじゃ…
ひょっとして、現行の方法論批判では?

このような意見が出てくることは、管理人としては、歓迎したいです。

これまでは、何かを言えば、必ず

「その点は後代の可能性がある。
本当のブッダの説かどうかわからないよ。」

と言われて、何も決定できない、何も解明されない、という状況でしたから、

このように述べてくれる人が多くなれば、

ブッダの哲学・思想研究も進むのでは、っと思われます。


そもそも、歴史的な研究と哲学・思想的な研究は、

方法論的に相容れないかもしれませんね。

哲学に歴史的な観点はほとんど入らないです。
哲学の問題は普遍的だから、時間など関係ないよ、となってしまう。
ブッダの哲学・思想を知ろうという人は、「2500年前のことだから」なんて考えないですよね。
その人にとっては、今現在の問題です。

一方、歴史には哲学的な観点は入らないです。
時間を追って、何が起こったかを知ることが大事なのであって、
哲学や思想が普遍的でいつの時代もおんなじだったら、困っちゃう。
歴史にならない。時代ごとにどう違っているかが、大きな関心になります。

だから、二つの研究は、どうしても対立するかもしれない、と思う管理人でした。

わたしとしては、興味の対象が哲学・思想なので、
歴史的な観点には冷たくなるのかもしれません。

仕方ないか … ブッダや龍樹は、わたしの中でミニの姿で生きてるんだもんなぁ。

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